16話

「それよりも、お前に訊きたいことがある」


「はい、なんでしょう?」


水の国アクアマリンに、ブラストルという名前の街はあるか?」


「ブラストル……」


 俗世の事情には疎いものの、国内の地理や地名程度であれば、教養の一環として教わった。どうしてリューズナードが他国の地名に興味を持ったのは不明だが、少しでも役に立てるのならと、記憶の海を泳いで回る。


 しかし、どれだけ深く潜ってみても、ロレッタはその地名に心当たりがなかった。


「……申し訳ありません。私の記憶が正しければ、そのような名前の街はなかったかと…………ああ! もしかしますと、フラスタルのことでしょうか?」


「フラスタル?」


「はい。水の国アクアマリンから原石の村ジェムストーンへ戻る道中に、いくつかの街や宿を経由したかと思うのですけれど、そのうち二番目に滞在した宿のあった街の名前が、フラスタルと言います。国境付近に位置する街ですね。ブラストルという名称と最も似た響きの地名はこちらになるかと思います。大変失礼ですが、記憶違いという可能性はありませんか?」


「……記憶違い、か。そうかもしれないな。それじゃあ、その街で人身売買が行われているという話は聞いたことがあるか?」


「じ、人身売買……!?」


 信じられない言葉を投げかけられ、咄嗟に大きな声が出てしまった。はしたないと反省する余裕もない。


 つまり彼は、「水の国アクアマリンは人身売買が横行する国である」と言っているのだろうか。好いた相手が、自分の愛する故郷に対してそんな下劣な印象を抱いていたという事実に、途方もない悲しみが押し寄せて来る。


「っ……断じて、ありません。水の国アクアマリンには、人身売買を禁止する法が制定されております! ……長い歴史を紐解けば、それが行われたという事例も見つかるのかもしれませんけれど、少なくともお父様は、そのような非人道的な行いを殊更ことさら嫌っておりました! 王都から辺境の地まで警備を配置し、厳しく取り締まっておられたはずです! お姉様だって、そのような愚かな手段で国力を潤わせるような真似は致しません……!」


 故郷と家族の名誉の為に、ロレッタは必死で訴える。彼が魔法国家に対して不信感を抱いているのは仕方のない話だが、今回のこれは、また少し毛色が違う。魔法国家という一括りではなく、水の国アクアマリンのみを指しての発言なのだから。悲しくて、悔しくて、ロレッタの瞳に涙が浮かぶ。


「……ありがとう、よく分かったよ」


 そう言うと、リューズナードは深々と頭を下げた。


「嫌な訊き方をして、悪かった。お前の家族を貶したくて言ったわけじゃないんだ。許せないかもしれないが、本当に悪かった」


「…………いえ。私のほうこそ、取り乱してしまい申し訳ありませんでした。……ですが、それなら、どうして……」


 リューズナードがゆっくり頭を上げる。ぼやけた視界であっても、彼が真剣な目をしていることだけは判別できた。


「街の名前も、人身売買の話も、フェリクスが言っていたことだ」


「フェリクスさんが……?」


「ああ。あいつの仲間が人身売買の組織に捕まっていて、助けに行きたいと言うから、目的地を訊いたら『ブラストル』と答えた。お前の話だと、そんな事実はなさそうだけどな」


「貴方に嘘をついた、ということですか?」


「そうなるな。もしかしたら、水の国アクアマリン出身という話自体も嘘だったのかもしれない」


「どうして、そのようなことを……」


「分からない。今日……は、もう疲れただろうから、明日。もう一度フェリクスと話して、確かめる。一緒に来てくれないか?」


「わ、私ですか? ……フェリクスさんは、私のことを避けていらっしゃるご様子でしたので、ついて行かないほうがお話も伺いやすいのではないかと……」


「楽しくお喋りしに行くわけじゃない。真偽を確かめられれば良いんだ。あいつに、水の国アクアマリンの人間であれば分かるような質問をぶつけてみてくれないか。返答によって、今後の対応も考えようと思う」


「……承知致しました」


 人を疑うようなことは、なるべくならしたくない。しかし、これから共に暮らしていく他の住人たちの為にも、これは必要なことだ。ロレッタは自分に言い聞かせた。


 振り返ってみると、今日はなんだか、感情がめまぐるしく揺れ動く一日だった。気付けばすっかり日も落ちている。


 心労のせいだろうか、目を覆っていた膜から水滴が一筋、頬を伝った。するとリューズナードが、自身の右手の人差し指の背をロレッタの頬に添え、優しく水滴を拭ってくれた。


「……嫌がることはしないと言ったばかりだったのに、悪かった。まだ俺のこと、信用できるか?」


 ひどく不安そうな瞳で尋ねてくる。親の姿を見失った子供のようだ。自分が彼にこんな顔をさせてしまったのかと思うと、申し訳ない気持ちが込み上げてくる。精一杯の気持ちを込めて、はい、と答えた。

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