第3章 復讐

14話

 自宅へ戻ったロレッタは、自身の荷物を収納している棚の中から、小さなポーチを取り出した。以前、王宮の私室から持ってきた物だ。中には小型無線機と、折り畳んだ婚姻届けを入れてある。


 無線機には魔力を貯蔵した特殊なバッテリーが内臓されており、外から魔力を流し込むことで共鳴し、機器が起動する。そして音声の波を魔力の信号に変え、アンテナを介して特定の相手と送受信できる、という仕組みだと聞いた。一度起動させてしまえば、少しの間なら手を離しても作動し続けるらしいが、どの道この村ではロレッタ以外の人間には扱えない。


 震えの治まらない手で無線機を握る。後ろで様子を窺っているリューズナードに、ロレッタは尋ねた。


「……今ここで、私が炎の国ルベライトの動向を水の国アクアマリンへ伝えることは、原石の村ジェムストーン水の国アクアマリンへ加担した、ということになってしまうのでしょうか……?」


 基本的に、魔法国家が原石の村ジェムストーンへ攻め入る理由は無い。どこの国の領土でもないし、住まう人々も力を持たない非力な人間ばかりだ。リューズナードという例外はあるが、その彼だって、不躾な干渉でもされない限り不要な争いはしないと明言している。


 しかし、村が特定の国へ加担した場合は話が別だ。末端であっても、敵国の領土なのであれば侵略する十分な理由になる。水の国アクアマリン以外の国家、少なくとも炎の国ルベライトからは確実に、標的だと見なされてしまうだろう。水の国アクアマリンから救援が来るとも思えない。


 そんなロレッタの不安を、リューズナードが鼻で笑った。


「俺たちは、自分が生きていく為に祖国とも肉親とも縁を切る必要があった。だが、お前は違うだろ。お前が国や家族を想う気持ちを否定する奴なんて、ここには居ない。好きにすると良い。どうしても気になるのなら、魔法国家に与したのではなく、親孝行をした、とでも思っておけば良いんじゃないか」


 事も無げに言ってのける裏には、何があっても自分が皆を守り通してみせる、という決意が滲んでいる。彼の強さと優しさが、ロレッタの手の震えを止めてくれた。


「っ……ありがとうございます……!」


 深々と頭を下げてから、ロレッタは手元の無線機を起動させた。


 信号の送受信をするに辺り、周波数のチャンネルを合わせる摘まみも付いているが、何も触らなければロレッタの無線機からの信号は、実の父親であり水の国アクアマリンの国王でもあるグレイグの所持する無線機へと飛ぶはずである。


 しかし、ロレッタの呼びかけに応えたのは、グレイグではなかった。


『――はい、こちらアドルフです。ご無沙汰しております、ロレッタ様』


 その声は、本人が名乗った通り、水の国アクアマリン近衛兵団の団長アドルフ・ストックウィンのものだ。ロレッタは困惑する。


「ア、アドルフ……? あの、お父様は……?」


『陛下は本日、あまり体調が優れないそうで、先ほどお休みになられました』


「え……!? 大丈夫なのですか!?」


『ご存知の通り、陛下の日々の体調にも波がございます。本日は少々、崩れてしまっているだけかと』


「そう、ですか……」


『不遜ながら、私めでよろしければ言伝をお預かり致します』


「ええと……」


 不調の父に心労をかけるような話をしなければならないことに、ロレッタの胸が痛んだ。けれど、話さないわけにもいかない。


 ふと、ロレッタは思い出した。アドルフもあの日、怪我を負った一人である。具合はどうなのだろう。彼の様子を聞けば、他の兵士たちの状態も自ずと分かるだろうか。


「あの、その前に、怪我の具合はいかがですか?」


『……? 御心遣い、痛み入ります。私めに関しましては、お恥ずかしながら腕の骨にヒビが入っておりました。現在でも戦えないことはございませんが、大事を取って前線への復帰は見送らせていただいております。他の兵士たちも、順調に回復した者もおりますが、足をやられた者たちは、まだ当分動けそうにありません』


「そうですか……」


『ロレッタ様?』


 あの日、修練場に居たのは、近衛兵のうちの一部でしかない。それでも、戦力が万全でないことは事実だ。だからこそ、早く伝えて体制を整えられるようにしなくては。


 ロレッタは、ぎゅっと無線機を握り締めた。


「分かりました。……それでは、言伝をお願いします。貴方から、お姉様へ伝えてください」


『ミランダ様に、ですか?』


「はい。現在、炎の国ルベライトの兵士たちが、水の国アクアマリンへ向けて進軍しています。先ほど、原石の村ジェムストーン……私がお世話になっている村を通過しました」


『!!』


 アドルフの息を呑む音が聴こえる。


『……疑うわけではございませんが、確かな情報でしょうか?』


「はい。戦闘には至りませんでしたが、炎の国ルベライトの兵士とも直接まみえました」


『左様ですか。敵の戦力が如何ほどのものかは、お分かりになられますか?』


「あ、ええと……」


 返答に困っていると、話を聞いていたらしいリューズナードが、横から手を伸ばしてきた。無線を寄越せ、と言っているのだろう。ロレッタでは話が進められないので、大人しく明け渡した。


「……視認できた限りでは、歩兵と騎馬兵を合わせた大隊が、三。ただ、別動隊がいるという話だったから、海沿いのほうからも小隊を二、三、回り込ませているんだろう。水の国アクアマリンを攻める時の常套手段だ。そしてそれらを、騎士団長のナディヤ・ベルネットが率いている。炎の国ルベライトの主力部隊だな」


 無駄のない報告を聞き、アドルフの声色が一段階低くなった。


『……なるほど。こちらの疲弊を好機と見て、一気に叩きに来たわけか。つくづく、余計なことをしてくれたものだな、化け物』


「先に干渉してきたのはお前ら人間のほうだろう。死人を出さなかっただけ、ありがたいと思え」


『っ……次にまた、水の国アクアマリンの地を踏んでみろ。今度こそ殺してやるからな!』


「やれるものなら、やってみろ」


 気持ちを落ち着ける為だろうか。アドルフが大きく息を吐いた音がした。彼は本来、これほど短気な人間ではなかったはずなのだが、どうもリューズナードとは折り合いが悪いらしい。


『……ロレッタ様』


「は、はい!?」


 幾分、落ち着きを取り戻した声で名前を呼ばれ、ロレッタのほうが焦ってしまう。用は済んだと判断したのか、リューズナードから大人しく無線を返還された。


『情報提供、心より感謝致します。この件は、責任を持ってミランダ様にお伝えし、万全の対策へと繋げることをお約束致します』


「はい。どうかご無事で……」


『恐縮です。ロレッタ様も、御身の安全を第一に、決してご無理はなさらぬよう。それでは、失礼致します』


「はい」


 魔力の供給を断ち切り、アンテナを収納して無線を終わらせた。

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