108話

 かくして、心も体も碌に準備ができないまま、その日は訪れてしまった。


 修練場の中央で、規則正しく整列する兵士たち。先頭にはアドルフが立っており、これから遂行する任務内容の最終確認を行っている。団長である彼の呼びかけに、兵士たちは一斉に返事を寄越したが、ロレッタは口を開くことさえできずにいた。


 怖い。それ以外の感情が湧いてこない。死ぬことも殺すことも、この期に及んで全く覚悟が決められない。


 俯いて小さく震えるロレッタを見て、アドルフがため息を吐いた。


「……ロレッタ様、お気を確かに。修練不足は否めませんが、例え足りていたとしても、それほど固く身構えてしまっていては、動けるものも動けません」


「……はい……」


「先ほどもご説明させていただいた通り、炎の国ルベライト兵と交戦になった場合、ロレッタ様は御身の安全を最優先にお考えください。いざとなれば、無差別に思い切り魔法を放つだけでも、十分な護身となるはずです」


「……はい……」


 敵も味方も、全てを飲み込む無差別砲撃。身体能力の強化が間に合わなかった以上、ロレッタにできるのはそれくらいだ。多くの人々を守る為にある、と思いたかったこの力で、人を撃つ。戦場でたった一人、自分だけが生き残る為に。


(自分で言い出したことなのだから、全うしなくては……。アドルフたちにも迷惑をかけてしまうし、お姉様も納得してくれないわ。……分かっているのに……っ)


 緊張で胃液が込み上げてくる。その場に立っているのが精一杯だった。


「……いつまでも、こうしているわけには参りません。出立致しましょう。総員、手筈通り小隊に分かれて――」


 アドルフが出陣命令を出そうとした時、彼が腰元に携帯している無線機のランプが点滅し始めた。別の兵士からの連絡を受診した合図だ。


 通話に応じると、スピーカー越しにもはっきり伝わるほど焦った声が、修練場に響き渡った。


『応答願います、アドルフ団長!!』


「こちらアドルフ。何事だ?」


『そ、それが……ぐああっ!』


「! どうした、状況を報告しろ!」


 突如、兵士の声が聞こえなくなり、ガシャリ! と機械が踏み壊されたような音が鳴ったのを最後に、通信が途絶えた。すぐに無線機を操作して何度か呼びかけていたが、応答はないようだ。


「警備兵と繋がらない……。外で何かが起きている、確認に向かうぞ!」


 アドルフと兵士たちが駆け出そうとするも、出入り口の外側から不自然な喧騒が届き、一斉に足を止める。やがて、喧騒が収まったと思うと、


 ――ガンッ! ガンッ! ガンッ!


 激しい修練に備えて頑丈に作られた扉へ、重い打撃が撃ち込まれ始めた。金属で出来た施錠ごと、両開きの扉がみるみる形を歪めていく。


「なんなんだ……!? 第一小隊は入口付近に待機、第二小隊はロレッタ様をお守りしろ!」


 今度こそ動き出した兵士たちに連れられて、ロレッタは修練場の隅へ匿われた。一体、何が起きているのか。状況が一つも分からない。

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