第21話 さざ波(景虎視点)

 風呂からあがった景虎は、ごろんと布団に寝転がりながら自分の手を見る。

 仕事や食事以外の用事で、こうして一日、外に出かけていたのは本当に久しぶりだ。

 最後がいつだったか思い出せないくらいに。


 そして一人の女性を見つづけていたことも。

 沙苗の照れた顔、笑った顔、驚いた顔、申し訳なさそうな顔。

 こんなにもころころと表情が変わるのだなと、驚いた。

 なにより。


 ――俺は今日、沙苗に触りたいと思った……。


 美しく艶めく黒髪に。


 これまで一度として抱いたことがなかった下心を持ってしまったことに、戸惑いさえ覚えてしまう。


 触れればどうなるか知っていたはずなのに。

『愛するつもりなどない』。そう言ったのは景虎だ。

 この結婚は、お互いに利のある契約だとも。


 沙苗はおいてくれているだけでもありがたい、と言っていた。

 目を閉じると、ショートケーキを前に子どものように目を輝かせる沙苗の顔を思い出してしまう。


 胸がざわめく。

 女性にこんな気持ちを抱いたのははじめてだった。

 相手はよりにもよって半妖なのに。それは決して否定的な意味ではない。


 半妖である沙苗に、狩人である景虎は触れることは叶わないのだ。

 彼女の着物を黒々と汚す鮮血を思い出す。


 ――出かけたのは失敗だったか……。


 そもそも休日、出かけようと提案したのは、ずっと里で暮らし続けて来た沙苗が早く帝都に馴れればと思ってのことだった。

 契約で成り立っている関係とはいえ、見知らぬ土地に連れて来てそのまま勝手に過ごせでは、辛いだろう。


 新しい着物を仕立てさせたのは、里から持参したのはものが世辞にも爵位を持つ家の娘とは思えないほど粗末で着古されていたものだったからだ。

 里ではそれで良かったのかもしれないが、あれでは帝都の有象無象から決して良くは思われないだろう。正直、同情心もあった。


 沙苗はよく働く。ものも大切にする。きっとその性分ゆえ、着古した着物であっても問題ないと考えたのだろうが、いくら流行の装いに疎い景虎でも、沙苗の着物が帝都には不釣り合いなのは分かっていた。


 すべてよかれと思ってしたこと。

 しかしそれが結果的に、景虎の心にさざ波が立っていた。

 幼い頃から機微に疎い景虎は、自分の心に起きた変化にただただ戸惑った。

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