第20話 帝都めぐり(3)

「私にとっては両親であり、兄妹のような存在、かもしれません」

「……俺にその感覚は分からないな」

「景虎様は狩人という大切なお役目がございますから。でもそういうお仕事をされているからこそ、木霊たちに邪さがないことを見抜いて、同行することを許してくださったので、感謝しています」


 今日は木霊たちは、留守番をしてもらっていた。

 博識な彼らも、ショートケーキは知らないはず。


「ついているぞ」


 景虎が口元を指さす。


「あ、すいません……っ」


 俯いた沙苗は手巾で口の周りを拭った。


 ――食い意地が張った女って思われちゃったのかも。


 でもしょうがない。クリームという食べ物も、苺もどっちも美味しすぎたのだから。


「他にもチョコレートやアイスクリーム、色々と異国より渡ってきた甘味が、ここでは食べられる。気に入ったのならまた来よう」

「本当ですかっ」


 チョコレートやアイスクリームにはもちろん興味はある。

 でもそれ以上に嬉しいのは、景虎がまた来よう、と言ってくれたことだった。


 ミルクホールを出ると、日が傾きはじめる。


 夕日に赤々と照らされる街中を、景虎はぐるりと一周するようにして、昼間とはまた別の顔を見せる帝都の様子を見せてくれる。


「景虎様、少し歩きませんか?」

「どこに行きたい」

「そこでいいです。川沿いを少しだけ」


 路肩に自動車を停めると、土手を下りていく。


 川沿いの桜並木。よく見れば、つぼみがたくさんついていた。

 あともう一ヶ月したら、見事な桜並木が見られる。


 ――もし景虎様と一緒に見られたら、嬉しいな。


 そんなことを考える自分に、くすりとしてしまう。


 さっきのまた来よう、ということもそうだが、沙苗がこうして未来のことに想いを馳せるなんてこと、これまでになかった。

 座敷牢に囚われていた沙苗にとって、楽しみは木霊たちと話すことだけ。


 その他のことは沙苗にとっては苦痛なことばかりで、時間が止まって欲しい……そんなことばかり考えていたから。


 夜も眠れないことのほうが多かった。

 明日また繰り返される使用人のからの冷たい視線、腹を満たすだけの冷め切った食事。


 繰り返される、ただ時間を浪費するだけの日常が苦痛で仕方がなかった。

 でも帝都に来てからは毎日が喜びに溢れている。どんな些細なことも、沙苗にとっては貴重な経験だった。


 二人して土手を歩く。夕日で長く伸びた影が親しげにくっついている。

 実際にはできないからこそ、影が羨ましく思えてしまう。


 ――私、大丈夫かな。どんどんわがままになってきてる気がする。


 最初は帝都にいられるだけで、屋敷においてくれているだけでありがたかった。


 今もその気持ちは変わらない。でも今は、彼に触れたいと、触れて欲しいと思ってしまう。簪のことがあったからだろうか。


 ――ちゃんと自制しないと。わがままな女だと呆れられて、それこそ里へ追い返されてしまうかもしれない。


「今日は一日、ありがとうございました」

「まだ一日は終わってないぞ」

「そうなんですが……一言お礼をいいたくて」

「お前は要らないと言ったのに着物や小物を押しつけたことを余計なことをしてしまったと、少し後悔していたところだが、そうではないんだな」

「今から完成が楽しみです。それに」


 沙苗は自分の髪を飾っている簪をちょんと触れる。


「今日から毎日つけます」

「家事の時につけても意味がないだろう」

「でもつけます。景虎様が買ってくださったのですから」

「お前とて里生まれと言っても、華族の娘だ。髪飾りもいくつか持っているだろう。そんな他愛のないものひとつで、大袈裟だな」

「……景虎様から買って頂いたということが、私にとっては大事なことなんです。素敵な着物を買っていただけただけじゃありません。ショートケーキまで食べさせて頂けるなんて……夢、みたい」

「大袈裟だ」

「大袈裟じゃありませんっ」

「それだけ楽しんでくれたのなら、連れ回した甲斐があった」

「……ところで、この川って泳げますか?」


 つい好奇心にかられて呟いたことをに、景虎が虚を突かれたみたいにぽかんとした。


「女はあまりいないだろうが、夏場は男は泳いだりしているな。なぜだ?」

「一度は泳ぎたいと思ってて」

「里には川を見かけたが、泳いだりはしなかったのか」

「え、ええ……。はしたないと怒られるので」

「まあ、それくらいは釘を刺されるだろうな」


 こうして何かをしたいと思ったのも、景虎のおかげだ。

 帝都に来たからにはこれまでやったことがないことをやりたい。

 生きているということを実感したい。


 川面が大きく揺れ、白く波打つ。


「少し風が出て来たな。そろそろ帰るぞ」


 日も沈みつつある。沙苗は、景虎の言葉に大人しくしたがった。



 屋敷へ戻り食事と風呂を済ませた沙苗は、文机に簪をおいた。

 嬉しすぎてお風呂にまでもっていってしまった。


「みんな、見て。素敵でしょう」


 今日、景虎に買ってもらった蝶の透かしの入った簪を、洋灯へ照らしてみせる。

 簪の周りには木霊たちが集まり、しげしげと眺めては、綺麗だと褒めてくれた。


「……うん、もちろん大切にするわ。景虎様が、私のために買ってくださったものですもの。それから、みんなにもお土産がるの」


 沙苗は手巾で包んだものを文机においた。


「開けてみて?」


 木霊たちは興味津々で手巾の結び目をとく。


「じゃーん。みんな、これはなんでしょう」


 木霊たちはしげしげとお菓子を眺めては、ちょんちょんとつっついたりしている。


「正解は、ショートケーキっていうお菓子。みんなに見せてあげたくって持ってきたの。すごく美味しいから食べて。大丈夫。私はたくさん食べたから」


 木霊たちはショートケーキに抱きつくように食べ始めた。


 生地の甘さや、クリームの蕩けるような美味しさ、苺の甘酸っぱさに昂奮しているようだ。


 ――ショートケーキを前にして、私もこんな感じの反応だったのかな。


 そう思うと、かなり恥ずかしい。


 景虎に、子どもっぽいと思われないといいんだけど。

 あっという間にショートケーキがなくなる。


「うん、また景虎様と出かける機会があったら、お土産にもってくるね。今日はすごく楽しかった。景虎様と出かけられて、とても幸せ……」


 ふぁ、と欠伸がこぼれた。


 本当は読み書きの練習を寝る前にしようと思ったのだが、自分が意識するよりもずっと、疲れていたみたいだ。

 お風呂で温まった体がほぐれたせいか、心地良い眠気を覚えた。


 その日は、簪を胸に抱きながら布団に潜り込む。

 蝶の透かしを撫でる。


 目を閉じると、あっという間に意識を手放すように眠りに落ちた。

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