第12話 朝食

 翌朝、沙苗は台所に立って朝食を作る。


 ご飯を炊き、大根の味噌汁、玉子焼きに焼き鮭を仕上げる。

 鮭の身に綺麗な焼き目がついたのを確認し、お皿に盛り、卓袱台へ並べていく。


 そこへ重たい足音が近づいてくる。


「景虎様、おはようございます」

「……おはよう」


 景虎は手に、昨日繕った羽織を持っていた。


「あ、それ……すみません、勝手に」


 景虎は「謝るな」と少しうんざりした顔をする。


「怒ってるわけじゃないから頭を下げるな。繕ってくれて助かった。ありがとう」

「!」


 景虎から感謝してもらい、それだけで心臓が飛び跳ねる。それからじんわりと体が熱くなる。


「いえ……出来ることをしただけですから」


 たった一言の感謝で、高揚してしまう。


「ところで朝食だが、俺の食べる分はあるか?」

「え?」

「わざわざ俺のために花嫁修業をしたのだろう。食べさせてくれ」

「それは……!」


 予想もしない要請に、困惑し、慌ててしまう。


「もちろん、無理にとは言わない」

「そういうわけではありませんが……よ、よろしいのですか。外で食べたほうがずっと美味しいと思います……」


 自信がなくて、声が尻すぼみになってしまう。


「少なくとも匂いは、うまそうだ。それに、繕いもしっかりできているんだ。料理のほうも問題ないんじゃないか?」


 ――せっかく景虎様がこう仰ってくださってるんだから。


「そちらを召し上がってください」

「これはお前の分だろう」

「そのつもりでしたが、景虎様はこれから出勤されますよね。お時間もないでしょうし。どうぞ。私はのちほどゆっくり頂きますので」

「そうか。すまない」


 景虎は美しい姿勢で正座になると、手を合わせ、「いただきます」と食事をはじめる。


 まずは味噌汁から。


「具材は大根です」


 向かいに座った沙苗は、緊張の面持ちでじっと見つめてしまう。

 花嫁修業で最低限の料理は習ったが、沙苗の作った食事を女中たちは手をつけてはくれなかった。


 結局、自分で作って自分で食べただけだったから、こうして料理を誰かに食べてもらうのは、生まれて初めて。


 味見はしているから不味いということはないだろうが、景虎がどう思うかはまた別の話。

 

 景虎が味噌汁に口をつける。


「いかがですか?」

「美味い。しっかり出汁の味が出ているな」

「良かったです」


 景虎は焼き鮭を箸でほぐして口に含み、ご飯を食べる。


「ご飯もちょうどいい硬さで、美味い。焼き鮭の焼き加減もちょうどいい」

「お世辞ではなくて、本音でお願いしますっ」

「不味いものを無理して食うほど、食には困ってはいない」

「実は、玉子焼きは少し焦がしてしまって……それはどうですか?」

「気にするほどではない。十分、うまい」


 景虎はあっという間に朝食を食べ終えてしまう。


「ごちそうさま」

「御粗末様でございました」


 食器を片付けようとして手を伸ばすと、景虎も同時に食器に手を伸ばす。

 危うく手が触れかけ、バチッと二人の間で火花が散った。


 はっとして手を引っ込める。


「大丈夫ですか?」

「問題ない。お前こそ」

「触れてなかったので大丈夫です。私が片付けますから。今、白湯をお持ちしますね」


 食器を片付けて水を溜めた桶に浸け、水を火に掛け、湯飲みに注ぐ。


 ――今日、お茶葉を買いにいこう。


 花嫁修業でお茶の淹れ方も勉強した。白湯では味気ないだろう。


「どうぞ」

「すまない」


 景虎はほとんど表情は変えない、冷ややかな仏頂面なのに、お礼をきっちり言ってくれる律儀さが、可愛いなと感じた。


 玄関のほうで「おはようございます」と、声がかかった。


 沙苗は玄関に立った。


「おはようございます、三船様」

「様づけなんて、おやめください。三船で結構でございます。大佐は?」

「景虎様でしたら……」

「来たか」


 景虎が居間から出てくる。


「いってらっしゃいませ」


 沙苗は三つ指をついて見送る。


「基本的に帰りは遅くなる。待ってないで寝ていろ。それから、今日から朝はお前の料理を食べたいと思うが、どうだ? 無論、作るのに抵抗がなければだが」


 沙苗は自然と目を細め、笑みに口元をほころばせた。


「作らせていただきます。お夕飯はどうしますか?」

「帰りの時間は不規則になる。無駄にしてしまう可能性もあるから朝食だけで構わない」

「かしこまりました」


 沙苗はいつものように門前まで景虎たちを見送った。


 ――景虎様が私の料理を美味しいと言ってくれた!


 景虎たちをのせた馬車を見送りながら、喜びのあまり小さく跳びあがった。

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