第6話 半妖の身体

 どこをどう進んだのか、沙苗には正直、自動車に乗っている間の記憶がほとんどなかった。疲れ果てて眠ったのか、はたまた気を失ったのか。


 景虎に声をかけられ目覚めると、辺りはすっかり夜で月明かりに照らしだされた大きな平屋建ての屋敷の前にいた。


「……こ、ここは……?」

「帝都。帝のおわす、この国の都だ」

「てい、と……」


 一足早く景虎は車から降りると、助手席側の扉を開けてくれる。


「顔が青いぞ。平気か」

「私なら、平気です……。み、みんなは?」


 木霊たちはぴょんぴょんと飛び上がって、元気だと教えてくれる。


「自分より木霊の心配か」


 ――呆れられちゃった……。


「……すみません」

「どうでもいいから、さっさと下りろ」

「は、はい」


 沙苗は車から降りたが、馴れない自動車での移動のせいか地面を踏みしめた途端、軽い眩暈を覚え、体勢を崩してしまう。


「掴まれ」


 景虎が手を差し出してくれる。


「ですが、景虎様は人に触れられるのが嫌だと」

「病人は別だ。今のお前は病人並にひどい顔色だ。さすがにそんな相手にまで厳しくは言わない。だから、掴まれ」

「すいません……」


 しかし景虎の手に触れた瞬間、火花が散った。


「あああっ!」


 沙苗はまるで鋭い何かに手の甲を貫かれるような激痛を覚え、手を押さえたまま、その場にうずくまってしまう。

 手を見ると、掌が真っ赤に焼け、血が滲んでいた。


 ――な、なに、今の痛み……。


「おい!」


 景虎は明らかな異常に、沙苗の体を支えようと触れる。

 しかし景虎が触れた場所からさらなる痛みに襲われた。あまりの痛みに、足元から崩れ落ちてしまう。

 触れられた場所を見ると、着物が真っ赤に濡れていた。

 あたりに鉄錆の臭気が漂う。


 ――これは、血……?


 心臓がばくばくと痛いくらい脈打つ。


「……あやかしの気配がずっとついてまわっていたから木霊だと思っていたが、違っていたようだな」


 景虎は、沙苗の血で汚れた白い手袋を見つめながら独りごちた。

 脂汗に全身を濡らした沙苗がぼんやりしながら顔を上げると、真っ赤な瞳とかちあう。

 心臓を鷲掴みにされるるような心地になり、体が強張る。


 ――……私、怖がってるの?


 いや、怖がっているのは沙苗ではない。

 沙苗の中のあやかしの血が、目の前にいる狩人に怯えているのだ。


「お前は一体何者だ」

「わ、私は……」


 景虎の手が、腰に帯びた刀の柄にかかっていた。

 もはやこの状況で何を言っても、言い逃れはできないだろうし、景虎がそんなものを許してくれるとも思えなかった。


「……半妖です」


 景虎は舌打ちをする。


「春辻は俺をたばかったのか」

「お、お許しください……」


 沙苗は身を縮こまらせ土下座をして、許しを乞う。今の沙苗にはそれしかできない。

 その一方で、どこかでこのまま殺されても、とも考えていた。


 自分は半妖。その苦しみは一生ついてまわる。

 それを理解してくれるような人間とも会うことはないだろう。

 このまま離縁されて、あの地獄に戻るくらいならば、いっそこの場で斬られたほうがいいのではないか。


 木霊たちがまるで、沙苗をかばうように立ちはだかった。立ちはだかると言ってもそもそも掌ほどの大きさしかないけれど。


「みんな、大丈夫。覚悟はできてるから……」


 しかし膨れあがっていた殺気がふっとなくなる。


「立て」

「は、はい」

「早くしろ」


 苛立った声に慌てて従う。痛みのせいで脂汗が背筋を伝う。


「治療道具が家にある。来い」

「……家に入ってもよろしいのですか?」

「お前との婚約は勅命によってなされた。何の事情も聞かずに斬って捨てるようなことは許されない。いいから、来い」


 景虎は自動車から旅行鞄を二つ手に取ると、屋敷へ入っていく。


「わ、私が持ちます」

「その傷でか?」


 沙苗に選択肢などなく、彼に従う。

 長らく留守にしていただろう。

 家の空気は冷え切り、強張っているように感じられた。


 玄関で履き物を脱ごうとするが、真っ暗なせいでなかなかうまくいかない。

 こうして履き物を履くという単純なことさえ、座敷牢生活が長かった沙苗にとっては不慣れだ。


 もたついている沙苗を見て、景虎が掌を差し出せば、不意に辺りが青白い照らされた。

 沙苗ははっとして息を呑んだ。

 景虎が差し出してきた右手の上に、青白い炎が浮き、その淡い光が足元を照らしていた。


「これで見えるか?」

「あ、ありがとうございます。その炎は……」

「霊力で出しているだけだ。そんなことはどうでもいいから、さっさと脱げ」


 足元を照らしてくれたおかげでどうにか靴を脱げた。

 景虎は居間へ入ると、部屋が明るくなった。

 沙苗はぽかんとした顔で、それを眺める。


「……これも、霊力、ですか?」

「電気だ」

「でんき……? 火とは違うのですか」

「触るな」

「し、失礼しました……っ」

「たしかにあんな田舎だからな。電気はまだ通じていないか」

 少なくとも離れでは、灯りといえば日射しか月明かり。蝋燭さえ許されなかった。

「電気に不慣れなら、洋灯ランプもある。使いやすいものを使え」

「分かりました。あの……他の方々は?」

「他?」

「こちらのお屋敷で働く方々です」


 この屋敷は春辻の家よりもさらに広いかもしれない。

 そうであれば住み込みの女中がいてもおかしくないのに、主人である景虎が帰宅したというのに誰も迎えにでないのはおかしい。

 それどころか、家には人の気配というものが一切なかった。

 沙苗はそれを怪しんだのだ。


「女中ならいない。ここには俺が一人で住んでいる」

「通いの女中もいらっしゃないのですか」

「そうだ。そこに座って待っていろ」


 景虎は席を外すと、しばらくして水の入った桶と、薬や包帯を持って来る。


「手伝ってやりたいが、俺が触れるとまたひどい傷になるだろうからな」

「でもどうしてこんな傷に……これまで、こんなことなかったです……」

「俺の霊力のせいだろう。天華は平安の世より、あやかしを斬る一族で、特別強い力を有している。それゆえ、俺の霊力で傷ついたんだ」


 清潔な布を水につけ、しっかり絞る。

 そして傷から滲む血を綺麗に拭う。傷口に染みて、ズキズキと痛んだ。


「これは消毒液だ。これで傷を綺麗にしろ。感染症を予防する。半妖が病にかかるかどうかは分からないが」


 言われた通りにしてから、包帯を巻きつけ、留める。

 それから着物をくつろげ、肩口を露わにする。

 景虎の手の形に肌が真っ赤に爛れ、血が滲んでいた。

 そこも水で血を綺麗に落とし、それから消毒液を塗布する。

 しかし包帯が巻けない。


 ――どうしよう……。


 沙苗が困っていると、木霊たちが包帯を持ち上げたかと思えば、ぴょんっと体にとびのってくれる。そして肩口に包帯を巻いてくれる。


「みんな、ありがとう」


 木霊たちが照れると、ぎゅっと抱きしめてくれる。


「で、なぜ半妖が霊護の家にいる?」


 沙苗は事情を説明する。

 と言っても、全て実家で女中たちがひそひそと沙苗の出自について噂をしていたことを繋ぎ合わせたものだから、間違いはあるかもしれないが。


 何と言われるだろうか。実家で経験した時のように、気持ち悪いと罵倒されるのだろうか。不安を覚えながら話し終え、景虎の言葉を待つ。


「不用意なことを聞いた。許せ」


 沙苗は耳を疑った。


「い、いいえ。疑問に思われるのは当然ですから」


 景虎に謝られ、沙苗はただただ恐縮してしまう。


「……それにしても、その半妖の体でこれまでどう家族と接してきた? 父親と妹には大したことはないが、霊力があった。俺に触れられた時ほどひどくはないだろうが、痛みくらいは感じていただろう」

「それは……」


 沙苗は言葉につまってしまう。

 家族とは一度も接触を持ったことがない。

 もしこのことを知っていたら、父親は景虎に沙苗を嫁がせなかったはず。


 つまり沙苗が生まれてから、父は一度も触れたことがなかったということになる。

 だから沙苗の体が霊力を持つ者に触れられると傷つくということを知らなかったのだ。


「景虎様。お願いがございます」

「何だ?」

「何でもいたします。どんな辛い仕事もやります。ですから、どうか、婚約を破棄しても追い出さない手ください。こちらのお屋敷においてください!」

「お前がたとえ半妖でも、婚約者であることに変わりはない」

「で、ですが、狩人の妻が……その……半妖では、外聞が悪いのでは」

「黙っていれば気付かれることもない。強い霊力を持つ者と接触しなければ、普通の人間と変わらぬだろう。そもそも俺は帝の命がなければ、婚約をするつもりはなかった。仮にお前を離縁したとしても、別の女との縁談が持ち上がるだけだ」

「……では、私はここにいてもよろしいのですか」

「お前としても里に戻されるのは望まぬようだしな。この婚約は、互いに利がある契約のようなものだ」

「……契約……」

「不服か?」

「いいえ。ありがとうございます。おいていただけるだけで、ありがたいことでございます!」


 沙苗は心の底から礼を述べる。


「ついてこい」


 景虎は立ち上がると、屋敷の奥に向かっていく。と、その時、縁側を通りがかったのだが、庭の様子に思わず目を瞠り、立ち止まってしまう。


「どうした?」

「……お庭がすごい……ですね」


 月明かりに照らされた広々とした庭は雑草が伸び放題になり、庭木も手つかずで自由に枝葉を伸ばし、ちょっとした森のような様相を呈していた。


「ここへ寝て帰ってくるだけだからな」

「……庭師を呼んだりは?」

「しない。信用できぬ人間を家へ立ち入らせるつもりはない。お前もそれだけは守れ」


 景虎の声が低くなる。


「か、かしこまりました」


 案内された部屋は十畳ほどの広間だ。そこには箪笥や文机などの家具の他、布団が一組、置かれている。


「今日からここがお前の部屋だ。家の中では一番日当たりがいい。布団はそれを使え。風呂は?」

「この傷、ですので」

「分かった。今日はもう休め」


 景虎は旅行鞄を部屋の隅へ置くと、部屋を出ていった。

 座敷牢での生活を考えると、この部屋は持て余すほど広い。


 さっそく広い部屋に昂奮を隠せない木霊たちがおいかけっこをしたり、ごろごろと転がったり、と遊び始める姿に、くすっとした。


 ――こんなに広い部屋を私に……。


 その上、離縁をしないでいてくれる。

 それが沙苗への配慮でなくても関係ない。ただ嬉しかった。


 沙苗は布団を敷く。

 厚みがあって、ふんわりして、柔らかい。

 繕ったあともなければ、湿気を吸ってぺしゃんこでもなく、真新しい匂いがした。

 わざわざ沙苗のために新しく用意してくれたものなのだろうか。


 自分のために用意してもらえたという事実が嬉しくて、ぐずぐずと鼻を鳴らして涙ぐんでしまう。

 怪我に気を付けながら着物を脱ぐ。それから鞄をのぞくと、いくつか地味な色合いではあるものの、上等な着物が入れられていた。

 中には浴衣や肌襦袢などもある。


 ――これまでのことを考えれば、上等すぎる嫁入り道具ね。


 着物と肌襦袢を脱ぎ、浴衣を着る。

 木霊たちと一緒に布団に潜り込むと、すぐに温かくなる。

 考えることは、景虎のこと。


 愛するつもりはない。妻としての献身を求めない。彼はそう告げた。

 もちろん、愛を求めるつもりもない。

 ただ、沙苗にとって、名も知らぬ美しい青年――景虎は幼い頃からの心の支えであり、初恋の人でもあった。


 沙苗は半妖である自分を斬らずにいてくれた彼のために出来る限りのことをしようと、胸に決めた。

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