04 新しい生活
……私はかつて、アストルテアに召喚されたことがあります。
日本政府によって特区が制定されるよりも、ずっと前の話です。
以前のアストルテアは魔王が支配する荒廃した世界でした。
私は選ばれた勇者として、現地の仲間たちとともに戦って魔王を倒したのです。
魔王は最後の力を使い、私を地球に強制送還する魔術を発動しました。
打ち上げられた私はアストルテアの空から、瘴気の荒地や毒の沼が緑地に変わっていく様を眺めていました。
直後に地球のゴミ溜めへと放り出されたのですが、その時のわたしはボロボロで、精も根も尽き果てていました。
このまま、ゴミに埋もれて死んでしまうのではないかと思ったほどです。
重いのです、なにもかもが。
月の重力に慣れた宇宙飛行士が地球に戻ってきた時のように身体は重く感じ、腹の中に鉛を詰められたように心は沈みきっているのです。
これは、アストルテアでの戦いで燃え尽きたせいだと思っていました。
でもそれは思い違いだったことが、昨日ハッキリとわかったのです。
もう二度と赴くことはないと思っていた、アストルテアの地。
その地をマドカさんの誘いで再び踏みしめた瞬間、眠っていた心身が目覚めたかのように力が満ちてきたのです。
地球では、枷をはめられているように身体がうまく動きません。
理不尽な暴力を振るわれても、嵐が過ぎ去るのを待つように身体を縮こませることしかできませんでした。
でも、アストルテアでは違います。
酒場の地下でチンピラたちと大立ち回りを繰り広げている最中、こんなことを考えていました。
――私は、こんなにも強かったのか……。
ブランクがあるので、全盛期ほどのキレはありません。
それでも理不尽な暴力に抗えるだけの力はあったのです。
それは不思議な感覚でした。この感覚をもう少しだけ確かめてみたかったのですが、マドカさんがアストルテアから地球に戻ったこととで、ゲストである私も強制送還となってしまいました。
私は特区ステーションから出たあと、その日は公園で一夜を明かし、次の日にダンボール箱をひとつ持ってキヨキ工業を訪ねました。
キヨキ工業は世田谷区のはずれ、雑居ビルと雑木林に囲まれた古びた町工場でした。
そこでは鍋や包丁などの金属製品を作っているようで、工場内にいたハジメ社長は機械の不調に頭を悩ませているようでした。
しかし私を見るなり両手を広げ、温かく迎えてくれました。
「キミが
ハジメ社長のご厚意により、働き口だけでなく併設された家に下宿させてもらえることになりました。
そこは物干し台や縁側つきの広い庭がある日本家屋で、オール板間と畳敷き。とても趣があったのですが……。
昔ながらのタイル張りの台所には、思いもよらぬ人物がいました。
「娘のマドカだ! おいマドカ、アユムくんを部屋に案内してやってくれ!」
娘として紹介されたのは、なんと私を特区に誘ったギャルでした。
彼女は朝食の仕度の真っ最中でエプロンをしていましたが、その下の服装は白いブラウスにリボン、チェックのミニスカートだったので明らかに女子高生だというのがわかります。
そして同時に、彼女がネイブルランドの酒場で逃げるように去っていった理由がわかりました。
マドカさんは私を空き部屋まで連れていくと、後ろ手でピシャリと戸を閉めながら言いました。
「あたしのバイトのこと、Vさんから聞いた?」
「はぁ……」
「だったら、オヤジにはナイショにしてて。絶対だよ? 言ったら殺すし」
私の鼻先にオタマを突きつけ凄むマドカさん。瞳にはドクロマークが浮かび上がっていました。
「ってか、オヤジもなに考えてんだか……。きっとあたしみたいな若い子に声かけられて、ホイホイついて行ったんだろうけど……。オフクロがいないからって、ったく……」
マドカさんはどうやら、あの酒場に父親がいたことが不満でたまらないようでした。
その矛先が、こちらにも向きます。
「それにうちは倒産寸前だってのに、なんでまた新しいのを拾ってくるかなぁ。捨て猫を見つけた小学生かっつーの。あたしのバイトでやっとゴハンが食べられてるってのに、ったく……」
「ああ……マドカさんは、家計を助けるためにアルバイトをしてたんですね……」
「そうだし、ってか学生がバイトするのにそれ以外の理由なんてあんの?」
いくらでもあると思うのですが、口には出せません。
マドカさんは今風のギャルの見た目なのに、考え方は苦学生のようです。
彼女は話題を変えるように、私が抱えているダンボール箱に視線を落としました。
「ところで、荷物そんだけ?」
「はぁ……」
今朝ここにくる前に、ダメ元で追い出された社員寮を訪ねてみました。
私の部屋にあったものは本当になにもかも売っ払われていたのですが、売れなかったものがゴミ捨て場にあったので、拾い集めてダンボール箱に詰め、こうして持参したのです。
床に置こうとしたら足がもつれてしまい、中身をタタミの上にぶちまけてしまいました。
「あ~あ、なにやってるし!」
「すいません……」
「ん? この手帳なに? したいしたいリスト……?」
「あ、それは……」
私は幼少の頃から異世界に憧れていました。
異世界に行ったらなにをしたいのか、それをしたためたのが『したいしたいリスト ~異世界編~』です。
その後、アストルテアに召喚されたのはよかったのですが、荒廃した世界ではリストに書いてあることはなにひとつできませんでした。
いまのいままで、リストの存在すら忘れていたところでした。
こんな手帳を持っていることがバレたらマドカさんにバレたらバカにされると思ったのですが、
「ふぅん、アユムっちは特区でしたいことがあるんだ。なら、すりゃいいじゃん」
「えっ……?」
マドカさんは押し入れのふすまに寄りかかります。どこまで話していいものか悩むように、ルージュの引かれた唇にひとさし指を当てていました。
それから言葉を選ぶように教えてくれたのは、マドカさんには
そのうちのひとりである妹さんは、ずっと入院しているそうです。
「妹は特区に一度も行ったことがないんだけど、特区が好きみたいなんだよね。あたしが特区でバイトするようになったのはゴハン代を稼ぐってのもあるんだけど、ホントはそこでの体験を妹にしてあげたかったからなんだ。そしたら、妹は外に出る気になってくれるんじゃないかと思って……」
「はぁ、そうだったんですか……」
「うん。変わったバイトのほうが面白いことが体験できそうだから、なんかないかって友達に頼んでみたんだけど……。まさか、あんなヤバイのとは思わなかったし」
マドカさんは足元にあった手帳を拾いあげると、私の胸を小突く勢いで差し出しました。
「ある人が言ってたよ。昔の人が戦争をしたのは、次に生まれてくるあたしたちが、したいことができる世の中にするためだって」
マドカさんは瞳に星マークを浮かべています。
そのキラキラした瞳で、星屑が散るようなウインクをくれました。
「だからさ、アユムっちもしたいことがあったらしなよ! それで、その話をあたしに聞かせて! 面白かったら、妹にも話して聞かせるし!」
「はぁ……」
私の返事が気に入らなかったのか、マドカさんは一気に不機嫌になってしまいます。
「……ったく! アユムっちって初絡みの時からそうだったけど、なんでそうやる気ねーし! もしかして、ハラ減ってんの!?」
マドカさんは答えを待たず、私のネクタイを掴んでぐいぐいと廊下に引っ張りだしました。
「朝ゴハンの準備ならもうできてるから、さっさと来るし! あ、居候なんだから、六杯目はそっと出すこと! いい!? あとうちは、ゴハン中はスマホ禁止だから!」
「はぁ……私、スマホは持ってなくて……」
「えっ、マジ!? いまどきスマホ持ってないなんてヤバくない!? まあ、あたしも持ってねーけど! お金掛かるし、使い方もよくわかんねーし!」
ケラケラ笑いながら引きずられていったのは、昭和の名残を色濃く残している茶の間でした。
20人は座れそうな掘りごたつの座卓に大きなブラウン管テレビ、茶箪笥やストーブが置かれています。
座卓の上にはアジの開きや納豆、豆腐のみそしる、山盛りのおからやひじき、野菜サラダ。
上座には作業服のハジメ社長、その側らには同じ作業服姿の男性2人が着席していました。
「おお、アユムくん! 座って座って! 朝はみんなで食べるのがこのキヨキ工業のルールだからね! あ、そうそう、こっちは
紹介されたのはどうやら社員さんのようです。ドワさんはずんぐりむっくりしていて、ホビさんは社長以上に小柄でした。
男性陣はみんな背が低く、マドカさんと並べると白雪姫と小人のようです。
「以前はこの座卓がきゅうくつに感じるくらいに社員がいっぱいいたんだけどね、いまはキミを含めて3人だけだよ! そのぶんたくさん食べて、しっかり働いてくれよ!」
「はぁ……」
住むところを用意してくれただけでもありがたいのに、まさか食事まで付いてくるとは思いませんでした。
キンガ重工に勤めていたときは忙しくて朝食を食べるヒマなんてありませんでしたから。
というかコンビニ弁当やカップ麺ばかりだったので、こんなまともな食事もひさしぶりです。
あたたかいみそ汁をすするとお腹がぽかぽかして、思わず泣きそうになってしまいました。
「ほらほらアユムっち、なにボーッとしてんの! アユムっちは弱っちいんだから、ちゃんと食わなきゃダメだし! ってオヤジ、ゴハン中はスマホ禁止だってルールっしょ!」
マンガに出てきそうな山盛りのごはんを私の前に置きながら、ハジメ社長のスマホを取り上げるマドカさん。
食べ盛りの子供のようにガッつくドワさんとホビさん。
こんなに賑やかな食卓も、ひさしぶり……いや、初めてかもしれません。
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