第1話『Serial killer』 <16>

 時任暗児が潜伏している可能性のある廃ビルを特定することに成功した僕たちは、車を飛ばして現地へと向かった。


「ここか……」


 廃ビルは、使用されなくなってから久しいようでところどころ塗装が剥げ落ち、全体的に黒ずんでいる。向かい側には、目を象ったロゴマークの眼科の看板が光っている。

 被害者の真鍋愛美にとっては無意識の行動だっただろうが、彼女の残した記憶のおかげで凶悪な連続殺人鬼(シリアルキラー)を追い詰めることができるかもしれない。

 これは通常の捜査では決して発見できなかった手掛かりであり、世間が決して認めないであろう魔法捜査の成果と言える。僕としてはこれを事例として魔法の有用性を主張し、少しでも魔法使いの待遇の改善を進言したいところだが、お偉方は耳を貸さないだろう。


 すでに深夜に近い時間。人通りはほとんどない。欠けた月の明かりが路地を照らしている。

 都内屈指の繁華街から少しばかり離れたところにあるため、たまに幹線道路を走るバイクの走行音や車のクラクションの音が聞こえる程度で、静寂と言っても差し支えない。

 被害者たちがこの時間帯に拉致されたのであれば、少しばかりの悲鳴を上げたところで誰にも届かないだろう。ましてや魔法を使って拘束されたなら、常人に抗うすべはない。それをいいことに時任暗児はこの近辺を縄張りとして獲物を狩り続け、この廃ビルで凌辱と殺戮を繰り返した。そんな推理が頭をよぎる。

 そして、その遺体をあえて被害者の住まいの近くに、まるでゴミのように遺棄した。想像しただけで怒りが込み上げてくる。


「大丈夫ですか、捜査官殿?」


「ええ、もちろんです。行きましょう」


 ゴツン。


「いてっ」


 勇んで一歩踏み出したところで、ガラス扉に頭をぶつけたような衝撃が走る。

 な、なんだ……?

 何にぶつかったのか理解できずに、戸惑いながら何もないはずの空間に手を伸ばす。

 すると――


「こ、これは……!」


 差し出した手のひらにひんやりとした触感。もう片方の手も当ててみるが、同じく見えない壁に阻まれて、そこから先へ進むことができない。


「それは結界ですよ、捜査官殿」


 アルペジオによると、この廃ビルには魔法による結界が張られていて、普通の人間はもとより、魔法使いでも結界を解除しない限りは入れない仕組みになっているそうだ。

 結界には認識阻害の魔法が付加されているため、僕たちのように意識的に廃ビルを調査しようと思わなければ、そもそも廃ビルの存在そのものに気づかないという。

 わざわざこんな手の込んだ細工を施しているということは、この廃ビルに連続殺人鬼(シリアルキラー)・時任暗児が潜伏している可能性がいよいよ高まってきた。そして、もう一つわかったのは、時任暗児は欲望にまみれた猟奇的な性質を持つ一方で、このような緻密な結界を施す警戒心も持ち合わせているということだ。


「魔法で張られた結界は魔法で破るしかありません。捜査官殿――」


 促されて、僕はオラクルを手にする。


「捜査官から管制官に連絡。被疑者が潜伏している可能性のある廃ビルを発見。魔法による結界が張られているため、進入できません。魔法の使用を許可願います」


「魔法による結界の存在を確認。使用者・魔法使いアルペジオ。魔法使用制限解除LV1。     結界解除魔法『アンシーリング』の使用を許可する」


 相も変わらず事務的な対応。この廃ビルの場所を特定するにあたっては彼女の助言に救われたけど、こうして本来の管制官の役割に戻った彼女は、やっぱり鉄の女だ。


「LV1ですか。いよいよ凶悪な連続殺人鬼とご対面ってときにLV1って……」


「何か文句でも?」


「あ、いえ。では、魔法使用制限解除LV1。結界解除魔法『アンシーリング』を使用します。グリムロック解除」


 グリムロックを解除すると、アルペジオが目を閉じ、見えない壁に向かって手をかざし、何やら呪文を唱える。呪文は魔法使いが集中力を高めるための一種の自己暗示であり、呪文そのものに意味はないという説もあるらしいが、実際のところ誰もその仕組みを解明するには至っていない。

 その意味があるかどうか得体のしれない呪文をアルペジオが唱え終えると、目の前に見えなかったはずの壁が一瞬、顕在化する。そして、ガラスが割れるように音を立てて弾けて消えた。


「お? お!? おお~……!」


 手を当てて見ると、不可侵だったはずの領域にすっと手が入る。先程、頭をぶつけた痛みを思い出しながら恐る恐る身体を前に進めると、何の抵抗もなく一歩、そして二歩と足を踏み出すことができた。

 先だってダイブした際に身をもって魔法を体験済みとはいえ、あれは死者の脳にアクセスするという非現実的なもので、何だか夢うつつだった。しかし、こうして現実世界でまざまざと魔法を見せられると何と形容すればいいだろうか……。脳がバグりそうになる。


 魔法とは、いったい何なのか?

 改めて沸々と疑問が湧く。だが、世界中の科学者が総がかりでも解けない謎を凡人である僕に解けるはずもない。そういうものだと割り切らないと本当に頭がどうにかなりそうだ。


「管制官から捜査官へ連絡。前方の廃ビルから複数の高レベル魔力反応あり。被疑者の他に、被疑者が放った魔法生命体(ゴーレム)の存在が想定される。使用者・魔法使いアルペジオ。魔法使用制限解除LV20。廃ビル内にいる魔力を持つ存在をただちに殲滅せよ」


「さっきはLV1だったのに、今度はLV20で皆殺しのご命令ですか。だったら小出しせずに最初からババーンと気前よく許可してほしいもんですね」


「聞こえているわよ」


「聞こえるように言ったんです」


 今度は僕のほうから一方的に通信を切る。

 この廃ビルの中には幾人もの女性たちを辱めたうえに殺害した連続殺人鬼がいるかもしれないというのに、機械的に指示を出すだけの現場にいない管制官にも、その管制官のコントロール下でしか行動できない自分自身にも腹が立って、思わず衝動的な言動をしてしまった。


 管制官と言えば、キャリア中のキャリア組。毎年入庁する人材の中でも最も優秀な者だけが選抜されるエリート。オラクルの向こうにいる鉄の女は、間違いなく僕よりも階級が上だ。

 警察組織の中で階級は絶対である。先輩も後輩も年齢も関係ない。階級が絶対的な権勢を振るうのだ。今までの僕なら上に逆らうような真似をすることは決してなかっただろう。それなのに……。

 やはり、どうやら魔法犯罪捜査係に配属されて以来、僕の人生は確実にズレていっているようだ。


「ははは。あなたは面白い人ですね。これまで、いろんな捜査官を見てきましたが、あなたのようなタイプの人は初めてです」


 褒められているのか馬鹿だと思われているのかわからないけれど、アルペジオの人懐っこい笑顔を見ている限り、悪い評価ではないのであろう。

 ここからは連続殺人鬼(シリアルキラー)・時任暗児の領域(テリトリー)だ。どんな狡猾な罠が待ち受けているかもしれない。笑っていられるのも、これが最後かもしれない。

 僕は決意を込めて、グリムロックの解除を宣言した。


「魔法使用制限解除LV20。グリムロックを解除します」




次回更新は来週金曜日12:00を予定しています。

どうぞお楽しみに。

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