第1話『Serial killer』 <5>

 世田谷区にある被害者宅に到着した時刻には、すでに日が暮れ始めていた。

 平時なら多くの家庭が夕食の支度をしている時刻であり、家の中はその日のおかずの匂いで満たされている頃だ。

 だが、被害者宅は悲痛で重苦しい空気が支配していた。


 一連の連続殺人の新たな犠牲者となったのは、成人したばかりの女性だった。

 父親も母親も愛しい一人娘が無残な死を遂げたことを受け入れることができずに、うつろな瞳で宙を見つめているばかりだ。そんな被害者遺族を訪問した理由は、被害者の遺体を使って魔法捜査をおこなうのに事前に親族の許可を取るためだった。


 犯人の手口は異常としか言いようがないものであった。

 年齢に関係なく女性を襲う。何の痕跡も残さずに衣服をはぎ取り、四肢を切り落す。そして、そのあと被害者の生死を問わず、ゆっくりと何度も犯すのだ。

 遺体が発見された場所は被害者の玄関前で、ゴミのように放置されていたという。被害者の損傷に対して血痕が少ないことから、殺害現場は別の場所と判断された。

 犯行の異常性。常軌を逸した凶行。過去の犯罪歴と遺体に残された精液をDNA鑑定した結果、浮かび上がったのは時任暗児(ときとう あんじ)、34歳。

 証拠は充分。犯人が時任暗児であることは99%間違いない。


 にもかかわらず、警察の必死の捜査もむなしく連続殺人に至らしめたのは時任暗児が後天的に魔法使いに覚醒した可能性が高く、首輪――グリムロックを付けておらず、居場所を特定できないためだ。

 グリムロックにはGPS機能が搭載されており、いつどこに誰がいるのかを24時間体制で監視することができる。魔力を有する危険人物には人権もプライバシーも一切ないわけだが、当事者以外にこの措置に異論を唱える者はいない。


 時任暗児は、後天的に魔法使いになった強制覚醒者である。それが捜査一課の出した結論だ。時任が現在34歳であることと、過去に逮捕されたときに魔力が検出された記録がないことが根拠になっている。

 犯行をより円滑に、より残忍におこなうため、自ら魔法使いになる道を選択した男。世の中には生まれ持った魔力のせいで苦しんでいる人たちもいるというのに、自らの異常な快楽のために魔法使いになる道を選んだ男。それが僕の考える連続殺人鬼(シリアルキラー)・時任暗児像だ。


 そんな連続殺人鬼(シリアルキラー)をいつまでも野放しにしておくわけにはいかない。

 事件の早期解決のためにも、心苦しいが被害者の父、佐藤史博(さとう ふみひろ)に協力を依頼することにした。

 しかし、リビングに通されて挨拶したところで、被害者の父親は僕たちがただの警察官ではなく魔法犯罪捜査係の捜査官と魔法使いだと知り、怒声を上げた。


「お前たち、魔法警察か!!」


 魔法警察とは、魔法犯罪捜査係に対する畏怖と侮蔑を込めた呼び名だ。

 一人娘を無残に殺されたやるせない怒りの矛先をようやく見つけた父親が、ここぞとばかりに吠え立てる。

 狂気をたたえた形相。目は血走り、歯を猛獣のようにむき出しにし、顔は汗と涙とよだれにまみれている。

 理不尽にも娘を凌辱の果てにゴミのように門前に捨てられた父親の怒りは計り知れない。僕を殴って、少しでも気が晴れるのなら殴られてもいい。それぐらいの覚悟はできている。

 僕はぐっと歯を食いしばった。


「魔法なんてものが存在しなければ、娘は死なずに済んだんだ! 犯人も! お前たちも! 魔法に関係するやつらは、全員殺してやる!!」


 どういう基準で標的を選んだのかは知る由もないが、父親の怒りの拳は僕ではなく、アルペジオめがけて弧を描くように振り下ろされた。

 誰だって痛いのは嫌だ。当然、彼は避けるだろうと思ったのだが……。

なんと真正面から顔面で父親の怒りを受け止めた。


「ぶふぅ!?」


 避け損ねたのか、あえて拳を顔面で受け止めたのかは定かではないが、アルペジオはとても警察組織に所属する人間とは思えないほど、あっけなく、情けなく、それは見事に吹っ飛んだ。スローモーションのように宙に浮いて、それから3メートルほど先にある壁に衝突して、頭から落ちた。子供の頃にアニメで見たような滑稽なシーンを現実にお目にかかれる日が来るとは夢にも思わなかった。


 ……弱い。

 ……いくらなんでも、あまりにも弱すぎる。


「いたたた……。痛いだろうなぁとは予測していましたけど、メチャクチャ痛いですね、これ」


 見ると、前歯が1本欠けている。鼻血もドバドバ。見るに堪えない。

 これが怪物と恐れられる魔法使いの実態なのか……?


 結局、佐藤家からは魔法捜査の協力を取り付けることはできなかった。

 収穫は何もなく、残ったのは前歯が折れて半べそのアルペジオだけだ。

 あのとき、アルペジオは拳を避けなかった。あれは被害者遺族の心の痛みを少しでも和らげるために、わざと殴られたのではないだろうか。

 僕はそのつもりで殴られる覚悟を決めていた。もし、アルペジオも同じ気持ちだったのなら、怪物と恐れられる魔法使いとも何とかやっていけそうな気がする。


「トホホ。酷い目に遭いました……。これって、労災認定されるんでしょうか、捜査官殿?」


 ……どうやら買いかぶりすぎだったようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る