恩讐の彼方で

夏野資基

恩讐の彼方で

 五平餅ごへいもちをご存じだろうか。炊いた米をつぶしてまるめて串に刺し、味噌や醤油のタレで味つけをして焼いたものである。

 信州のとある町に、地元住民に愛される老舗の和菓子屋があった。その和菓子屋は店主である五平ごへいの作る五平餅はとりわけ絶品で、店の売上の大部分を占めるほどの人気であった。門外不出で再現不可能のその味に魅了され、わざわざ遠くから買いにくる熱心な客もいるほどであった。

 尽六じんろくはそんな和菓子屋のひとり息子であった。店主である父親の作った五平餅が大の好物で、母親が呆れるほど五平餅をたくさん食べる子どもであった。

 五平餅の人気ぶりに乗じたのだろう。いつしか、とある大型商店が五平餅を売り始めた。しかも驚くことに、その五平餅は、和菓子屋のものと味も形もまったく同じだったのである。和菓子屋の店主にしか作れない五平餅の調理法は、いつの間にか盗まれてしまっていたのだ。調理法を盗んだ犯人には目星がついていた。長年老舗の和菓子屋で働いており、つい最近になって大型商店へ転じた広蔵こうぞうという男である。

 老舗の和菓子屋は、大型商店に勝てなかった。大型商店は多くの金と店を持っていた。同じ大きさで同じ味の商品を自分たちより安い値段で売られたら、ひとたまりもない。薄利多売の多店舗展開に押され、五平餅に売上の大部分を頼っていた老舗の和菓子屋は次第に赤字が続くようになった。大型商店を相手どり裁判まで起こしたが負けてしまった。そして大型商店の五平餅が全国どこでも買えるようになった頃、老舗の和菓子屋は、ついに店を閉めることになったのである。

 閉店によって、老舗の和菓子屋は崩壊した。店主の父親は広蔵に裏切られた悲しみと膨らんだ借金で首を吊ってしまった。尽六は母親に連れられて母親の実家へ移り住むことを余儀なくされた。和菓子屋のあった場所は売りに出されて更地になった。明るく朗らかだった母親は暗く泣いてばかりいるようになった。尽六は、広蔵にすべてを奪われてしまったのである。

 尽六は広蔵に恨みをつのらせ、いつか復讐することを誓った。


 尽六の家には、父親が首を吊って借金を帳消しにした後に遺った、わずかばかりの金しかなかった。だから尽六は必死になって勉強した。貧乏から脱出して金と権力を得るには、学歴が必要だった。

 ただ恨みを晴らすだけなら広蔵を殺すだけでよかった。しかしそれだけでは気が収まりそうになかった。広蔵は尽六から何もかもを奪っていったのだ。尽六も広蔵から何もかもを奪ってやりたかった。

 勉強をしていると、父親の五平餅が無性に恋しくなった。しかし大好きな五平餅の調理法は、死んだ父親と調理法を盗んだ広蔵しか知らない。再現しようも再現できず、かといって大型商店の五平餅を買うなんて情けないことも出来なかった。父親が首を吊ってから、尽六は五平餅を一度も口にしていなかった。

 やがて努力の甲斐あって、尽六は関東の名門国立大学に合格した。上京すると、勉学の合間に働いて生活費を稼いだ。恨み先の広蔵は大型商店で順調に出世し、今や社長になっていた。尽六は広蔵を叩き潰すために知恵と人脈を集めていった。恨みだけが尽六の原動力だった。

 そんな学生生活を送っていたとき、尽六は広美ひろみという名の女に出逢った。なんと広蔵の娘である。広美は尽六の後輩だった。尽六は広美を自分に惚れさせて、こっぴどく振ってやろうと考えた。だって尽六は何もかもを壊された。広蔵の何もかもを壊してやらなければ気が済まない。尽六が大学のことで色々と世話をしてやると、広美は尽六によく懐いて、やがて二人は本当に付き合うようになった。尽六は内心ほくそ笑んだ。

 しかし、尽六の計画は上手くいかなかった。広美が非常に魅力的な女性だったのである。背の高い尽六に張り合ってかかとの高い靴を履いてくるところがいじらしかった。お化け屋敷で半べそをかきながら抱き着いてくるところが可愛かった。自信満々に手作りケーキを渡してきたのに食べている尽六の反応を不安そうに窺ってくるところが面白かった。ハッピーエンドの映画を見て良かったねえ良かったねえと涙をこぼすさまに心を打たれた。尽六が塞ぎ込んでいると度数の高い酒を何本も買ってくるところが好きだった。酔ってふにゃふにゃ笑った顔が愛おしかった。

 広美は恨みばかりだった尽六の心に、愛情を注いでくれた。広美と居ると尽六の心はやわらいだ。心地良かった。幸福だった。打算で付き合ったはずなのに、これじゃあ返り討ちだ。

 いつしか尽六はすっかり広美に惚れ込んでしまっていた。もう後戻りできそうになかった。こっぴどく振るなんて、とんでもない。広美がいない人生なんて考えたくもなかった。恨みで動いていた尽六は最早どこにも居なかった。恋は尽六の恨みを粉々に打ち砕いたのだ。

 結局、二人は大学卒業後もずるずると付き合いを続け、やがて結婚の話が持ち上がり、とうとう尽六は広美の実家へ挨拶に行くことになった。

 広美の実家は、信州だった。そこは老舗の和菓子屋があった、かつての尽六の故郷であった。


 広美の家へ挨拶に行くと、尽六は広美の両親に手厚く歓迎された。広美の父親はもちろんあの広蔵である。尽六は父親が死んでから母親の旧姓を名乗っていたので、広蔵は尽六が和菓子屋の息子であることに気づいていなかった。

 広美の両親は、尽六と広美の結婚を喜んだ。広蔵に娘をよろしく頼むと言われ、思うところはあったものの頷いた。広美は幸せそうに笑っていた。挨拶が済むと昼食に誘われたので、尽六は広美の家族と食卓を囲んだ。

 しかし、そこで事件が起きた。なんと食卓に、五平餅が出てきたのである。

 出された五平餅は広蔵が社長を務める大型商店のものだった。今は自分の会社が全国販売しているけれど、もともと五平餅はこの地域の郷土料理だと広蔵が言う。尽六はそんなことずっと前から知っていた。だってその五平餅は、もともと尽六の父親がこの地で作っていたものだ。

 美味しいから、是非君にも食べてみてほしい。広蔵がにこにこ笑って勧めてくる。尽六は、五平餅が目の前に出てきてから動揺しっぱなしだった。正常な判断なんか出来るわけなかった。尽六は断り切れず、五平餅を、つい口に入れてしまった。

 口に入れた瞬間、涙がとめどなくあふれた。尽六の舌は父親が作った五平餅を憶えていた。五平餅は、形も味も、尽六の父親が作ったものだった。正真正銘、まったく同じものだった。自分が大好きだったあの五平餅の味だった。大好きな大好きな五平餅の味だった。

 すると、恋に打ち砕かれて粉々になっていた恨みが、急に息を吹き返した。恨みは尽六にささやいた。尽六、お前は誰にすべてを奪われたんだ? どうして今まで必死に努力してきたんだ?

 そうだった、自分は広蔵に復讐をするために生きてきたのだ。恨みは急速に尽六の心をどす黒く染め上げ、尽六を復讐の鬼にした。最早そこにはさっきまでの尽六は居なかった。そこには恨みだけが原動力の、あの頃の尽六がいた。

 尽六は食卓を掴むと思い切りひっくり返した。料理が床にぶちまけられた。たくさんの皿の割れる音がした。まるで強盗にでも遭ったような惨状だ。悲鳴を上げる広美と広美の母親を押しのけて、尽六は広蔵の胸倉を掴んだ。何がなんだかわからないとでも言いたげな広蔵に腹が立って、尽六は怒りをぶちまけた。

 自分は老舗の和菓子屋の息子である。五平餅はもともと自分の父親である五平が最初に作ったものだ。広蔵に調理法を盗まれて、自分たちの店は閉店に追い込まれた。父親は首を吊った。母親は泣いてばかりいるようになった。自分は故郷も好物も喪った。家は貧乏になり沢山の苦労をした。

 自分は、すべてを奪った広蔵に復讐するために、今まで生きてきたのだ。

 尽六は気付いたら広蔵に恨みのすべてをぶちまけていた。策略なんてあったもんじゃなかった。


 尽六の話を聞いた広蔵は、瞳に涙をためて罪を認めた。

 広蔵は五平餅が大好物だった。一口食べたときからすっかり魅了され、五平餅をより多くの人々に食べさせてやることが自分の使命であると信じるようになった。それほどまでに五平餅は広蔵にとって衝撃だった。

 広蔵は五平餅の調理法を知るために、尽六の父親である五平に弟子入りし、老舗の和菓子屋で働くようになった。しかし、何年働いても調理法を教えてもらえない。ならばと全国展開を持ち掛けるも、地元住民に愛されていればそれでいいと却下されてしまった。何度も説得を試みて、何度も失敗した。このまま働き続けても徒労に思えた。

 そんな折、大型商店で働く友人に一緒に働かないかと誘われた。広蔵は考えた。大型商店ならば、五平餅の調理法さえ知っていれば。多くの人に食べさせてやることができる。広蔵に、魔が差した。

 広蔵は五平が留守の間に調理法を盗み出し、大型商店に移った。大型商店で五平餅を作り、売りに売りまくった。五平に起こされた裁判も、大型商店の金の力で勝ってしまった。

 五平さんが店を畳んで自殺したと聞いて後悔している。五平さんやその家族には本当に悪いことをした。首を吊ってお詫びをしたい。だが、悪いのは私だけだ。どうか娘と妻だけは許してやってもらえないだろうか。

 広蔵はみっともなく泣き喚いて土下座をし、娘と妻の命乞いをした。広美と広美の母親は広蔵の所業を知るやいなや涙を流し、広蔵に倣って土下座をした。尽六は腹が立った。三人の健気さが嫌で嫌で仕方がなかった。だって、これじゃあ自分が悪者みたいじゃないか。悪人なら悪人らしく最後まで振る舞ってほしかった。

 恨みのやり場に困った尽六は食卓の周りも破壊しはじめた。テレビも棚もピアノも花瓶も全てなぎ倒す。そうやって破壊活動を行っていると、足元に写真立てが転がってきた。広蔵がたくさんの外国人とともに五平餅を美味しそうに食べている写真だった。広蔵は海外でも五平餅を売りだしており、いまや五平餅は世界中で愛される食べ物になっていた。

 世の中はいつだってそうだった。最初に誰かが始めたものに後から後からみんなが参入して、結局は安く沢山いろんな所で売ってる奴が勝つ。最初に誰が始めたかなんて、ほとんどが調べようともしない。自分の父親が良い例だった。父親の名を冠する五平餅は、もはや大型商店のものだ。五平餅を五平が最初に作ったことなんて、ほとんどの人が知らない。進んで調べようとも思わない。尽六にはそのことが無性に寂しく思えた。

 そうやって、弱者は強者に蹂躙じゅうりんされるしかないのだろうか? 強者におもねり易きに流れる人間たちを、そういうものだと諦めるしかないのだろうか? みんなの幸せのためなら一部の人間が不幸せになってもいいのだろうか?

 広蔵は、尽六がやれと言えば自殺してくれるだろう。金を寄越せと言えばいくらでも渡してきそうだったし、会社を寄越せと言えばすぐにでも明け渡してくれそうだった。そうなれば五平餅の販売中止だって不可能じゃないだろう。

 だけど、いまや五平餅は多くの人々に愛されていた。その人たち全員から五平餅を奪うのを考えると、大好きな五平餅をずっと奪われてきた尽六にはとても出来そうになかった。

 復讐を完遂すれば満足感を得られるかもしれなかった。自分の母親も喜んでくれるかもしれない。だけどそういえば尽六の母親は泣き寝入りをする人間だった。尽六以上に広蔵を恨んでいてもおかしくないのに、尽六は母親が発する恨み言をただの一度も聞いたことがない。尽六の母親は連続ドラマを観ても犯罪に手を染めざるを得なかった犯人にすら憐憫れんびんの情を向けるお人好しだった。そんな母親が広蔵たちへの復讐を喜んでくれるとは思えなかった。

 それに恨みの副産物で、尽六の人生は結構うまくいっていた。貧乏で必死に勉強した結果、人にも職にも恵まれていた。これだから賢くて世渡りの上手い奴はいけない。尽六は復讐以外にも生きる意義があることを知ってしまっていた。

 一度復讐を迷い出すと、困ったことに言い訳が湯水のように湧いて出た。そしてきわめつきは、広美の存在だ。

 尽六が黙って考え事をしていると、広美が顔を上げて話しかけてきた。そんなことがあったなんて知らなかった。お父さんが酷いことをしてごめんなさい。辛い目に遭わせてごめんなさい。今まで気付かなくてごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。明るい笑顔の似合っていた広美は、悲しそうに涙を流すだけの女になっていた。

 そんな広美を見て、心が痛み、恋が立ち返ってきた。これ以上広美を泣かせたくなかった。広美には笑っていてほしかった。だって尽六は広美が好きだった。どうしようもなく好きだった。

 広美の泣き顔が決定打となった。尽六には復讐の才能がなかった。いろんな才能に恵まれていたのに、復讐をやり通す才能だけがどうにも足りていなかった。

 広蔵を許す。広蔵の娘とその母親も許す。首を吊らなくていい。その代わり、ひとつ条件がある。

 尽六がそう言うと、広蔵がおそるおそる顔を上げた。破壊の限りを尽くしていた復讐鬼が突然慈悲を示したことに、頭が追い付いていないようだった。

 復讐の才能がない尽六の願いは、ただ一つだけだった。復讐を完遂できずとも、奪われっぱなしは嫌だった。なにか一つだけも広蔵から取り返してやりたかった。

 広蔵に奪われたものに、復讐のために生きていた頃の自分のために、なにか一つでも報いてやりたかった。

 だからこう言った。

「せめて、忘れないでいてほしい」


 その後、大型商店の売る五平餅の袋の裏面には、五平の作った五平餅の逸話が必ず記載されるようになったという。


(了)

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