塔④
朝だ。焚き火は消えかけのまま燻って、微かな煙を吐き出している。
太陽はまだのぼってはいないものの、東の空は白み、藍を覆うのを待ち侘びるかのようだ。あっというまに燃えるように赤くなる。再び火を起こす必要もないだろうとケイラは思った。
金属のカンと響く音が聞こえた。目をこすりながら音のなる方を見ると、リアンが一人で仮小屋を組もうとしている。昨日は馬車の中で過ごしたはずだが、その環境に満足しなかったのだろう。さっそくよりよい状態にしようと取り組んでいるのだ。
「おはよう、ケイラ。ちょっと手伝ってもらっていい?」
朝一番とは思えないほどの溌剌とした声が空へ抜けた。高い、ひばりの鳴くような澄んだ声だ。昨日の悪印象が嘘のように一瞬にして薄れて、ノヴェラ語の本当の美しさを知る。音楽を聴くように心地よかった。
「おはよう。……随分と早起きなのね」
「そうかしら。あたし、日が出るとすぐに目が覚めてしまうのよ。それに、朝がとても好きなの」
日が出ると、といっているが、まだ太陽は見えない。ほんの少しでも明るくなれば起きるということだろうか。樹々はざわざわとせわしなく動き始めている。朝の風が梢を揺らすのだ。それに呼応するかのように、鳥の声も聞こえる。水は相変わらず滔々と湧いている。
「……そう。で、なにすればいい?」
ゴー、ゴー、と低い音が鳴る方を見ると、そこでヴァリオスが横になって眠っている。さらにすこし離れてアダムが背筋をピンと伸ばしたまま眠っている。二人とも、まだ起きそうにない。
「そっち持って。一人じゃなかなか嵌められなくってさ」
金属の支柱だった。ケイラは立ち上がった。久々に屋根もない場所で一夜を過ごしたこともあり、身体のあちこちが痛み、まだ眠気もあった。頭はまだ眠りたいと主張するものの、無理やり立ち上がってみるとたちまち血が全身を巡るのがわかった。
「わかった、こうでいい?」
「うん、そのまま」
支柱は予想外の軽さだった。金属というより、よく乾かした竹のようだ。
「ああ、わかる? これ、中身は結構スカスカなのよ。そういう構造の部材を私が開発したの。鉄を密に詰め込むんじゃなくってね、中に細かな気泡を入れてあげると、軽くて強い建築資材ができるってわけ。それに、これは単なる鉄じゃないしね」
リアンはケイラが求めてもいないのに、どこか誇らしげに説明を始めた。
「いくらかミスリルも含んでいるのよ。たくさんは取れないから大量に使うわけにはいかないんだけどね、こうした仮説の小屋なんかを組みたい時には重宝するわよ」
小屋、とリアンはいうが、見たところはテントのように見える。垂直に建てた支柱から弓形の部材を伸ばして反対の支柱へとつなぐ。そうすると、ゆるやかな弧を描いた屋根ができあがる。水平材を一本でも通してしまえばあとは簡単で、二本、三本と次々に通していき、球の一部をうすく切り取ったような屋根の骨組みが完成した。
「この仮小屋の残念なところは、私一人じゃまだ組めないってところよね。改良の余地はあると思うんだけど……」
「いや、すごいと思う。これなら四人で過ごすのにも十分な広さは確保できるし、しばらく生活するにも困らないんじゃないかな」
「……ねえ、ケイラ。あなたなにか勘違いしているみたいだけど、これは私が生活するための空間なの。まああなただけなら一緒に過ごしてもかまわないけど、あの獣みたいな二人を入れるわけにはいかないわ」
——どうしてそうなるかな。
「そっか。そうよね。あなたが運んできたものだもんね。ごめんなさい」
「わかったなら構わないわ。さあ、さっさと組み立ててしまいましょう」
——だとしたら、どうして私が手伝わなければならないのだろう?
ケイラは疑問に思いながらも、あわよくば、今晩からは仮小屋で眠ることができるかもしれないと期待した。
屋根と支柱、それを支えるための筋交いとなる部材をすべてつなげると、それなりのものが出来上がった。とはいえ、屋根と壁面は裸のままで、このままで完成というわけにはいかない。
「あの革で全体を覆ってやればほとんど完成ね。そしたら内側に私の魔法で保護をかけるから。熱と水の対策が絶対に必要なの。あと……」
リアンが最後になにかを付け加えようとしたとき、熊の唸るような声が聞こえた。ヴァリオスが目を覚ました。そして同時にアダムも目を覚ましたらしい。二人は立ち上がって近づいてくると、腕を組みながら完成間近の仮小屋を見上げた。
「ほお、こりゃ大したもんだ。これを二人で組んだのか?」
ヴァリオスがヴェルダス語でいった。
「そうよ。でも、まだ覆いをしなくっちゃいけないから、少し手伝ってよ」
ヴァリオスも巻き込んでしまえば、リアンは彼に気を許すかもしれない。少しずつでも全員の間にある微妙な緊張を解いていかなければ、塔を建てるなんて夢のまた夢だ。
「アダム、あなたも手伝ってよ。仮小屋を作っているところなの」
「私は私で、自分の小屋を作ることにする。ノヴェラの女の力など借りぬわ」
——ほんと、もう。
「そう。わかったわ。手助けが必要だったら教えてね」
いずれにしても仮小屋だけではそのうち場所が足りなくなることは明らかなのだから、複数建ててしまっても悪いことはない。ケイラはそれ以上なにもいおうとはしなかった。
ヴァリオスが手伝うことにリアンは特に文句をいうでもなく、ケイラを通じて支持を出した。リアンが一人で始めて、それが二人となり、三人となれば、完成するのはあっという間だった。重さがいくらか足りないため、風には弱いかもしれない。だが、それ以外には不足はないようだとケイラは思った。
「まあ、これじゃあ冬には耐えられないだろうな。暖炉をつけてみたところで、あっというまに熱が逃げちまうからな」
ヴァリオスが余計なことをいう。だが、ヴェルダス語ではリアンには通じない。通じないことが意味があることもあるらしい。ケイラはその言葉を訳そうとはしなかった。
「覆いも一通り済んだから、あとは私の魔法の出番ってところね」
仮小屋、というかテントのようなものはすでに完成しているように見えた。だが、リアンはもう一手間この建物に加えるらしい。
「なにをするの? それなりに完成しているように見えるけど」
「これじゃあ断熱性が低すぎるから。そんなに標高が高くないっていっても、冬になれば雪は積もるし、夏には屋根からもろに熱が伝わってしまう。だから、私の魔法が役に立つってわけよ」
——ヴァリオスと同じこといってる。
「ふーん……どんな魔法なの?」
「簡単なことよ。植物のもつ構造の力をちょこっと借りてね、空気の層を作ってあげるの。部屋と部屋との間はなかなか温度が伝わらないものでしょう。だから、外と内との間に大量に細かな部屋を作ってあげる感じかな。わかりやすくいうと」
「なるほど」
とはいってみたものの、ケイラにはよくわからなかった。
指示された通りに、馬車の荷台から金属製の四角い箱を持ってきた。あけるとそこには、木の皮らしき小さな木片が詰まっていた。
「これでどうするの?」
「まあ黙って見ててって」
リアンは建てたばかりの仮小屋の中に入る。外と隔てているのは、薄い動物の革一枚だけだった。
彼女の後ろにケイラ、ヴァリオスがついて中へ入った。
「……で、なにが始まるんだ?」
「しっ!」
リアンが木の皮を手に、目をつむって呪文を唱えている。集中していて、ヴァリオスの声も聞こえなかったみたいだった。ぶつぶつと木に語りかけるように長い言葉を続けていた。やがて、木の皮が緑色の光を帯びてゆっくりと膨らみ始めた。それにむかって、リアンがフッと息を吹きかけると、膨らんでおおきくなって木の皮が羽のように軽々と飛び、ぴたっと壁に貼りついていった。
「この木の表皮はね、無数の層が重なるような構造をもっているの。だから膠に浸してから魔法の力で膨らませてあげれば、軽くて丈夫な素材として使えるのよ。これをぐるりと部屋全体に重ねてあげれば、ふっかふかの布団に包まれているようなものよ」
「……こりゃ大したもんだ」
ヴァリオスがいった。
リアンにヴェルダス語はわからないはずなのに、どこか誇らしげに胸を張った。
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