塔③
賑やかな行灯をいくつもぶらさげた馬車が、がしゃがしゃと音を立てて夜の闇をことごとく壊していく。もちろん、束の間ケイラが感じていた静謐もあっというまに消え去った。無遠慮な馬車の放つ光と音とが、真上できらめき始めていた光も飲み込んでしまうと、若い女の御者がおり、ケイラの目の前に立った。
ケイラも立ち上がった。
「あなたはどこからの使節かしら。まさか、アストラじゃないわよね」
「私はケイラ・アルデン。エステリアの者です。あなたはノヴェラからの?」
はじめて聞くノヴェラ語は、彼女の口から出てきたせいか、ひどく傲慢に響いて聞こえた。上品で美しい響きを持つといわれるノヴェラ語だったが、その前提を一瞬にして覆すには十分だった。
「ええ。最初に会うのがアストラ人じゃなくって良かったわ。私はリアン・サンダース。ノヴェラの使節で、建築家よ」
——へえ、建築家か。
ケイラは建築のことなどなにも知らなかった。塔を建てようというのに、単に使節が四人集まったところで、なにも進まない。実際的、実務的な能力を持つ人間が必要だった。
「私は言語学者なの。ノヴェラ語も、今日はじめて話したのよ」
「あら、その割にはあなたのノヴェラ語、それほど悪くはないわ」
「そう。ありがとう」
——悪くはない、か。
「それにしてもアストラ人とヴェルダスの使節はまだ到着していないのかしら。私が最後だと思ったのに」
「あなたが最後で間違いないわ。二人は今、薪を拾いに行っているの。今晩はどうせ野営することになるんだから、とりあえずは火を起こさないとって、ね」
「……野営? なにをいっているの?」
「だってここにまだ建物はないし、これから作るにしたってしばらくは外で過ごすしかなさそうだろうから」
ケイラは旅に慣れていることもあり、一週間や二週間くらいであれば、テントなしで過ごすこともできる。それだけの時間があれば、簡易的な古屋くらいなら組み立てられなくもない。なにせ、ミストリッジには豊富な樹々があるのだ。生木を建物に使うわけにはいかないが、一時凌ぎ程度ならば構わないだろう。そう考えていた。
「馬鹿いわないでよ。私がなんのために馬車でここまで来たと思ってるのよ。仮小屋を組むための資材や建設道具は、きっちり積んできてるの。すぐに取り掛かって、私はそこで過ごすわ。あなたも手伝ってちょうだい。完成したら一緒に中で過ごしてもいいんだから」
「そう、それなら安心ね。ぜひとも手伝わせてもらうわ」
上からものをいう態度がどうにも気に食わなかったものの、ケイラは仕方なく、リアンを手伝うことにした。
馬車の荷台には金属の支柱のようなものが数本と、留め金のようなものと、なめした革を繋ぎ合わせたものと、さらには樹木を切り倒すのに必要となる斧や鋸などが用意されていた。ここまで準備が整っているということは、以前からノヴェラが計画していたことなのだろうか。どの国が塔の建設など持ち出したのか、ケイラはまだ知らなかった。
「とりあえずちゃっちゃと作っちゃおうよ。骨組みを組んで、四方八方を革で覆ってから、私の魔法で内側を補強するから」
「魔法……あなた、使えるの?」
「もちろん。建築家ならそのくらい当然のことよ。仮説小屋なんかに時間を掛けてなんていられないからね」
「……なるほどね」
偉そうな口をきくだけはある、とケイラは思った。
ケイラが馬車から資材をおろし始めると、ようやく薪を拾いに行っていた二人が戻ってきた。
泉の手前の石畳の上に薪の山が出来上がった。二人はそれぞれ両手で抱えきれないほどどころではない、紐やロープを駆使して、一週間分以上にもなろうくらいの量の薪を集めてきた。
「こんなに集めてきて……いったいどこまで行ってたっていうの?」
ヴェリオスはいかにも誇らしげに微笑んで見せると、汗だくになった額を拭ってから、ケイラに向かっていった。
「ちょっとそこいらを集めまわっていただけさ。ほら、あいつも随分と集めたみたいだからな」
ヴェリオスはアダムを見た。彼もまた同じように汗にまみれている。綺麗な出立ちの官僚然としていたはずの男が今ではまるで野良仕事を終えたばかりの農夫のようだった。
「アダムも。どうしてこんなに集めてきたの? とりあえずは今晩に足りるだけあれば十分だったのに」
ケイラは、今度はアストラ語でアダムにいった。彼はまるでなんでもないことだとでもいわんばかりに、手のひらを空に向けてみせた。とはいえ、こちらもヴェリオスと同様に、どこか誇らしげだった。
——対抗心なんか燃やしちゃって、馬鹿な男たち。
協力すればすぐだったのに、競走なんかしているから、無駄に時間が掛かってしまったのだ。
これから樹を切り倒し、乾かし、資材として使うことになる。そうなればいくらでも燃やすための材は出るはずなのだから。まったくの無駄働きだ。
「……ねえ、ケイラ。私をそちらの方々に紹介してくれないかしら?」
「ああ、そうだったそうだった。とりあえず、これで四人の使節がようやく集合したわけだよね。アダム、ヴェリオス」
ケイラの呼びかけに、四人は円を作るようにして集まった。
「ええと……リアンを二人に紹介するわね。まずはヴァリオスから」
ヴェルダス語でリアンを紹介した。
「よろしく」
と、互いの言葉はわからないながらも、握手をして挨拶を交わした。
「それじゃあ、こっちは互いに挨拶できるよね。アストラとノヴェラの言葉はよく似ているから、ゆっくり話せば伝わらないことはない——」
「似てるわけないだろう」
「似てなんかいないわ」
と、リアンとアダムがほとんど同時にいった。それも、ほとんど同じ言葉のように聞こえた。やはり、二つの言語はよく似ているのだ。否定する二人の言葉が、偶然にしては一致しすぎている。それに、どっちもノヴェラ語ともアストラ語ともいえぬような微妙な発音で喋った言葉をよく理解していた。これを、どう否定することなどできるのだろうか。
だが、二人は互いを軽蔑するかのように睨み合っていた。
——ほんっと、くそ面倒だ。
「ああ、そうだよね。文法規則が似ているだけで、発音は随分と違うから、通じないってこともあるのか。ごめんごめん。私は言語学者だから、つい文字の表記法や押韻規則、文法なんかで判断しちゃいがちなんだ」
「そうでしょうね」
「そうだろうな」
また、二人の声が重なった。
なにが起こっているのかわかっていたのか、ヴァリオスがブッと吹き出した。二人の視線が彼に向かった。ヴァリオスは誤魔化すようによそ見をして、ぼりぼりと頭を掻いた。
「じゃあ、私が互いを紹介するよ。この人はリアン。ご存知の通りノヴェラの使節で、建築家だそうよ。で、こっちがアダム。アストラの使節ね」
「私は木工職人で、建築技術者でもある。建築家と呼ばれる設計だけしかやらない口うるさい輩にいつだって苦労させられているよ」
——ああ、もう、ほんと最悪。
どうせアダムの言葉はすべてリアンには通じてしまっている。
ケイラは恐るおそるリアンの表情を伺った。どうやらなんとか平静を保っているらしいが、こめかみのあたりがかすかに痙攣しているのがわかる。言葉が通じないのだと主張するからには、体裁を保つ必要性をリアンは認めていたらしい。
これ以上ここでの会話を引き伸ばしたくはなかった。
「ねえ、とりあえず今晩はご飯を食べて休むことにしましょう。ねえ、リアン、外で眠るのが嫌だっていうなら、あなたは馬車の中で眠ればいい。仮小屋は明日にしましょう」
「……ええ、わかったわ」
わざわざアダムに説明してやる必要もないだろう。ヴァリオスにはヴェルダス語で伝えると。彼はくすくす笑う。そして「これからお前は大変だろうな」と、からかうようにいった。
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