第114話 罪

「許さない……っ!!」

 ステラがレイピアを構え、氷の破片を出した。それにミモザは身を引く。

「騎士ステラ! 試合は終了です! 私闘行為は控えなさい!」

 審判役を務めていた騎士が厳しい声を出しそれを諌める。それでも魔法を消そうとしない様子に彼は二人の間に割り込んだ。

 ミモザをかばうようなその態度に、ますますステラは目を吊り上げる。

「わたしは間違ってないわ! おかしいのはミモザよ!」

「騎士ステラ! 剣を引きなさい!」

「こんな、こんな……っ! こんなはずがないの! ミモザがわたしに勝つわけがないのよ……っ!!」

 ステラがとうとう氷の破片を放とうとした瞬間、

「おやめなさい」

 静かな制止の声がかかった。その声にステラは弾かれたように振り返る。そしてそこに立つ人物を見て、あからさまにほっと安堵の息を吐いた。

「オルタンシア様!」

 彼女は厳しい顔をして立つ彼に駆け寄った。そのまま縋り付くようにして訴える。

「オルタンシア様もそう思われますよね? ミモザは不正をしています! あの子がこんなに戦えるはずがないんです! あの黒い煙みたいなものなんて出せるわけがない! きっと何かの魔道具を忍ばせているんだわ!」

「………とても、残念です」

 オルタンシアは静かに首を横に振った。

 そしてそのままいつの間にか所用から戻ってきていたらしいガブリエルへと目配せをする。

「捕えなさい」

「はっ」

 常にはない厳しい表情でガブリエルは頷いた。

 ステラの顔が喜色に染まる。

「そう! そうなの! 捕まえてください! あの子は不正をしたのよ!」

 そう言ってミモザを指差す手を、

「失礼」

 ガブリエルは端的にそう告げると掴み、手錠をかけた。

「……え?」

「ステラ嬢、傷害罪により逮捕する」

「はぁ……っ!?」

 ステラの目に怒りが灯る。

「何を言っているの!? 捕らえるのはミモザよ!? あの子はわたしに嫌がらせを繰り返して盗みまで働いたんだから!!」

「……騎士ミモザ、そのような事実に心当たりは?」

 嫌そうにガブリエルが聞いた。

「ありません」

 それは一周目のミモザの話である。今のミモザには関係のない話だ。

 ステラが目を見開いて叫んだ。

「嘘をつかないで!!」

「そのような事実はこちらでも確認できていません。あまり騒ぐようだと名誉毀損も罪状に加わりますよ、ステラ君」

 オルタンシアが歩み出た。

「オルタンシア様!」

 ステラはすがるように一心に彼を見つめる。

「言ってやってください! わたしは悪くないと!」

「オルタンシア教皇聖下、これは一体……?」

 審判役の騎士は何が何やらといった戸惑った様子でオルタンシアに尋ねる。それに彼は困ったようにため息をつくと「説明致しましょう」と重々しく告げた。

「ここにいるステラ嬢は傷害罪に問われています。具体的には洗脳により本人の意思に反した身体と時間の拘束を行い、多くの人に多大な精神的苦痛を与えました」

「お、オルタンシア様……?」

 ガブリエルに暴れないよう取り押さえられながら、ステラは信じられないものを見るようにオルタンシアを見つめた。

「嘘ですよね? わたしを捕らえるなんて! わたし達は仲間でしょう!?」

 皆がその発言に驚きオルタンシアを見るのに、彼は疲れたように首を横に振る。

「彼女は私を洗脳できていると思い込んでいるのですよ。実際に、一度は洗脳されてしまいました」

 ざわり、と会場がどよめく。オルタンシアは自らの傷ついた耳を指し示し、「彼女は相手をそのレイピアで傷つけることにより、そこから毒を注入して相手を洗脳するのです」と説明した。

 会場にいる人々は一斉にステラのことを見た。ある人は恐怖を、ある人は嫌悪を、ある人は蔑みの表情を浮かべている。

「待ってくれっ!!」

 その時ざわめきを遮って声を上げる者がいた。彼は全力で観客席から駆け降りてきた。

 そしてステラの前へと辿り着くと彼女を庇うように立つ。

「待ってくれ! それは憶測だろう!?」

 アベルだ。

 彼はその黄金の瞳に焦燥を浮かべながらも、気丈に背筋を伸ばしてオルタンシアと対峙した。

「確かにステラは複数の男性から好意を持たれている! だがそれは彼女が魅力的だからだ! 一目惚れされたからってそれが洗脳だって言うのか!?」

 彼のその弁明にまた会場がどよめく。

「ミモザに試合後に突っかかった件は悪かったよ。少し思い込みが激しいんだ。だがまだ未遂だろ? 厳重注意で済む範囲だ。本人だって反省してる」

 ステラは激しく首を横に振った。そのまま「わたしは……っ!」と口を開くのをアベルは「少し静かにしててくれ!」と制止する。

 そんな二人にオルタンシアは呆れたように首を横に振った。

「残念ながら、決定的な証拠があるんですよ」

 そしてある物を取り出す。

 それは録画装置だった。四角い箱にレンズのような物が一箇所突き出ている。

「これがその証拠です」

 彼が録画装置を掲げる。それは光を放射すると空中へとある映像を映し出した。


「オルタンシア様」

 そこに写っているのはステラだった。彼女は弾む足取りでオルタンシアへと駆け寄る。

「この前の、考えてくださいましたか?」

 それに嫌そうな顔でオルタンシアは答えた。

「応じるはずがないでしょう」

 呆れたようにため息をつく。

「貴方の妹さんを殺すのに私に加担しろと? ふざけた事を言うのはおやめなさい。あまりしつこいと危険思想の持ち主として取り調べをしなくてはいけなくなりますよ」

 彼は諌めるようにそう言うと「では」とステラへと背を向けた。

「くれぐれも馬鹿な真似はしないように。貴方を逮捕しなくてはいけなくなりますからね」

「……そう」

 ステラは落胆したようにそうつぶやく。その手にはいつの間に変化させたのか、レイピアが握られていた。

「とても残念だわ」

 彼女はそう言うとそのレイピアをオルタンシアへと突き出す。

「何を……っ!」

 直前で気づいたオルタンシアが避けたが、それでも耳の端がわずかに切られていた。

 その直後、彼は、

「……うっ」

 胸を押さえてうなだれる。

 しばしの沈黙が落ちる。やがて彼は顔を上げた。

「ねぇ、オルタンシア様」

 そのぼんやりとして焦点の合わないすみれ色の瞳を覗き込むようにしながら、ステラは笑う。

「わたしに協力してくださいますよね?」

「………えぇ」

 オルタンシアはぼんやりと頷く。やがて何度か瞬きを繰り返すと、常と同じくらいに意識がはっきりとしたようだった。

 しかしその態度も表情も、先ほどとはまるで異なりとてもにこやかなものへと変わっていた。

「ステラ君、君がそれを望むのならばなんでも協力しましょう」

「嬉しいっ」

 ステラは満面の笑みを浮かべると、オルタンシアの腕へと抱きついた。オルタンシアもまんざらでも無さそうにそのステラの頭を撫でた。


 うえっぷ、と吐きそうな音が聞こえてミモザはその方向を見る。するとオルタンシアが今にも死にそうな顔色で口元をハンカチで押さえてその映像を見ていた。そしてミモザの視線に気づいて睨みつけてくる。

 ミモザは肩をすくめた。

 何を隠そう、この作戦の提案をしたのはミモザである。

 古びた教会で別れる際、ミモザはこの『オルタンシア様おとり作戦』を提案したのだ。

 ステラが毒を使う決定的な場面を抑えるためには囮を使うしかないと、ミモザは何日も監視をする中で確信した。そしてその囮にもっとも相応しい男を見つけたのである。

 それがオルタンシアだ。

 彼はステラから仲間として協力要請をされていた。それを断ればステラは毒を使用する可能性が高いと踏んだのだ。

 この会場に入ってすぐ。オルタンシアに声をかけたのはその首尾を確認するためだったが、彼は耳の傷を気にするミモザに言った。

 孤児院の子どもにスコップでやられた、と。

 ミモザの目にはそれはスコップなどではなく、もっと鋭利な刃物で貫かれた傷に見えた。だからオルタンシアは嘘をついているのではと疑ったのだ。

 普通の状態ならそのような嘘をつく必要はない。作戦通りにいったのだと言えばいいだけだ。そこでもしかして洗脳されたままなのかと思ったミモザは『レオンハルトに監禁された』とオルタンシアなら多大な精神的ショックを受けるだろう出来事をあえて伝えてみた。

 効果はてきめんで、すぐにオルタンシアは正気を取り戻したようだった。


 オルタンシアはごほん、と気を取り直すように咳払いをすると口を開く。

「彼女の周辺では『ラブドロップ事件』の時と同じ精神汚染に似た現象が頻発していました。そのためその調査を彼女の妹であるミモザ君に依頼していたのです」

 オルタンシアはミモザのことを手のひらで示す。ミモザは軽く礼をして見せた。

「彼女が集めた情報からして、ステラ君が精神汚染を起こす手段を持っていることは明らかでした。けれど証拠が掴めずにいたところに当の本人からの接触があったのです。もしかしたら私を洗脳する気では、と念のためガブリエルに録画をお願いしたところ、撮れたのがこの映像です」

 周囲がどよめく。ひそひそと皆口々に何事かを囁き合っていた。

 アベルは呆然と立ち尽くしていた。まさか証拠映像を撮られているとは思わなかったのだろう。

「そんな……っ、なんで、なんで……っ!」

 ステラは悲痛な声を上げた。暴れようともがくのをガブリエルが押さえ付け、その体は頭だけを上げたまま地面にうつ伏せになる。

「ああ、私はもう洗脳されていませんよ。この洗脳は強い精神的ショックで解けるのです。驚かせてもらったので解けています」

 オルタンシアは「驚かせて」のところでミモザをじろりと睨んだ。ミモザはすっと目線を逸らす。

「つい先ほど、やっと逮捕状が取れましてね」

 そう言うとオルタンシアは手に持っていた紙を広げて見せた。周囲の観客達、審判役の騎士、アベル、そしてステラへとそれを見せる。

(なるほど、それを取りにガブリエル様は席を外していたのか)

 オルタンシアが洗脳されていたため、その前まではうまく動けなかったのだろう。本当なら洗脳を解くのはガブリエルの役目だったはずだが、彼ではあまり『歳の離れた兄』に無体な真似は働けなかったのかも知れない。

 ミモザがちらりとガブリエルを見ると、彼はへらり、と誤魔化すように笑った。

「殿下、御前試合を捕り物で騒がせて申し訳ありませんでした。本当ならすべてが終わった後にひっそりと行う予定だったのですが、彼女の蛮行が目に余ったものですから」

「よい、許そう」

 オルタンシアの言葉にアズレン王子は鷹揚に頷いた。

「むしろよく彼女の暴走を抑えてくれた。おかげでせっかくの御前試合がこれ以上荒らされずに済んだ。礼を言おう」

「ありがとうございます」

 オルタンシアはアズレン王子のその取りなしに深々と頭を下げる。

 そしてステラのことを振り返ると、冷めた瞳で告げた。

「連行しなさい」

「はっ」

 ガブリエルは頷くとステラのことを無理矢理立たせた。

「いやぁ……っ!!」

 ステラがもがくがその拘束は外れない。頼みの綱のレイピアはとっくの昔に遠くに蹴り飛ばされて、元の翼のある猫の姿に戻ったまま、別の教会騎士に捕らえられていた。

「どうしてっ! こんなのおかしい! 間違ってる! 間違ってる……っ!!」

「ほら、大人しくしろ。これ以上罪を重ねるな」

 ガブリエルが宥めるように言うが、彼女の耳には入っていないようだ。無茶苦茶に暴れると、ふとその視線が一点を見て止まった。

「レオンハルト様ぁ……っ!!」

 ステラは叫ぶ。騒動が起きた時に駆けつけたのだろう。その視線の先にいるのは観客席で王子を守るようにして立つレオンハルトだ。

「助けてっ! お願いっ! 助けてくださいっ! わたしっ! わたし……っ!!」

 すがるように手を伸ばす。

 レオンハルトはそれを冷たい瞳で見下ろすと、

「罪を償いなさい」

 と切り捨てた。

 ステラの動きが止まる。その瞳はショックに瞳孔が散大した。

「レオンハルト、お前、彼女と親しかったのか?」

 面白がるように王子が尋ねる。それにレオンハルトは無表情に返した。

「いいえ」

 彼は言う。

「俺は彼女の双子の妹であるミモザの師ですが、ステラ君とは数回言葉を交わしたことがある程度の関わりしかありません」

「……そんな、そんな」

 ステラの美しいサファイアの瞳から涙が溢れた。

「レオンハルト様っ! 愛しています! 愛しているんです……っ!!」

 彼女は叫んだ。それは全身からほとばしるような、渾身の魂の叫びだ。

「貴方だけが欲しかったの……っ!!」

「………」

 レオンハルトはわずかに不快げに眉をひそめた。

「俺はいらないよ」

 ステラの目が見開かれる。あえぐように口が開いては閉じるが、もう声は出なかった。

(ああ、そうか)

 その壮絶な光景を見て、ミモザはやっと少し理解した。

 ずっとわからなかったのだ。

 ステラの行動の理由が。

 一度目の人生の栄光が忘れられないとか、ミモザが邪魔だったとか、それも確かに理由の一つだろう。

 けれど、

(ただ、恋していたんだ)

 ひたむきに、純粋に。

(レオン様に恋をしていた)

 ただそれだけで、彼女はうまくいっていた一度目の人生を捨てて、やり直したのだ。

(人の気持ちって難しいものだな)

 ミモザにとってなんでも出来て、なんでも持っているように見えるステラでも、一度の人生では手に入らないものがあったのだ。

 そして二度目でも、ミモザに譲るつもりはない。

(姉妹でキャットファイトとか笑えないな……)

 ミモザは苦笑する。

 そのままゆっくりとステラへと近づくと、その耳元へと口を寄せた。

「ステラ」

 初めて妹に呼び捨てにされた名前に、彼女は目を見張る。ミモザは微笑んだ。

「ありがとう」

「……は?」

「貴方が『繰り返して』くれなかったら、僕もレオン様も死んでいた」

「………っ!」

「だから、それだけはありがとう」

 この結末に謝罪はしない。それはミモザの自己満足に過ぎないからだ。

 悪役はせいぜい悪役らしく、最後まで憎たらしい存在であろう。

 雪が溶けて春を迎えた花がほころぶように、ミモザは美しく微笑んだ。

 ステラが憎しみに顔を歪める。

「……ミモザァっ!」

 ミモザに向かって暴れるステラをガブリエルが押さえつける。彼にはミモザの言葉が聞こえただろうが、何のことかはわからないのだろう。怪訝そうな顔をしながらも「あんまり刺激するなよ」とぼやいてステラのことを羽交い締めにすると移動を始めた。

 アベルもまた、別の騎士に促されて歩き出す。その表情は魂が抜け落ちたように呆然としたままだった。

「さて、お騒がせして申し訳ありませんでした。これにて大捕物の前座は終了です。この後は新人戦の優勝者の通過儀礼を楽しむとしましょう」

 オルタンシアがそう締めくくる。

 それを受けてアズレン王子が立ち上がった。

「うむ、優勝者、騎士ミモザよ!」

 王子は青い目を細めて笑った。

「誰との対戦を望む?」

 ミモザはその目を真っ直ぐに見つめ返した。

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