第84話 調査
「以上が昨夜、ステラ君と接触した人物になります」
ミモザがメモした内容をレポートにまとめ直した物を差し出して、レオンハルトはそう締めくくった。
場所は教会のオルタンシアの執務室である。室内にはミモザとレオンハルトの他にはやはり、いつものメンバーであるガブリエル、フレイヤ、そしてジーンの姿があった。
オルタンシアは憂鬱そうにため息をつく。
「未だにステラ君が恋の妙薬を所持している証拠は掴めず、けれど被害者は増えていく状況が続いています」
彼はぐるりと揃った面々を見渡すと、
「バーナードも捕らえた今、一体どこから彼女は魔薬を調達しているんでしょうか」
と問いかけた。それは答えを期待した問いというよりは会議の開始と情報共有のための議題提起に等しい。
「調合した可能性は?」
ガブリエルが口火を切る。それにオルタンシアは静かに首を横に振った。
「魔薬の調合は簡単ではありません。ましてや恋の妙薬の調合方法は国家機密です」
「その件についてなのですが……」
その時言いづらそうにフレイヤが挙手した。皆の視線が集まった後、困ったように彼女は言う。
「実は、王子殿下からご助力の申し出がありまして……」
「ご助力の申し出……?」
オルタンシアは首をひねった。フレイヤは嫌そうに頷く。
「事態を重く見た王子殿下が、どうやら配下の者をスパイとして彼女のもとへ送り込んだようでして……」
「それはそれは……」
オルタンシアはみなまでは言わなかったが、ミモザには「厄介な」という続きの言葉が聞こえるようだった。
「そのスパイというのは……」
「もうじきここに到着する予定です」
フレイヤの返答と共に扉がノックされる音が響いた。
一瞬、みんな押し黙って顔を見合わせる。
「……どうぞ」
オルタンシアが入室の許可を出す。
「失礼致します」
かくしてそのスパイという人物は教会騎士に案内されて、執務室へと登場した。
「あっ」
「…………」
その現れた人物にミモザは思わず声を上げる。レオンハルトも声には出さなかったが、意外そうに眉を上げた。
暗い紅色の長髪に切れ長の緑の瞳、金縁のモノクルをかけた整った顔立ちのその男性は、
「中央学院で助教授を勤めております」
被っていた帽子を脱ぐと優雅に礼をして見せた。
翡翠の瞳が面白がるようにこちらを覗き見る。
「セドリックと申します」
それは昨夜ステラをエスコートしていた男性だった。
「まぁまぁまぁ皆さん、そんなに嫌そうな顔をなさらずに」
にこにこと胡散臭い笑みを浮かべて彼はそう言った。
「いやぁわたしもねぇ、本当は嫌なんですよ、こんなお役目は。しかし王子殿下には個人的に恩がありまして……、頼まれると断れないのです」
そうしてキョロキョロとみんなの顔を見回すとフレイヤに目を止め「どこまでお話ししました?」と訊ねる。
「王子殿下がスパイを送り込んだというところまでよ」
「おやまぁ、まだ序盤も序盤じゃないですか。ではでは、わたしの方からご報告させていただきましょうかね?」
よろしいでしょうか? と道化たような仕草で彼が言うのにフレイヤは不愉快そうに「どうぞ」と譲った。
素人に介入されることが不愉快なのだろう。
しかしセドリックは気にした様子もなく、ごほん、と一つ咳払いをして話し始める。
「まずわたしがスパイに任命された理由からお話ししましょうか。実はわたしの属性攻撃に理由がありましてね」
彼の懐からのそのそと鮮やかな黄色に黒いラインの模様が入ったカエルが這い出してきた。おそらく彼の守護精霊なのだろう。セドリックはそのカエルの顎を撫でるようにくすぐる。
カエルは心地よさそうに緑の目を細めた。
「実は毒の属性を持っているのですが、これが『中和』という能力を持っているのです」
「中和……」
オルタンシアが難しい顔でつぶやく。
「つまり、毒が効かないということですか?」
「ええ、わたしにはありとあらゆる薬物は無効です。ああもちろん、わたし自身の意思で能力はコントロールできますから、風邪薬が効かないなどという間抜けなことにはなりませんよ、ふふ」
にんまりと彼は笑う。まるで道化師のように作り物めいた微笑みだ。
「ですので、殿下はわたしの派遣を。ここまではよろしいですか?」
各々無言で頷いた。それが本当なら確かにステラのもとへスパイとして潜り込むのに適任だろう。
(ゲームではどうだったんだろう?)
彼は攻略対象としてステラの側にはべっていたはずだ。しかしそれすらも本当はスパイ活動だったのだろうか。
これまでのステラの行動を思い返すに、そしてゲームでの『ミモザ』の行動からして、ゲームの中のステラの犯罪は隠蔽されていた、はずだ。しかし違法薬物である恋の妙薬をゲーム中でも普通に使用していたように、ステラ本人の隠蔽しようという意識は低いように思う。だとしたらこれほどの事件だ。今の状況と同じように証拠がなくて手は出せないが、マークされていたという可能性もなくはない。
(ということは、ゲームでも彼はスパイだったのだろうか)
ステラに好意があるフリをして内情を探っていたのかも知れない。
「さて、ここからは彼女に近づいて得られた情報の提供をしましょう」
ミモザの思案を他所に、セドリックは話を進める。
「結論から言うと、彼女は恋の妙薬を所持していません」
その場のみんなは気色ばんで身を乗り出した。
「けれど現に……!」
「まぁまぁ落ち着いて」
声を上げるフレイヤを手で軽く制し、彼は軽薄に笑う。
「彼女はそれに類似する毒を自ら生成しているようです」
「はぁ?」
ガブリエルが声を上げる。他の人も声には出さないが同じ気持ちだっただろう。
それはつまりーー
「彼女は毒の属性を持っていて、その毒に相手を恋に落とすという作用があるのです」
そこで彼はビッ、とジーンのことを勢いよく指差した。ジーンはその勢いにびくっと身を震わせる。
「そこの貴方! 確か二度目の精神汚染の際、彼女と交戦したそうですね」
「え、ええ、敗北して気を失ってしまい、目が覚めた時には……」
ジーンは悔しそうに歯噛みする。
「もう彼女に心を奪われていた」
後半の言葉はセドリックが引き取った。
「そうです」
「それです!」
「どういうことだ?」
セドリックの回りくどい説明に痺れを切らしたようにレオンハルトが訊ねる。その眉間には深い皺が寄っていた。
その視線に「おお怖い、そんなに睨まないでくださいよ」と大して怖がっていない様子で怯えて見せてからセドリックは話し出す。
「要するに、彼女は彼女の武器であるレイピアで傷つけた相手を恋に落とすことができるのです」
(それは……)
ミモザの毒の使い方と似ていた。ミモザも傷つけた相手に疲労と麻痺を与える。
ということは、しないだけであってミモザと同じようにその成分を空気中にばら撒くことも可能なのではないだろうか。
(いや、それよりも……)
この場合、その扱いはどうなるのだろう。彼女がしているのは違法薬物の乱用ではなく、自身の能力の行使である。それ自体は違法ではない。
思わずミモザはオルタンシアをふり仰いだ。他の人もオルタンシアに注視し、その判断を待っている。
彼は深い深いため息をついた。
「なるほど、通りで持ち物検査に引っかからないはずです。まずは貴重な情報の提供をありがとうございます、セドリック殿」
「いえいえ、わたしは当然のことをしたまでです」
ひょこりと戯けた仕草で彼は礼をしてみせる。それを疲れた目で眺めて、眉間を指で揉みながらオルタンシアは口を開いた。
「彼女の罪状は変更です。違法薬物の所持ではなく、傷害罪、あるいは過失傷害罪です。能力の行使自体は罪ではありませんが、それにより正当な理由なく人に被害や損害を与えることは許されません。この場合は多大な精神的な苦痛および、洗脳による本人の意思に反した身体と時間の拘束が損害として考えられるでしょう」
そこで言葉を切ると、彼はそのすみれ色の瞳を上げた。鋭い視線が静かに周囲を睥睨する。
「しかしその立証は難しいですね。そんな能力はないとしらを切られてしまうとどうしようもありません」
「……そんなっ!」
声を上げるジーンに「まぁ、待ちなさい」と彼は宥めるように手を振る。
「もちろんこのまま見過ごすつもりはありません。証拠を積み重ねて行くしかないでしょう」
「証拠、ですか……」
「ええ」
オルタンシアは重々しく頷く。
「今のところ被害者の証言はあります。しかしそれだけでは弱い。実際に彼女が毒を使っているところを魔道具などで映像に収めるか、彼女が日記などでそのような記載でもしててくれればいいのですがね」
そこでちらりとオルタンシアはセドリックを見た。
「引き続き調査は行われるのですか?」
「もちろん。殿下がそれをお望みの限りね」
セドリックはウインクをする。それをスルーしてオルタンシアは視線を動かしーー、
ミモザで目を止めた。
(嫌な予感……)
ミモザは顔を引き攣らせる。オルタンシアは微笑んだ。
「ミモザくん」
「……はい」
彼は猫撫で声で告げる。
「君は彼女の妹でしたね、いわば身内です。ならば近づいて調査をすることも可能ではないでしょうか?」
「オルタンシア様!」
非難の声を上げたのはミモザではなくレオンハルトだった。彼は眉間に深い皺を寄せてうなるような低い声で話す。
「危険過ぎます。ミイラ取りがミイラになりかねない!」
「彼女がそのつもりならもうすでにミモザくんも餌食に合っているはずです。それに近づくとは言っても潜入しろとは言っていませんよ。潜入は彼がいますし」
オルタンシアが手のひらでセドリックを示すと彼は心得たようにえへんえへんと胸を張ってアピールをして見せた。
「ただ彼とは違った立場で、外側から証拠を集めて欲しいのです。目撃証言も積み重ねれば立派な証拠になりますし、可能なら映像を録画してもらいたい」
ことり、と音を立てて彼は四角い箱を出した。青い石のはまったそれは、一部にレンズのようなものが突き出ている。
「とても高価な魔導具でしてね。一分間だけ映像を記録できるのですが、一度きりの使い捨てでここぞという時だけ使って欲しいのです。なにせなかなか手に入らない代物でして……」
手招きされたのでミモザはいやいや近づく。近づくと彼からは甘い果物のようなお香の香りがした。そうして寄せられた口から耳元で告げられた金額は目玉が飛び出るくらいとんでもない額だ。
「いやなに、失敗しても責めはしませんよ。タイミングを狙うのは難しいですからね。責めはしませんが、どのくらいの損失かというのは知っておいていただいたほうがいいですからね」
表情は微笑んでいるが、その目は「しくじるんじゃねぇぞ」と脅しをかけにきている。
どうやら彼の中ではミモザがステラを探りに行くことは決定してしまったらしい。
「頼めるかい? ミモザちゃん」
ガブリエルにも念を押すように尋ねられる。
「しかし……」
レオンハルトは断りたいようだが、断る正当な理由がとっさに出てこないようだ。
「ミモザ君」
オルタンシアは優しく微笑む。
「頼めますか?」
口調は優しいが、その目は笑っていない。
(もしかして、ゲームでもこういう展開だったのかな)
ミモザはステラの周りをやたらとちょろちょろとしていた。確かステラの荷物を漁るという泥棒イベントもあったはずだ。あれは嫌がらせで盗みを働いていたのではなく、指示を受けて証拠を探していたのかも知れない。
「……はい」
結局、ミモザは頷くしかなかった。
話し合いも一通り終わり、解散の雰囲気が漂い始めた頃にミモザはふと思った。
(この中の誰かだろうか?)
ミモザのことを殺した人間が、である。
ミモザは仲間に裏切られて殺された。そして今のミモザにとって仲間と呼べるような人間はここにいるメンバーだけである。
死ぬ直前のミモザはこう言い残した。
『貴方も、僕を切り捨てるのですね、……様 』
明らかに目上の者に対する言い方である。
(ということは)
ミモザはぐるりと室内の面々を見回す。
教皇オルタンシア。
教会騎士団団長ガブリエル。
王国騎士団団長フレイヤ。
そして、聖騎士レオンハルト。
彼らがミモザを殺す候補者だ。
(いや、でも……)
二周目はまだわかるのだ。二周目のミモザは現在と同じくレオンハルトの弟子だ。だから彼らとの接触もあっただろう。
しかし一周目のミモザはレオンハルトの弟子ではない。
(一周目と二周目で殺され方が違うのか?)
いや、同じはずだ。少なくともミモザの記憶では同じことになっている。
(一周目でも接触のあった人は……)
ミモザはレオンハルトを見る。
彼は一周目では師弟関係ではないものの、ミモザのことを唯一褒めてくれた人である。
(もしかして、それがあってレオンハルトに相談したのか?)
ステラのことをだ。考えてみればゲームのミモザがステラのことを誰にも話していない保証はない。ミモザは困っていたはずだ。その状況で自分のことを認めてくれるような発言をしてくれる大人が現れたら、頼るのではないだろうか。
初めて出会った時に、ミモザが彼に弟子入りを頼んだように。
そして今回と同じ流れになったのだとしたら。
(でも何故?)
何故ミモザは殺されたのだろう。今のところ、ミモザを殺して何かを得る人間などいない。だとするならば、きっとゲームのミモザは何か知ってはいけないことを知ってしまったのだ。
(一体何を……)
「ミモザ」
声をかけられてびくりと身を震わせる。顔を上げるとレオンハルトが不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「何をぼんやりしている。帰るぞ」
「あ、はい……」
どうやらいつの間にか会議は終了していたようだ。
そのいつもと変わらぬ態度と表情に、ミモザは身を震わせた。
(レオン様じゃないよな……?)
もしもミモザを殺すのがレオンハルトだとしたら。
想像するだけで恐ろしい可能性に、ミモザは首を横に振った。
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