第三章

第83話 華々しい生活

 ゴールドのシャンパンがグラスの中で弾けた。

 人々が忍び笑いをこぼす声がさざめいている。色とりどりのドレスがくるくると回る。 

 仄暗い蝋燭とシャンデリアの明かりの中で、着飾った人々はめいめいに楽しんでいた。

 その中で一際目立つ少女がいた。

 彼女は淡い桃色のグラデーションが綺麗な白いドレスを身に纏っていた。刺繍部分やコサージュにはダイアモンドやルビー、トパーズなどの宝石がふんだんに使用され、上品なデザインだが非常に高価な物だと一目でわかる。美しいハニーブロンドは綺麗に結い上げられ、やはり宝石で作られた髪飾りがその髪を彩っていた。サファイアの瞳が嬉しそうに潤んでいる。

 透き通るように白い肌に桃色の唇。目を見張るような美少女である。

 エスコートしていた男性が彼女に何かを囁いた。どうやらダンスに誘ったらしい。二人は手を取り合うとフロアの真ん中へと進み出た。

 優雅なワルツが始まる。周囲で見ていた人々はまるで蝶々が舞うようにステップを踏む姿にため息をもらした。

「エスコートしているのは中央学院助教授のセドリックだ」

 その様子を柱の影にもたれるようにして覗き見ていたレオンハルトはそう解説した。ミモザは首をかしげる。

「貴族ですか?」

「いいや。だが数々の発明品で商業的に成功を収めている人物だ。パトロンとしては申し分ないだろう」

 なるほど、と頷くとミモザもまた彼らに目を凝らした。

 暗い紅色の長髪に切れ長の緑の瞳、金縁のモノクルをかけた男性の顔立ちは涼しげで、とても整っているのが遠目からでもわかる。

(あの人、たぶん攻略対象者だな)

 残る攻略者は学院所属の年上キャラである。

 条件が当てはまっているし、彼の見た目には既視感があった。

 ミモザは目を細めた。


 二人は今、とある夜会へと潜入していた。

 ステラがその夜会に参加するとの情報を得たからだ。

 あの後、ステラは王都をしばらく離れていたようだった。当然王都を離れたところで行方が掴めなくなるわけではない。何度か警官や兵士、騎士がステラに接触を図り身体検査や持ち物検査を行ったが、ラブドロップやその大元である恋の妙薬は出てこなかった。違法薬物の所持は証拠がなければ逮捕できない。状況的には限りなく黒であるし、各地で精神汚染の被害者がステラの滞在した付近で増えているのは確かだが、手が出せない状況が続いていた。

 それでも地方のどこかで大人しくしてくれていれば良かったのだが、最近王都での目撃情報が頻繁に出るようになったのだ。それも貴族や有識者の出るようなパーティーや社交の場に現れるとあっては放っておくわけにも行かず、こうして調査に訪れた次第である。

 上流階級の出入りする場所で惚れ薬をばら撒かれてはたまらない。

 それが両騎士団の本音である。

 集められた情報では、ステラは裕福な身なりや過ごし方をしているとのことだった。こうして実際に見ても、かなり豪華なドレスに身を包んでいるのがわかる。

 正直優秀な精霊騎士候補にパトロンがつくのはよくある話だ。騎士団とのパイプを作りたかったり、単純に私兵として雇いたがったりといった理由が主なものである。

 しかしステラは優秀だが悪評がつきまとう人物だ。通常ならばそんな人物のパトロンになりたい人間はなかなかいない。にも関わらず、彼女は様々な人物の元を渡り歩くようにして優雅に過ごしている。

 要するに惚れ薬でパトロンを得ているのでは、と疑っているのだ。

 ミモザはメモ帳に素早くセドリックの名前を記載した。これでステラのパトロンらしき人物は五人目である。

「あと数時間したら出るぞ。あまり長居しては気づかれる」

「はい」

 ミモザは踊り終わったステラの周りに集まる人々の特徴やレオンハルトが告げる名前をメモしながら頷いた。

 いくら変装して潜んでいるとはいえ、間近で見られればバレるのは必至である。

(というか……)

 ミモザはレオンハルトの装いをチラリと見た。

(よくこれでバレないものだ)

 レオンハルトは今、魔道具の幻術で特徴的な髪と目の色をブラウンへと変えていた。服装もいつもの軍服ではなく地味な黒い礼装である。

 しかし言ってしまえばその程度の変装である。レオンハルトとミモザの身につけている魔道具では髪と目の色を変えるとか、オーラの色を誤魔化すのがせいぜいで姿形を劇的に変えることができないため仕方ないといえば仕方ないのだが、それにしても、といったような実にちんけな変装である。

 長い黒髪のウィッグに目の色を緑に変えただけのミモザも大概ではあるが、ミモザはレオンハルトほどの有名人ではない。

 ミモザにはよくわからないが、どうやら普段の表向きの愛想の良さを削ぎ落とし、素のままの眉間に皺を寄せた気難しそうな表情であるというだけで、彼は会場の人々に聖騎士レオンハルトとは認識されないようだった。

「出るぞ」

 ステラの周りにいるメンバーに変わり映えがなくなってきた。これ以上の長居は無用と判断したのかレオンハルトが言ってミモザに腕を差し出す。

「はい」

 メモをしまってその腕に手を添える。最後にちらりとステラの方を見ると、少し離れた位置でアベルが立っている姿が見えた。

「哀れだな」

 ミモザの視線を辿ったのか、レオンハルトがつぶやく。

「同情なさっておられるのですか?」

「まさか」

 無表情にレオンハルトは言う。

「俺があれに同情することはないだろう。自分で選んだ道には自分で責任を取るしかない」

 行くぞ、ともう一度促されて、ミモザは今度こそ歩き出した。


 外に出ると星が落ちてきそうなくらいにはっきりと輝いていた。今回の夜会に出入りする人間は上流階級だけではない。というよりも商人や平民がメインで集まる社交場であった。ただしお金に余裕がある、との条件がつく人々ではあったが。

 故に馬車も自前ではない人も多い。適当に停まっていた貸出しの馬車に二人は乗り、足がつかないように適当な場所で降ろしてもらった。ここから先は徒歩だ。

 もはやそれらしく振る舞う必要もないのでミモザはレオンハルトの腕から手を離して機嫌良く歩き出した。レオンハルトはその後ろをゆったりと歩いてついてくる。

 二人とも終始無言で歩いていたが、橋にさしかかった時、ミモザはふと思いついて橋の欄干に飛び乗った。そのままバランスを取って歩き出す。

「こら」

 さすがにレオンハルトが叱るように声をかける。

「行儀が悪い」

「誰もいませんよ」

 真夜中なこともあり、歩いているのはミモザとレオンハルトだけだ。

「昼間はできないじゃないですか。レオン様もどうですか?」

 言ってミモザは手を差し出す。難しい顔でその手を見つめるレオンハルトに、ふふ、と笑った。

 もしかしたら少しシャンパンに酔ったのかも知れない。いい気持ちでミモザは手をひらひらと振る。

「乗ったら高くなったぶん、月に手が届くかも知れませんよ」

「たかが手すりに登った程度で届くわけがないだろう」

 呆れるレオンハルトににやりと笑う。

「なら本当に届かないか試してみましょう」

 むぅ、と彼はうなる。しかし観念したようにミモザの手を取ると、その手には体重をかけずに自らの筋力だけで橋の欄干へと飛び乗った。

 橋の欄干の上で、二人はしばらく手を繋いだまま見つめ合う。

 月明かりに照らされて、その二人のシルエットが影として地面に落ちた。

「届きそうですか?」

「届くわけがないだろう」

「それは残念」

 さして残念でもなさそうに、楽しそうにミモザは言う。それに何を思ったのかレオンハルトは両手でミモザの腰を掴むと、そのまま高い高いをするようにミモザのことを持ち上げた。

 その高さにミモザは一瞬目を見張ってから、すぐに空を掴むように手をパタパタと振る。

「レオン様」

「なんだ」

「あなたと一緒なら、月にも手が届きそうです」

 ミモザは月を見ている。レオンハルトはその姿を静かに見上げながら、

「そうか」

 とだけ相槌を打った。

 それをミモザは見下ろす。水面のような青い瞳が暗闇の中できらきらと瞬く。

「まぁ、別に届かなくてもいいんですけどね」

 前言を翻すようなその言葉に、レオンハルトは訝しげに眉を寄せる。その眉間の皺を人差し指で押してミモザは笑った。

「あなたが楽しそうであれば、なんでも」

 レオンハルトは動揺したようにわずかに目を見開くと、

「………そうか」

 やはりそれだけを返した。

「ねぇ、楽しいですか?」

「……さぁ、どうかな」

 彼は言葉を濁した。けれどその声音は明るく、口元はわずかに微笑んでいた。

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