第55話 許されざる悪意

 周囲は喧騒に包まれていた。まだ日が高い時刻のため人の往来も激しい。故郷の村では決して見ることのできない賑やかで華やかな街の様子をステラは店主が店の奥から出てくるまでの時間を潰すために眺めていた。ふと自身の手が目に入る。右手の甲に浮かぶ花のような紋様のその花弁のうちの一枚が金色に輝くのを見てステラはふふふ、と満足そうに笑う。

「お嬢ちゃん、計算が終わったよ」

 年配の店主がゆっくりと店の奥から出てくるとカウンターへ腰掛けた。彼は老眼鏡の位置を直しながら伝票と現金を弄る。

「全部でこのくらいの価格で買い取れるけどもね」

「わぁ!ありがとうございます!」

 なかなかの価格にステラは目を輝かせる。ステラの精霊騎士を目指す旅は順調に進んでいた。第1の塔では金の鍵を簡単に見つけられたし、野良精霊を倒すのも手間はかかるがそんなに難しくはない。初めは路銀稼ぎに苦労すると噂では聞いていたが、これだけ稼げるなら余裕で王都で過ごすことができる。

(ミモザは銅だったわね)

 卒業試合では遅れをとってしまったが、しかしミモザはミモザだ。やはりステラよりも劣っている。

(どうしてレオンハルト様はミモザを側におかれるのかしら)

 ステラの方が何においても優っているというのに。もしかしたら優しいレオンハルトはだからこそ妹に肩入れしているのかも知れなかった。いじめを受けて祝福も1番下のものしか受けることができない。確かに同情するには十分かも知れない。

 上機嫌でお金を受け取ろうとして、店主はしかしそれを手で覆って渡すことを拒んだ。

「………? 店主さん?」

「これは一日で取ったのかい?」

 店主はじっとステラを探るように目を見つめてきた。それに首を傾げてステラは頷く。

「ええ、そう……」

「ステラっ!!」

 そこで息を切らしてアベルが駆けつけた。物資の買い出しの途中でステラだけ抜けてきたので心配していたのだろう。彼は必死の形相だ。ステラと店主の手元を見て、アベルは顔を真っ青に染めた。

「これは子どもの時から集めてた奴も混ざってるんだ!ガキの頃は換金なんてできなかったから!」

 そうして意味のわからないことを言う。ステラは首を傾げてアベルの言葉を訂正しようと口を開きーー、その口をアベルの手で塞がれた。

「………。まぁ、いいがね、厳密に一日に何匹狩ったかなんてのを取り締まるのはどだい無理な話なんだ」

 そう言ってため息をつくと店主は金をアベルへと渡した。

「けどねぇ、お嬢ちゃんら、やりすぎはいかんよ。多少は見逃されるけどね、あんまりにも度が過ぎりゃあ絶対に取り締まられる」

 ちろり、と店主の灰色の目が鋭くステラの目を射抜いた。

「密猟ってやつはね、加減を知らんといけんよ」

「………肝に銘じておきます」

 ステラの開きかけた口をまた手で押さえて、アベルは神妙な顔でそう言った。

「行くぞ」

 そのままステラの手を強引に取って歩き始める。その歩く速度の速さにステラは戸惑う。

「アベル、ねぇ、アベル!」

「1人で動くなって言っただろうがっ」

 怒鳴って、アベルはステラの手を離した。そのまま2人は橋の上で立ち止まる。無言の中で川のせせらぎだけが鳴っている。

 振り返らないアベルの背中は震えていた。

「アベル……?」

「わりぃ……、怒鳴るつもりはなかったんだ」

 アベルはゆっくりと振り返った。金色の瞳が、真っ直ぐにステラを見つめる。

「なぁ、ああいうことはやめよう」

「ああいうことって?」

「密猟だよ。一日に20匹以上狩るのはやめよう」

 ステラは首を傾げる。アベルが何故辛そうなのか、その理由がわからなかった。

「どうして?」

「法律違反だからだ。ミモザも言ってただろ。今回は見逃してくれたが、頻繁に繰り返すとまずい」

 ステラは表情を曇らせた。

「……アベルはミモザの味方なの?」

「お前の味方だよ!だから言ってるんだ!!」

 眉を顰める。ステラの味方なのにステラの行動を止める理由がわからない。

「でも、20匹以上狩ってもわたしは大丈夫なのよ。怪我もしないわ。そんな制限なんてなんの意味があるというの?」

「理由なんかどうだっていい!問題なのはそれが犯罪だってことだ!」

「アベル……」

「なぁ、ステラ、わかってくれ。俺はお前が大事なんだ。傷ついてほしくない」

「……わかったわ」

 本当はわからない。けれどアベルがあまりにも辛そうで、ステラはそう言っていた。

「ステラ……っ」

 アベルが安心したように破顔してステラを抱きしめる。

「ごめんね、アベル。アベルの嫌がることをして」

「いいよ! いいさ、わかってくれれば!」

 ぎゅうぎゅうとアベルに抱きしめられながら、ステラは思う。

(アベルが気づかないようにしないと……)

 知られるたびにこうもうるさく言われては面倒だった。


 かたん、と軽い音を立てて扉を開ける。

「ああ、ミモザ。帰っていたのか」

「レオン様っ!?」

 部屋から出た途端にかけられた声にミモザは飛び上がった。

 彼もちょうど帰ってきた所だったのだろう。自室の扉を開けて入ろうとした時にミモザが隣の部屋から出てきて鉢合わせたらしい。

「なにをそんなに驚くことがある」

 彼はそんなミモザの反応に憮然とした。

「いや、急に声をかけられたもので……」

 ついでに言えば考えごとをしていたせいでもある。

 ステラのことだ。

 姉のあの行為をレオンハルトに相談するかどうかを悩んでいたら、急に声をかけられて飛び上がってしまったのである。

(どうしようかな……)

 軍警に届け出るというのは選択肢には最初からない。なにせ本人の自白以外に証拠のないことであるし、積極的にステラを追い込む気にはなれないのだ。

(覚悟が甘いな、僕も。……奪うと決めたのに良い人ぶりたいのか?)

 しかしミモザはステラから聖騎士の座をぶんどる覚悟はしていても、ステラから社会的な立場を奪う覚悟はしていなかったのだ。元々はせいぜいが悔しがって地団駄を踏んで欲しかっただけである。笑えるほどに甘っちょろい報復を目論んでいたのだ。

 しかし見捨てると決めたからには、ミモザも覚悟を決めなくてはならないのだろう。

 例えステラがどうなっても、見捨て続ける覚悟を。

「ミモザ?どうした?」

 黙り込むミモザに不審そうにレオンハルトが問いかけた。それに一瞬逡巡し、

「なんでもありません。第1の塔の攻略をしてきました」

 結局ミモザは黙ることを選択した。

 しかしこれはステラに温情をかけたのではない。むしろ逆だ。

(落ちるなら、とことん勝手に落ちていってくれ)

 今ここでステラの罪状を食い止めてあげる義理はミモザにはないのだ。

 ステラの行為に目をつむる。

 それがミモザなりの、『ステラを貶めたい』という自分が抱く悪意に対する礼儀であり、言い訳の許されない悪人になるという覚悟だった。

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