第33話 もしもの話

 夜の帷も下り、月の光が室内にこぼれ落ちてきていた。貴重な蝋燭をいくつも燃やし室内は煌々と光っている。寝室のベッドであぐらをかき、酒の入ったグラスを傾けながらレオンハルトは、

 超絶不機嫌だった。

(どうしようかなぁ)

 すぐに空になったガラスに酒を注ぎながらミモザは無言で困る。こうなった原因については、話を昼頃にまでさかのぼる必要があった。


「少しお時間をよろしいでしょうか」

「かまいませんよ。俺になんの用事でしょうか?」

 そう声をかけたジェーンという女性に、レオンハルトは周囲をちらりと目線だけで流し見るとすぐに笑顔を作って鷹揚に頷いた。

(猫かぶりモードだ)

 随分と久しぶりに見た気がする。周りを見渡すとなるほど、通行人や近くのカフェにいる人などがこちらを見ていた。ついでにあれは記者だろうか、こちらに隠れているつもりなのかさりげなくメモ帳にペンを走らせている人もいる。レオンハルトは背も高く非常に目立つ人のため、衆目に晒される場所ではあまり素っ気ないこともできないらしい。

「私は試練の塔被害者遺族の会の者です。最近娘を亡くしまして入会致しました。エリザ、いえ、貴方にはわからない話なのでそのあたりは割愛させていただきますね」

「いえ、わかりますよ。3ヶ月前に亡くなられたエリザ嬢のお母様ですね」

 レオンハルトの返しに彼女は目を見張った。まさか前日に未発売のはずのコラムを読んで予習をしていたなどとは予想だにしないだろう。

 彼女は思わぬ切り返しにしばし逡巡した後「では、どういった用件かはわかっていただけると思いますが」と前置きをして深々と頭を下げた。

「どうか、貴方様から教皇聖下に試練の塔閉鎖についてご進言いただけないでしょうか」

 それはかろうじて疑問形を取っているが、明らかな脅しであった。

(まずいなぁ)

 この状況が、である。大勢の人前で切々と訴え頭を下げる女性。要求は塔の閉鎖、盾に取られているのはレオンハルトの評判だ。これで突っぱねるような真似をすればレオンハルトが悪者である。この状況を見ると記者らしき男は実は仕込みではないかと勘ぐりたくもなる。

(レオン様に泥を被らせるわけにはいかない)

 幸いなことにミモザは公的な立場を持たない人間、しかも子どもである。ミモザの監督責任を問われることはあるかも知れないが、それでもレオンハルト自身を追求されるよりは遥かにマシだろう。

 ミモザは一歩前に出ようとして、ぐっとレオンハルトに押し留められた。思わず彼の顔を見ると余計なことはするなと言わんばかりに睨まれる。

 大人しく一歩下がる。それを確認するとレオンハルトはその場に膝まづき、女性の手をうやうやしく取った。

「ご心痛、お察し致します」

「それじゃあ」

 要望が通ったのかと顔をあげた女性に、レオンハルトは痛ましげな表情でゆっくりと首を横に振った。

「本当に、なんとお詫び申し上げればいいか。俺が助けに行ければ……、すべてこのレオンハルトの不得の致すところです」

「えっと……」

 戸惑う女性の手を一際強くぐっと握りしめ、彼は女性の顔を真摯に見つめた。

「俺はできる限りすべての人を助けたいと思っています。しかしこうして力の及ばないことが今だにある。きっと今後もゼロにはならないのでしょう。しかし必ず!精進を重ね、このような不幸な事故を減らしてみせるとお約束致します!」

 その演説に周囲からは「おおっ!」と歓声が上がる。

(うわぁ)

 稀代の詐欺師である。目には目を歯に歯を。レオンハルトはあっさりと話題をすり替え、それどころか周囲の民衆を使ってあっという間にその場の空気を変えてしまった。

 この空気では「自分のせいで助けることが出来なかった」と自分を責めるレオンハルトに下手に言い募れば、悪役になるのは今度は女性の方だろう。

「ええっと、その、私は……」

 このような切り返しは想定していなかったのだろう、女性は言い淀む。それにレオンハルトは何かを察したように頷いてみせた。

 何を察したのかはきっと誰にもわからない。

「ジェーン様、どうか俺に挽回のチャンスをください」

「えっと」

 戸惑ったジェーンはわずかに身体を揺らした。それを勝手に頷いたと受け取って、レオンハルトは「ありがとうございます!」と感極まった声を出し彼女を抱きしめる。

「必ず!貴方のその慈悲に報いてみせます!必ず!」

 そこで身を離すと彼女を真っ直ぐに見つめる。

「次は救ってみせます」

 その言葉に周囲から拍手と歓声が起こる。レオンハルトの真摯さを讃えるその場所で、ジェーンはその空気に呑まれたように「き、期待しているわ」と口にすると逃れるように足早に立ち去ってしまった。


 そして現在に至る。昼間に感動的な大演説を繰り広げた当人は、だらしなく布団の上に酒とつまみを持ち込んでヤケ酒をあおっていた。ちなみにこれは今日が特別行儀が悪いわけではなくいつもの晩酌のスタイルである。平民出身でそれなりに貧困層であったレオンハルトは椅子ではなく地べたに座っているのが落ち着く傾向があるらしい。地べたでなくベッドであるのがきっと彼なりの精一杯の配慮だ。

「昼間は機転の効いた切り返しでしたね」

 とりあえず褒めてみた。

「ああいう場合は下手に空気を読まないほうがいいんだ。君も覚えておけ」

「はぁ」

 ミモザには覚えていたところで到底実行できそうもない手段だ。そしてレオンハルトの機嫌は悪いままだ。

(どうしようかなぁ)

 こういう時はジェイドは当てにならない。基本的には有能で困った時に頼るとなんでも解決してしまう彼だが、使用人という立場ゆえなのかレオンハルトに対してはだいぶ及び腰である。まぁ気持ちはわからなくはない。ミモザも最初の頃はレオンハルトの機嫌が悪いとひたすらに怯えていたものだ。

(こういう時は仕方がない)

 うん、と一つ頷くとミモザは……、黙っておくことにした。

 こういう際にミモザにできることはあまりない。ひたすら給餌に徹し、レオンハルトが話し出したらその話を傾聴するのみである。

 時間はかかるが結局それが一番良い解決策である。

「まったく理解できん」

 しばらく無心でお酌をしていると、ぽつりとレオンハルトはそう溢した。

「なぜ試練の塔を閉鎖したがるのか。そんなことをしたところで亡くなった娘は帰ってこない。ましてや彼女の娘は第5の塔に挑むほどの胆力と技量のある人だぞ。そんな女性が試練の塔の閉鎖を喜ぶとはとても思えん。娘の望まぬことを貫こうと努力するなど……、理解に苦しむな」

 通常試練の塔は番号が小さいほど容易く、大きくなるにつれて危険度が増す。そしてその1番の境目が第4の塔からだと言われている。

 つまりある程度腕に自信のある者しか第4以降の塔には挑まないものなのだ。大抵の人は第3までで止めるため、第4の塔を修めたといえばそれだけで尊敬される。エリザという女性はまさしく第4の塔を修め、第5の塔に挑み帰らぬ人となったのだ。

「僕は少し、……わかる気がします」

 レオンハルトの嘆きに、しかしミモザは素直に頷けなかった。

「なに?」

 彼の眉間に皺がよる。それに苦笑を返してミモザは空になったグラスに再び酒を注いだ。

「これは想像でしかありませんし、ジェーンさんには口が裂けても言えませんが、ちょっとわかる気がします。もしも僕の大切な人が亡くなってしまったら、きっと僕は助けられなかった自分を悔いて、そして今からでも何かできることはないかと模索すると思うんです」

 レオンハルトが死んだら。ミモザは思う。このままゲームのストーリー通りに進めば彼は死ぬ。そうなったら、知っていたのに防げなかったとしたら。

「死者にしてやれることなどない」

 弾かれたように顔を上げる。見るとレオンハルトは真剣な表情でミモザを見下ろしていた。ミモザは微笑む。

「それでも、貴方が亡くなってしまったら、僕は貴方のために何かできないかときっと必死になってしまう」

 レオンハルトが息を飲む。そこでミモザは自分が不謹慎なことを口にしたと気づいて慌てた。

「す、すみません!不吉なことを……」

「いや、いい……」

 何かを噛み締めるように、思いを馳せるようにレオンハルトは言う。

「続けろ」

「えーと、つまりですね。きっと亡くなったことが受け入れられないんです。だから貴方のために、何かしようだなんて不毛なことを考える」

 ミモザは半ばやけくそで言葉を続けた。彼は黙って聞いている。ミモザは観念した気持ちになって全部吐き出すことにした。

「だって、貴方のためにって頑張っている間は貴方の死と向き合わなくて済みますもん。目を逸らしていられる。だって僕は貴方のために頑張っているから」

 でも、と目を伏せる。

「目的を達成しても、残るのは貴方がいないという事実とそれを認められない自分だけです。だからきっと彼女も目的を果たしても、あまり報われないんじゃないでしょうか。少なくともやったーとは思わないんじゃないですかね」

「なるほど」

 レオンハルトは酒をあおった。先ほどまでよりもそのペースは落ち着いてきている。

「あの、本当に僕の気持ちでしかないので、彼女もそうかどうかはわかりませんよ」

「いや、しかしその理屈ならわからなくもない。ただこれ以上犠牲を出さないため、と言われるよりも納得がいく。参考になる」

 それで?と彼は尋ねた。

「どうしたら死を受け入れられる?参考までに聞かせてみろ」

 うっ、とミモザはつまる。そこまで具体的に考えてはいなかった。

「えー、えーと、お墓参り、とかですかね……」

「なるほど?」

 ミモザのしどろもどろの言葉に、彼は眉をひょいとあげて見せた。

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