第22話 弟子入り志願?

「難しいお話は終わったの?」

 その鈴の音を転がすような声は突然降ってきた。

 母がその声の主を振り返る。

「ステラ」

「ごめんなさい。わたしも少しだけお話したいことがあって…」

 申し訳なさそうに恐縮して、けれど姿勢良く落ち着いたそぶりでその少女は微笑んだ。

 長いハニーブロンドが彼女の動きに合わせて優雅になびき、美しい晴れた空のような青い瞳が瞳を潤ませて微笑んだ。白いブラウスのワンピースが揺れる。

「妹を、ミモザを助けてくださってありがとうございます」

 ぴょこん、と可愛らしくお辞儀をする。

「ああ、当然のことをしたまでだ。礼を言われるようなことではないよ」

 気を削がれたような表情でレオンハルトは応じる。それにステラは気づいていないのか会話を続けた。

「いえ、おかげで妹は大きな怪我をせずに済みました。ありがとうございます」

(怪我、してるんだけどなぁ……)

 ミモザはぽりぽりともうすでに血が固まりかけている傷口を掻く。まぁ、大きくないと言えば大きくはない。しかし自分で言うならまだしも、人に言われるともやもやとしてしまう。

 この姉に言われると特に、である。

 傷一つなく美しいステラを見つめ、擦り傷と泥にまみれ髪もちりぢりになってしまったミモザは微妙な顔をした。

「怪我をする前に助けられなかったことをここは責める場面だよ、ええと…」

 言い淀むレオンハルトに、

「ステラ、と申します」

 にこりと微笑んで彼女は言う。

「では、ステラくん。俺はレオンハルト・ガードナーと言う。こちらはレーヴェ」 

 レオンハルトが差し出した手を握り2人は握手を交わした。

「あ、わたしの守護精霊はティアラというんです。猫科で翼があるなんて、わたし達おそろいですね」

 そう、何故かはわからないが、ステラとレオンハルトの守護精霊は非常に似た造形をしているのであった。

 レオンハルトは翼の生えた黄金の獅子なのに対してステラは翼の生えた銀色の猫である。

 ティアラは紹介されたことが嬉しいのかなーん、と鳴いた。

(制作スタッフが猫好きだったのだろうか)

 なんにせよ、鼠であるチロにとってはどちらも天敵に違いない。

「そうか」

 ステラの台詞にレオンハルトは微笑ましげにふっ、と笑った。ステラの頬が桃色に染まる。その顔はまるで恋する乙女だ。

 それをミモザはげんなりとした表情で眺めた。

(ゲームにそんな描写あったっけ?)

 いや確かなかった、はずだ。ステラがレオンハルトに恋しているなどと。まぁ思い出せないことの多いミモザの記憶などそこまで頼りにはならないのだが。

「それでは俺はそろそろ」

 握っていた手を離し、レオンは言うと身を翻そうとした。

「……っ、あの!」

 その時、意を決したようにステラが声を上げた。その横顔は何かを決意したかのように凛として美しかった。

「なんだい?」

「わたしにも!修行をつけていただけないでしょうか!」

(げ)

 あまりにも恐ろしい展開にミモザは青ざめる。

 時間だけがミモザのアドバンテージなのだ。それがほぼ同時に、しかも同じ師匠から教えを受けるなど才能にあふれるステラに対してミモザは敵う要素がない。

 しかしそんな事情はレオンハルトには知ったことではないだろう。彼がその申し出を受けることを止める権利はミモザにはない。

(どうしよう……)

 うろうろと視線を彷徨わせてそれは自然と自分の肩に腰掛けるチロへと着地した。

「チチ」

 その視線を受けるとチロは立ち上がり任せておけとばかりにサムズアップする。そのままおもむろに自分の背中から一際鋭い針を引き抜くと暗殺の準備は万端だぜ!と頷いてみせた。

「‥‥‥」

 ミモザは無言でそっとチロのことを両手でつつみポケットへとしまうとそのまま見なかったことにした。

 一方肝心のレオンハルトはというと決意みなぎるステラをみてふむ、と頷くと「では、これを君にあげよう」と一枚の紙に何事かをさらさらと書き込んで渡した。

 それを不思議そうに受け取るとその中身を見てステラの表情が曇る。

 ミモザにはその紙の中身が手に取るようにわかった。

 筋トレのメニューだ。

 ミモザにも渡されたそれがステラにも渡されたのだ。

 ステラはその紙の内容とレオンハルトを困惑したように交互に見ると「あのー」と口を開いた。

「わたしは精霊騎士としての修行をつけていただきたいのですが」

「もちろんだとも。精霊騎士には体力も重要だ。申し訳ないが俺はそれなりに忙しい立場でね。だから常に付きっきりで見てあげるということは難しい。ある程度の自主トレーニングをこなしてもらう必要がある。そのメニューを毎日継続して行うといい。きっと君の力になるだろう」

 その言葉にステラの表情は明らかに曇った。

 瞳にはわずかに失望の影がある。

「わたしでは、レオンハルト様に直接ご指導いただくには値しないということでしょうか」

 しゅんと肩を落とす姿はいかにも儚げで人の罪悪感を煽る風情があった。

 レオンハルトはその様子にわずかに拍子抜けをするような顔を見せたがそれは一瞬のことで、瞬きをした次の瞬間にはそれはいかにも誠実そうな真面目な表情へと切り替わっていた。

「そういうことではない。なんと言えば誤解がなく伝わるかな。君自身の価値がどうこうではなく物理的に難しいと言っているんだよ」

「すみませんでした。おごかましいお願いをしてしまって。ご迷惑をおかけするわけにもいきませんから、わたしは大人しく身を引きます」

 深々と丁寧に頭を下げる。

 そのしおらしい姿にこれは「いやいやそうじゃないんだ。君は何も悪くはない」と慰める場面だな、とミモザは白けた顔で眺めた。

 姉はこういうのが本当にうまい。本当に天然なのか計算なのか知らないが、相手の同情や気遣いを引き出して自分の都合の良いように物事を進めようとするのだ。

 ポケットの中で殺させろといわんばかりに暴れ回るチロのことを抑えながら、つまらなそうに目を伏せたミモザに

「そうかい。なら残念だが俺が君にできることはないようだ」

 ばっさりと切り捨てるレオンハルトの声が響いた。

 思わず間抜けに口をぽかんと開けてレオンハルトの方を見る。

 ステラも予想外だったのか呆気に取られたような表情で彼を見つめていた。

 それににっこりと爽やかな笑みをレオンハルトは向ける。

 その笑顔は一点の曇りもなく美しく、まるで自分には一切の悪意も他意もありませんといわんばかりだ。

「君には君の進むべき道があるのだろう。いつか俺の元まで自力で辿り着くことを期待している」

 応援しているよ、といかにも善意100%の様子でステラの肩を力強く叩いてみせた。

(うわぁ)

 役者が違う。

 ミモザは舌を巻く。

 ステラのそれは無意識かもしれないがレオンハルトは明らかに意識的に無害を装って自身に都合の良い方向へと話を強引に軌道修正してしまった。

 たぶんステラの相手をするのが面倒くさくなったのだろう。

 そのまますぐに母のほうへと体ごと視線を向けると「では、先ほどのお話の通りにミモザくんのことはこれからは師として時々預からせてもらいますので」と話を戻した。

「本当に本日は弟が申し訳ありませんでした」

「そんな、いいのよ。レオンハルトさんのせいではないのだから。最初は強く責めるように言ってしまってごめんなさいね」

「いえ、また何かうちの弟やその他の子が問題を起こすようでしたらすぐに俺に連絡をください。しっかり対応をさせていただきますので」

 そう言ってきっちりと丁寧にお辞儀をしてみせる。母もお辞儀を返しつつどうか頭を上げてください。こちらのほうこそミモザをお願いします、と告げて話を締めくくった。

 結局ステラは驚いた表情のままレオンハルトが立ち去るまで再び口を開くことはなかった。

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