純礼

@Auroradays

第1話 遭遇

僕はどうしてこんなところへ来てしまったのだろう。


周囲は騒がしく、派手な色と過度な酒の匂いに満ちていた。

大学に入学した僕は、新入生歓迎会と銘打たれた集まりに参加し、その中で誰ともなく飲み会に行こうという話になりここにいるわけだが。

来て30分足らず、もう帰りたくなっている。そもそもこうした喧騒が僕の得意とするところではないのは己でも承知の上だっただろう。だというのになぜ来てしまったのか。

まあ理由はある。文学部の新入生歓迎会であるなら同志が見つかるだろうという浅はかな考えはあった。僕のように活字中毒のような生き物ばかりがいるのだろうから、そうした話が弾む空気が醸造されるだろうと思い参加したが思い違いだったようだ。

そもそも僕と同類がいない。どこもかしこもサイケデリックな色合いの頭とファッション、中毒者のように杯を呷る輩しか見当たらない。文系というのはお花畑の集まりなのだろうか。目の前にいる人間たちは本当に人間なのか。大衆の最小単位のような顔をしたこいつらに自由意思はあるのか。

野狐禅という言葉がある。徒に半端な禅を行った結果、半端な悟りを得て畜生へ堕ちることを言うらしい。天狗という言葉も元来は傲慢な修行者が仏になることが出来ずに変容した姿だとされる。それゆえにアマツキツネと書くようだ。

それでも悟りを開こうとしただけましだろう。彼らがキツネや犬と称されるなら、いま僕の前にいる生きながらにして畜生道へ堕ちているような者たちはなんと形容するべきだろう。ついさっき僕にすら酒の勢いで話しかけてくる奴がいた。目も見えていないのだろうか。

こうした人種はなんと呼べばよいのだろう。世間に従いやみくもに自分を持たず、女の腐ったような性根でトレンドに踊らされるような生き物はもはや大衆でなく大醜と呼ぶべきだと考える。そうなれば醜愚政治とは極限まで高まったポピュリズムを表すのになんとも適した羅列のように思える。


そんなことを考えていると。

「ねえ君、なんだか暇そうだね?」

いつの間にか隣に誰か座り話しかけてきた。正直面食らう。僕は今しがた目前の地獄を見て自分の世界に入りかけていたところだったのだ。気味の悪い顔をしていなかっただろうか。

そう思いながら横を見る。隣にいたのは目前の地獄によく馴染むであろう見た目の女子だった。金髪に染めたショートボブ、タイトな印象を持たせる服と目にまぶしいミニスカートとニーソックス。肉感的なスタイルと明朗快活な印象は、いかにも男の目を惹き付けるのだろうという予感があった。

「さっきからずっと一人でノンアル飲んでない?それじゃ楽しくないでしょ~、あっ店員さんカルーアミルク一つお願いしまーす!」

…正直どこかへ行ってほしい。この女子が隣にいると否が応でも視線が集中する。他人の無遠慮な盗み見に耐えられるほどの神経は通っていない。

どこかへ行けとの思いを外部へ発せぬまま機を逃していると、その女はどんどん距離を詰めてくる。

「なんで文学部入ったの?結構そういうの詳しそうだよねえ、めっちゃ本読んでんだろうなー、ほら眼鏡の度すんごい強いし?子供のころからさぞかし読み漁ってたんでしょ。あたしも最近江戸川乱歩読んでんだけど分かるかな、人間椅子とか屋根裏の散歩者とか!あのエログロナンセンスが入り混じった作風好きだなぁ~純文学の中の異色って雰囲気がビビっと来ちゃって…」

この女ものすごい勢いで喋る。こちらが口をはさむ余地もなく矢継ぎ早にまくし立ててきて圧倒されてしまう。しかし意外だ、この見た目だからてっきり「戦時中にタイムスリップして特攻兵と愛を育むって内容の本がエモくて~」なんて言い出すかと思っていた。江戸川乱歩の作品は確かに面白い。人間の禁忌に迫るような登場人物の在り方は、近代化が推し進められたあの時代において抑圧された人の獣性を詳らかにしているようで、見てはいけないものを見ている気分を味わえる。

試しに「夏の葬列」の話題を振ってみるとこれまた意外に食いついてきた。雰囲気に似合わず暗いのが好みのようだ。

気の合う人間と話していると酒が進むというのはどうやら本当らしい。さっきこの子が頼んでいたカクテルは僕に回され、飲み終わるたびに間髪入れず甘い酒が運ばれてくる。こんなに飲むのは初めてだ。眠りに落ちる前のような快感が慢性的に続く。なるほど、こんな気分になるのだから多くの人間がアルコールに溺れるのも分かる気がする。


目が覚めると僕はベッドの上にいた。自分の部屋ではない。僕の部屋はこんなに瀟洒な雰囲気に包まれてもないし、なにより横に裸の女が寝ていることなどあり得ない。

これはなにか悪い夢だろうか。いかんせん昨日の記憶が無いため何も思い出せない。窓から朝日が差し込んでくる眩しさと、自分のものではない甘ったるい体臭が、この悪夢は紛れもない現実なのだと教えてくれる。僕は隣で上下する大きな膨らみとインドアの極みのような自分の体を見比べ、嘆息し立ち上がった。

そのまま洗面台の前へ行き己の容貌を見る。雑に伸ばし後ろに纏めた髪と、汗と油、その他よく分からない汁で酷い有様の顔。今日は1限から講義があったように思うが、この見た目で出席する勇気はない。そして雌二匹の情欲が混じった薫香を漂わせながら大学へ行くのは、なんというかこう、最高学府を侮辱しているような気分になる。

皆勤記録に伴う教授からの好印象を諦めつつベッドへ戻ると裸の女が起きていた。

「びっくりしたっしょ?昨日の夜はお楽しみだったねえ、君全然慣れてなくて可愛くて嗜虐心高まっちゃった。普段からあんな声出してくれたら話しててウキウキするんだけどな。」

おそらくこいつは全て計画していたのだろう。僕をいい具合に酔わせてホテルへ連れ込み、そして襲った。ずいぶん手際がいいではないか。

「慣れてるんだね、こうやって何人泣かせた?」

嫌味を言ってみるが、返答はあっけらかんとしたものだった。

「いや何人って、君が初めてなんだけど。見たときにビビっと来ちゃって、慌てて連れ込みの方法ネット検索した付け焼刃だったけど?それにまんまと引っ掛かった人がなに言ってんのさぁ」

ぐうの音も出ない。本来ならこうした手法をやる方も引っ掛かる方も馬鹿にしていたものだったが、現実として僕はこの女に食われたのだ。そして引っ掛かったということは認めざるを得ないだろう。僕はこの女に惹かれていた。

鏡を見た際に気付いた、鎖骨付近の噛み跡を隠しながら僕は尋ねる。

「君、名前は?」

すると彼女は枕元のメモ帳へ字を書いてみせた。そこには「鳳純」とあった。

「おおとり じゅん って読むの。読み辛いよねぇ」

彼女が見せたメモ帳を貰い、僕もその横へ「雛野礼」と書く。

「ひなの れい って読む。書き辛い。」

僕がそう言うと純は笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る