第26話 ともだち賛歌
(ともだち賛歌)
そして、いよいよ合唱コンクールの日……
この合唱コンクールは、スポーツで競うクラスマッチとは少しばかり違う。
それは、ここで優勝できれば、学年の代表として、十一月初めに開かれる校内の文化祭の晴れの舞台に立てるという名誉が与えられる。
それと同時に、日ごろ何かと交流を持っている隣の中学の文化祭にも招待され合唱を披露するというおまけ付き。
もちろん、遊びにいくのではないが、授業は、半日つぶれる。それが、生徒たちには嬉しかった。
正美たち三組は、抽選の結果、二番目に歌うことになった。
そして、交流校の校長先生の挨拶が終わり、音楽主任の先生から注意事項、審査員紹介と続いた。
審査員は、当校と交流中学の校長先生と、両校の二年三年の音楽主任各一名で、合わせて四名、計六人で厳正な審査を行うことになっていた。
審査員の紹介が終わると、会場の照明が薄暗くなった。
そして、会場のどよめきの中、六組と三組が舞台の袖に移動した。
「レイ! 間違えたらどうしよう……」
正美が、麗子のもとへ駆け寄ってきて腕をつかんだ。
「なにいってんのよ。そんなこと考えてどうするのよ。練習したでしょう。ちゃんと上手に出来たんだから。そのことだけを考えればいいのよ。わかった!」
「わかった……」
正美は、青ざめたまま顔を少し引きつらせて素直に列にもどった。
「なに考えてんだか……」
麗子は、あきれながら、愛美の顔を見た。
愛美は、少し微笑みながらも麗子の顔をじっと見ていた。
「アミ、あんた緊張してない……」
「うー、少しね。レイは大丈夫そうね……」
「まさか、ただのから元気よ。たぶんアミと同じよ……」
麗子は、愛美の目線を逆らわずに受け止めた。
「そっか、でも、もーう、大丈夫……」
愛美は、そのまま麗子を見つめていた。
「私も、それじゃーあ、いつものように、いっちょうやりますか!」
「うん!」
愛美は、小さくうなずいた。
間もなく六組の合唱が終わり、続いて三組の出番だ。
指揮者の麗子を先頭に、伴奏の愛美、そしてクラスの面々と舞台に上がった。
愛美は途中、舞台の上に用意してあるグランドピアノには目もくれず、その端から花道のように客席に突き出たところにある常設のセラミックピアノに向かった。
どちらのピアノを使うかは、その特性を含めて、生徒たちには前もって知らされていて、舞台練習のときに実際に引き比べてみて良いほうを選ぶことになっていた。
実際、セラミックス・ピアノを使ったのは愛実しかいなかった。
麗子は、整列が終わったことを確かめると、愛美のほうを見た。
愛美は、小さくうなずいた。
麗子は、体をゆっくり回して観客席を向いた。
場内は、物音一つなく静かだった。
そして、ふかぶかと大きくお辞儀をすると、もう一度クラスのほうに体を向けた。
麗子は、クラスの顔を見まわしてから、大きくタクトを上げた。それを合図に、クラスは歌う姿勢を作った。
そして麗子は、そのタクトを愛美に向かって振り下ろした。
最初は、課題曲「旅愁」、規定どおりの合唱だが、愛実の伴奏は、豊富な装飾符を交えてアレンジしてあり一味違ったものになっていた。
それがまた平凡な合唱を魅力的なものに変えた。
一呼吸おいて、いよいよ自由曲だ。
愛美は、柔らかく小さなオルゴールに似た音から始めた。
その小さな音は、雪原の静観な広がりをイメージさせた。
しかし、その音はだんだんと大きな音になり、雲を呼び光を遮った。
やがて場内に粉雪が降りそそいだ。
それと同時にテノール男子のハミングが始まると、どこからともなく風が吹いた。
その風は雪雲を西の空に漂わせた。
それと、重なり合うようにソプラノ女子のハミングが始まると夕日が雪原を赤々と染め出す。
続いてアルト女子のスキャットが遠くの馬鈴を響かせた時、愛美のピアノは一転してテンポを変えた。
静から動へ、その響きはだんだんと勢いを増し場内を圧倒した。
雪を蹴って走るトロイカの登場だ。
そして、歌は、愛美の演奏とは正反対にゆっくりとピアノの音に隠れるかのように小さな混声合唱で始まった。
しかし歌声はだんだん大きくなって、やがてピアノの音を乗り越えていった。
「ゆーきーの白樺なーみき、夕日がはえるー」
同時に、ソプラノ女子のハミングが夕日で歌声を赤々と照らし出す。
そのころになると、いつのまにかピアノは、普通の伴奏にもどっていた。
そして、夕日に照らし出された歌声は、よりいっそう大きな声となり場内を響かせた。
「走―れ、トロイカほがらかに、鈴のねたかくー」
一番から二番へは、ほとんど切れ間がなく、一番での盛り上がりをそのまま二番へとぶつけた。
「響―け、若人のーうた、たかなれバイヤンー」
「走―れ、トロイカかーろやかに、粉雪けってー」
合唱が途切れた瞬間、愛美は腰のばねを使って全身の体重で鍵盤を押さえた。
九六弦から作り出されるセラミックス・ピアノの衝撃波は、観客の心臓を吹き飛ばすように響いた。
春雷の響きだった……
愛美のピアノソロは、ここから始まった。
そして地鳴りのような衝撃波は、だんだんと一つにまとまり一本の川になった。
川は大地を潤おし、やがて雪原を緑の草原かえる。
草原にはマリンかの花が咲き乱れ、愛美の演奏は、ここからロシア民謡のマリンカに移る予定だった。
しかし、愛美は昨日になってアメリカ民謡の「ともだち賛歌」を弾きたくなり、それを代わりに弾いた。
それは愛美がクラスのみんなに示した感謝の気持ちだったのかもしれない。
そして、もう一度トロイカの前奏をたからかに響かせてから、愛実のソロは終わった。
それを合図にテノールとバスの男子が前奏の余韻を受ける形で、無伴奏で静かにゆっくりと歌い出した。
「くろーい、瞳がまーつよ、あの森こせばー」
そして、いよいよクライマックス。
ピアノの伴奏を含め混声四部合唱、総力をあげて力一杯、一気にテンポを速めて歌い上げた。
「はーしれ、トロイカこよいーは、楽しいうたげー」
そして、さらにテンポを速めて切れ目なくもう一度二番に、
「響―け、若人のーうた、たかなれバイヤンー」
「走―れ、トロイカかーろやかに、粉雪けって……、ヤーあー!」
最後に、「ヤーあ」と大きな掛け声とともに、すべてが吹き飛んだかのようにして終わった。
静寂が場内を石に変えた。
そして、少し間を置いてから、合唱の前に聴こえたオルゴールのようなピアノの音が、やさしく観客の心を解きほぐすかのようにささやいて終る。
麗子は、愛美のピアノが終わると、頭の上で結んだ両腕をゆっくりと降ろした。
そして、麗子が観客席を向いたとき、場内はまだ静かだった。
観客は、あまりにも激しいピアノと合唱の余韻で、まだなにが起こったのか自覚していなかった。
多くの生徒は合唱コンクールのことすら忘れていた。
麗子が、ふかぶかとお辞儀をしたとき、数人の生徒が拍手をした。
その拍手で気がついたのか、次から次えと拍手が鳴り響いた。
麗子は、その拍手を背に退場を急いだ。
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