第25話 栄光の兆し

(栄光の兆し)


 そして放課後……


 一度、通しで歌ってから麗子が喋りだした。


「だいぶ構成が掴めてきたと思います。でも、今のままでは、ピアノと喧嘩しているように聞こえます。そこで、今度は唄の気持ちを入れて歌うように心がけて下さい……」


「唄の気持ちってどういうこと?」


 クラスの男子の一人から声がかかった。


 麗子はこの質問を待っていた。


「それでは、トロイカの心を、アミにピアノで弾いてもらいます。みんな目を閉じて耳をすまして、よーく聴いていて下さい。アミお願い……」


 愛美は、いつもの合唱に合わせた伴奏ではなく、トロイカの唄の情景とその心を超絶技巧を交えながら、おもうがまま弾いた。


 愛美が二回弾き終わると、クラスの中からため息交じりの感嘆とも感銘ともつかぬ声が漏れた。


「なんか、アミのピアノは本当に心に、どしん、どしんって響いて、胸が苦しくなるわー!」

 クラスの女子が言った。


 そしてまたクラスがざわついた。


「今、美智代がいった通り、この歌は、雪原の静かな情景ですが、その中に居て、馬そりの馬や御者は、息を荒立てて、町へ、町へと急いで走っています。時より鞭の音も響くし、馬鈴は鳴り止みません。御者は一刻も早く町へ行きたいのですが、雪が深くてなかなか進めない。そのうえ、夕日は今にも沈みそうで、闇がそこまで迫っています。そんな、いらいらする気持、あせる気持ちで手綱をあおります。アミのピアノが胸に苦しく響くのは、もちろん、御者と馬の雪との格闘の姿からです……」


「つまり、テンポのよさに乗せられて、軽く歌ってはいけないのね!」

 美智代が、また言った。


「そう、そのとおり……、軽快なリズムの中にでも、一言一言、疲労と焦りを気持ちに入れれば、自然に歌は重々しくなるはずです。でも、その重さに押しつぶされては、この歌の意味がありません。主題は、あくまでも勇ましさと軽やかさです!」


「うーう、難しいよー」

 後ろの方で男子がいった。


「そうねー。トロイカって歌っているけど、何のことか知っている?」

 クラスの反応はなかった。


「おいおい……、さっきも言ったように、馬車のことです。それも馬を三頭繋いで走る大型の馬車です。ここでは馬そりですが。今でいえば車、自動車です。それも高級車か、スポーツカーですね。つまり現代で言えば、俺の車は100万馬力、どんな道でもカッ飛ぶぜー。といった感じです。でも、深い雪道では、その力も新雪に阻まれ、何時ものように走れません。運転手は焦ります。お前、100万馬力もあるくせに走れないのかよー。て、感じです……」


「その車、四駆じゃないのかよー!」

 後ろの席の男子がちゃかした。


「バカー、四駆でも深い雪だと雪に埋もれて、はまっちゃうぜっ!」


 麗子は、笑って話を続けた。


「もしかしたら、雪で大渋滞で、なかなか前に進めないかもしれません。街にはきっと彼女が待っているんでしょうね。だから、いらだつと同時に嬉しさも湧いてくるのね。そんな時の気持ちです……」


 麗子は、話しながら、その情景を思い出して吹き出してしまった。


「麗子、それ面白いー!」と、さっきの美智子が言った。


「なんか、わかった気がする」と後ろの男子からも声がかかった。


 麗子は、大きく頷いてから言った。


「それでは、今の伴奏で一度歌ってみたいと思います!」


 麗子は、愛美に合図して、タクトを振った。


 さすがに、ピアノの響きが大きい。


 でも、その響きにつられて、最初の合唱よりも声が大きく出ている。

 そして、歌い終わると、後ろの男子からぼそぼそと囁いた。


「気持ちを出して歌うって、良くわからないけど、アミのピアノの気持ちは、いやでも胸に響くぜっ!」


「そう、それでいいのよ。アミは、いつでも、心を弾いているわ。だから、ピアノを聴いて感じたまんま、思いっきり声に出せばいいのよっ!」


 麗子も、少しいつもの練習よりも力が入っているのを感じていた。


「何か、俺、楽しくなってきたー!」

 男子がそういうと、クラスがどっとわいた。


 それは、クラスが同じ気持ちであったことを物語っていた。


「じゃーもう一度いくわよっ!」

 麗子は、またタクトを振った。


 一度目よりも、二度目、二度目よりも、三度目……


 合唱は、愛美のピアノに少しずつ合うようになってきた。


 それは、文字どうり合唱が上達していることをあらわしていた。


 麗子は、もしかすると、優勝も夢ではないと、このとき始めて思った。


 しかし、それよりもまして、いつもは顔にできた、にきびを見るような怪訝な態度をとるクラスの仲間が、今は愛美のピアノを中心に、一つの心になっているこが、麗子には嬉しかった。




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