第15話 となりの幽霊さん?
(となりの幽霊さん?)
民宿ある高台から降りて、更に下って行った所に、砂浜は広がっていた。
そして、色とりどりのパラソルが花のように咲き乱れ、愛実たちをにぎやかに出迎えてくれた。
三人は、正美の膨らました四人乗りぐらいの大きなゴムボートに、パラソルやら、ビーチマットやら、タオルやら、ジュースやら、お菓子など詰め込んで、それを三人でかついでやってきた。
愛実と麗子は、あれほどへたばっていたのに、いつの間にか忘れて、はしゃいでいるのが不思議だった。
「ね―え、どこまで行くのよっ?」
愛実は、どこまでも続く、焼け付くような砂浜でめまいがしそうだ。
「もうちょっと、波打ちぎわまで……」
正美は毎年やってくるので、自分自身のお気に入りの場所があるのか愛実の言葉にはお構いなしに焼け付いた砂浜を平然と歩き続けた。
そして、波打ちぎわから少し離れたところに着くとボートを降ろして、持ってきた荷物を砂浜に全て放り投げた。
「アミ、あんたが一番着替えるのが遅かったんだから、罰として、傘を立てて、マットを引いて荷物をまとめておくこと。じゃ―ねーっ!」
と麗子が言うと、正美と二人でボートを、もう一度さげて海へ駆け出した。
「ちょっと待ってよ。いつそんなこと決めたのよっ!」と、愛実は荷物を置いて逃げる二人に叫んだが、後の祭りだった。
「レイのやつ、今日はやけに突っかかるな―」
そして、麗子と正美は、準備運動もそっちのけで、ボートを持ったまま海へ飛び込んだ。
「わ―あ―、冷た―いっ! でも、気持ちいい―!」
麗子は、寄せてくる波を蹴飛ばしながら、今年初めての海の感触に戯れた。
正美も、麗子に向かって波を蹴飛ばしながら嬉しそうだ。
いつの間にか、一人ボートは波間を走っていた。
「わ―あっ、流されちゃうよ―」
二人は、急いでボートへ飛び乗った。
そして、真っ青な空を仰ぎながら、体をいっぱいに伸ばして寝そべった。
波間に揺れるボートは、頭の中の思考を全てかき出してくれるような気持ちよさだ。
「正美ちゃん、私こんなの初めてだよ。本当に幸せ気分って感じ……」
「レイちゃん、大げさよ……」
正美も、麗子にそう言われて嬉しかった。
二人が、生涯の幸せを感じていた、その時……
「なにやってんのよっ!」と、ようやく二人に追いついてきた愛実が、びしょびしょに濡れた体でボートに上がってきた。
「きゃ―あー! アミ……、冷たいじゃないのよっ!」と麗子は思わず飛び起きた。
「どっちが冷たいのよ! 私、一人に荷物を片づけさせておいて―」
愛実は膨れっ面で、寝そべっていた麗子をボートのすみに追いやった。
「何よっ! アミがのろまなだけでしょう―」と麗子は、ずぶ濡れの愛実には、かなわないまでも反撃の口調……
「ま―ま―あ、二人とも、アミちゃん、ご苦労様っ!」
正美は、愛実のために自分の席も空けながらなだめた。
愛実はその言葉に満足したのか、空けてもらった席に移り、麗子がやっていたように体をいっぱいに伸ばして寝そべった。
「気持ちいい……、太陽がまぶし―いー」
愛実は、抜けるような空が、このまま宇宙につながっているのなら、星が見えるのではないかと思わず探してしまう始末だった。
そんなおり、ボートの縁に座っていた正美が不意に呟いた。
「変ねー?風が冷たいわ……」
「いいわよ、とっても爽やかで、アミが遅かったから、お日様が傾いちゃったのよっ!」と、麗子がまたしても皮肉を言う。
「何でも私のせいね―」
寝ながら、愛実が麗子の相手をしないように軽くいなした。
そして、もう一度冷たい風が吹いた時、南の空の入道雲がやけに黒っぽく見えた。
「ね―え! 夕立が来るわっ!」と正美は叫んだ。
「いいじゃない、夕立ぐらい。私たち裸なんだから」
愛実は少し頭を持ち上げて、あたりを見回した。
「そうね―、少し風が出てきたわねー」
麗子は、波頭が騒がしく色めき立っているのを見て不安を感じていた。
そして、いつの間にか、南の空は天上近くまで、黒々とした雲が覆っていた。
「アミちゃん、レイちゃん、起きて起きて、急いで浜へ上がらないと大変よっ!」
正美は、そう言いながら二人を起こすと、ボートのオールを急いで取り付けて浜へとこぎ出した。
黒々とした雲は、すでに愛実たちの頭上を越えていた。
それに連れて冷たい風も、ますます強くなり、ボートは沖へ沖へと押し戻されるようで、なかなか前に進まない。
ようやく、事の重大さに気づいた二人は、ただただ、おろおろするばかりで、なすすべがなかった。
そして、やっとの思いで浜に上がったときには、もう青い空はどこにもなく、その代わりに、今にも泣き出しそうな、どす黒い雲が低く低く立ち込めていた。
「アミ、早く荷物……!」
麗子が叫んだ。
「アミちゃん、レイちゃん、先にパラソルよ、風に飛ばされちゃうからっ!」正美が叫んだ。
三人は、砂の着いたまま手当たりしだいに荷物をボートにほうり投げた。
その一瞬、黒雲の間から、まばゆいばかりの閃光が扇のように広がって落ちた。
ゴロゴロゴロ……バリバリバリ……
耳の奧がジーンと響くような、凄まじい雷だった。
そして、そのあとから、突風が浜辺のゴミを巻き上げるように吹きつけた。
ほかの海水浴客も、ようやく浜辺の異変に気づき、みな大急ぎで海から上がり始めた。
そして、ザーアーと大粒の雨がバケツをひっくり返したように降って来た時、あたりは、黄昏のように暗く、見通しが効かなくなっていた。
「あ―ん、冷た―いっ!」
愛実が叫んだ。
「早く早く、向こうに桟敷席の屋根があるから」
正美が叫ぶ。
三人は、ボートを持って走り出した。
しかし、雨の勢いで前が見えない。
「正美ちゃん……、どっちへ行くの?」
愛実は雨音で、自分の声すら聞こえないなか、必死で叫んだ。
「いいから、走って、走ってー!」
正美が、もう一度叫ぶ。
それから無我夢中で、どれだけ走ったのかわからないが、どうやら桟敷席の屋根があるところまで、たどり着いたようだ。
そこには、すでに大勢の避難客が狭いところにひしめき合っていた。
しかし三人にとって、そのにぎわいは安心と共に心強く感じていた。
そのせいか、ときより光る稲妻にも……
「わ―あ……、きれい! ここでは、稲妻と雷が一緒に落ちるのね―」
愛実が、誰に言うともなく呟いた。
「あんなに、いい天気だったのにねー」と、麗子が沖の波頭を見ながらほっと心をなでおろしていた。
「海の天気は変わりやすいのよ。今日は、朝から暑かったからねー。入道雲も元気がいいわっ!」
正美はそう言いながら、ボートの中から少し水に浸かってしまったビーチタオルを絞って出した。
正美は、今日のような天候異変は何度も経験済みのようで、一人明るい笑顔を浮かべていた。
三人が着いてからも雨風は、ますます勢いを増し、海の波頭が激しく沖へ、沖へと跳ね上がって行くように見えた。
「まだ、おさまりそうにないわね……?」と麗子。
「大丈夫よ。そんなに長く続かないから……」
正美は、不安そうに囁く麗子にタオルを投げながら励ました。
そして頭の先から、つま先まで、びっしょり濡れたまま、呆然と荒れ狂う海を見ている愛実にもタオルを投げた。
「体、拭きなさい……。風邪、ひくわよ……」
「うん、ありがとう……」
愛実は、少し微笑んで正美の方を見た。
愛実が、髪と体を拭きながら、もう一度正美を見たとき、正美の後ろにいる小さな女の子と、その女の子を連れてきたらしい老婆に心を奪われた。
女の子は、乾いた白っぽいワンピースを着ているけれど、髪は愛実と同じように、びしょびしょに濡れ、愛実と同じようにタオルをかぶって髪を拭いていた。
老婆は、ひいてきたおば車に寄りかかりながら、無表情で女の子を見ていた。
しかし、その表情は、まわりのざわめきとは違って、波立たない湖水の穏やかさに似て、静かで透明だった。
まるで、嵐の中の幽霊……、確かにあたりは暗く、風と雨は容赦なくトタンの屋根をばたばたと打ちならしている。
その中で、そばに幽霊の一人二人いても不思議ではないと愛実は思った。
(小さな、かわいい幽霊さん。今日は残念ね。せっかくお婆ちゃんと海へ来たのにね。私も、残念よ。でも、もうじき雨もやむわ。ほら、少し明るくなってきた……)
正美が、愛実の視線に気づいて、なにげなく後ろを振り返った時……
「香奈ちゃん?」
愛実は、正美が呼ぶのを聞いて、びっくり鳥肌が立った。
「正美ちゃん、知ってるの?」と愛実はおそるおそる訊ねる。
「民宿の子よ。それと、お婆ちゃん……」
そう言いながら正美は、香奈の方へ歩き出した。
「マーちゃん……」と香奈の声は小さく弱々しかった。
「香奈ちゃんも、海へ来てたんだ……」
正美は、香奈の手からタオルを取ると、まだ濡れている髪を大急ぎで乾かし始めた。
香奈は、少し痛そうに顔をしかめていたが嬉しそうだった。
その様子を見て、お婆ちゃんがゆっくりした口調で話し始めた。
「香奈はな、朝からマ―ちゃんが来るからと、はしゃいで待っていたんだがな、昼過ぎてもこなんだからな、もしかすると、家には寄らずに、海へ行ったかもしれんでな、マ―ちゃんを探しながら泳どったんじゃ……」
「そうだったの。ごめんね。今日は、お父さんの車じゃなかったから、私たちだけで、電車とバスで来たのよ。だから、遅くなちゃった……」
正美は、香奈にやさしく悟すように話した。
「あれ、香奈ちゃん。まだ濡れているじゃない!」
香奈は、濡れた水着のまま服を着たらしく、背中とお尻あたりが濡れて透けて見えていた。
「さっきな、風が吹いて寒そうだったから着せたんじゃー」
とお婆さんがゆっくりと話した。
「でも、早く着替えないとね―」
正美は、しゃがみながら、滴がたれた香奈の足を拭いた。
香奈は、あまり表情を変えずに正美を見ていた。
そして、ようやく雲が切れて、日射しが海を照らしだした時、さっきまでの風が嘘のようにやんだ。
雨は霧のようになってあたりを霞ませている。あの黒い雲は、少し平たくなって町の方へ流れて行くのが見えた。
「わ―あ……、虹よ!」と誰かが叫んだ。
愛実たちが、その歓声に引かれて振り返ったとき、海から岬に掛けて、虹が鮮やかに架かっていた。
「わ―あ、綺麗ね―!」
愛実と麗子が呟いた。
「どうやら、雨はあがったようねっ!」
正美は、明るくなった浜辺を見渡しながら歩き出した。
そして、振り返りながら、
「じゃ―あ、今日は、もう帰ろうか―?」と愛実たちを見ながら同意を求めた。
「そうねっ、また明日も来ればいいんだから―」と麗子もうなずいた。
しかし、愛実だけは……
「私、まだぜんぜん楽しんでない!」と不満そうである。
浜辺はいつの間にか、来たときのような、にぎわいに戻っていた。
帰り道、おば車をゆっくり押しながら、お婆さんが、無表情で呟く。
「よく、子供らだけで来たの―お―?」
「お婆ちゃん、私もう大人だもの!」
正美は、少し偉そうに胸を張ってお婆さんの前に出た。
「ほ―お、えろ―なったものだの―お―」
お婆さんはさほど驚いたようすもなく、また呟いた。
香奈は、歩きながら無口だった。
それを愛実は気にとめて話かけた。
「香奈ちゃん、何年生?」
「四年生……」とぽつりと恥ずかしそうに言っただけだった。
「そう、かわいいね!」と愛実が愛想よく言ったが、あとの会話がつながらなかった。
愛実たち一行が民宿に着くころには、またあの夏の日射しが戻っていた。
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