第14話 遥かなる道のり
(遥かなる道のり)
その日、愛実たちは、少しでも早く伊豆の海で泳ぐために、朝一番で出かけることにしていた。
そして、予定通りの時間に、麗子のけたたましい声が響いた。
しかし、愛実は、すぐさま荷物を持って向かいに出た。
「レイ、遅いよっ!」
「なにいってんのよ! どうしちゃったの?」
麗子は、愛実が起きていたことに驚いた。
そんな、とまどう麗子の手を取って……
「さ―あ、行こう!」
二人は重い荷物に、振られながら走っていった。
正美と合流した愛実たちは、朝まだ早い通勤ラッシュの駅へとやってきた。
さすがに回りは、背の高いスーツ姿の怖そうな大人たちで、ごった返していた。
うっかりしていると蹴飛ばされそうだ。
「もうちょっと、遅い時間にすればよかったね……」と正美は、もうすでに少し疲れ気味。
「この調子だったら、一日中こんなんじゃないの?」と麗子は、とまどい気味………
「どの電車で行くの? 新幹線?」と、愛実が一人元気にはしゃいで訊ねた。
「バカねー、ただのJRよ。でも、探せば急行ぐらいあるでしょう!」
正美が突き放すように言うと、さっさと先を急いだ。
麗子も、不安そうに、回りをきょろきょろしながら、ついていった。
愛実も荷物に引っ張られるように、とぼとぼとついていった。
ほとんど、この街から出たことのない麗子と愛実にとって、少しは旅行なれしている正美のやるとおり、言うとおりにする以外に、なすすべがない。
それでも、切符を買って、ようやくプラットホームに着いた三人だったが、電車を待つにつれ不安が積もってきた。
「本当に、ここでいいの?」と麗子は何度も正美に訊ねる。
「大丈夫のはずよ……、ホーム番号はここだから……」
正美も怪しげである。
しかし、一人そんなことはお構いなしで、愛実が……
「私、ジュース買ってくる。も―、暑くて……」
「こら―!、勝手に動くなっ! 迷子になっちゃうから!」と麗子のけたたましい声。
「私、もう大人だもん、二人のジュースも買ってきてあげるからね!」
愛実は、混雑する大人たちをかきわけて、自販機まで駆けていった。
そして、愛実が買ってきたジュースを一口飲んだとき、喉を通るジュースの冷たさと一緒に、少し気分が落ち着いたのは、麗子だけではなかった。
そんな三人だったが、ようやく電車にも乗れて、車内のアナウンスで到着駅名が出ると、ほっと安心したのは正美だった。
しかし、電車を降りると待っていたのは海ではなかった。電車の乗り換えだ。
それからバスに乗り換えて、やっとの思いで、たどり着いたのが、この目の前に広がる海だった。
しかし、愛実と麗子のようすがおかしいい……
「やった―、海よっ……」
最初に叫んだのは、愛実だった。
しかし、その声には、すでに力が無く弱々しく沈んでいた。
「見ればわかるよ……」と言ったのが麗子だった。ほとんど投げやりで……
「さ―、あと十五分歩くわよっ!」と正美は以外に明るい。
「え―、まだ歩くのー?」
麗子と愛実は、ほとんど同時に大きなため息とともに口から出た。
それでも、先に行く正美に遅れまいと、愛実も麗子も、バックの重さに、またも振られながら、麗子に押されながら、太陽に焼かれながら、流れる汗に溺れながら、へとへとの思いで、ひたすら歩くしかなかった。
海岸沿いの道を一歩奥に入ると、清楚な民宿や旅館が数軒立ち並んでいて、ようやく観光地にやってきた雰囲気が伝わってきた。
その賑わいからも、また一歩外れて、雑木林や畑が続く長い上り坂を歩かねばならなかった。
そして登りきったところに民宿はあった。
「やった―あ!民宿よ―。叔母さ―ん……」
正美は、歓喜の雄叫びを挙げながら、一人走り出して民宿へ飛び込んでいった。
正美にとって、生まれて初めて大人の引率のない、自分の力だけで、たどり着いた旅行であり、その重大な責務から解放された喜びは言うまでもなかった。
そして、しばらくして倒れ込むように愛実と麗子が民宿の玄関前に座り込んだ。
もはや、正美のような到着の感動は無かった。
ただただ、重い荷物を背負って歩かなくてもいいという思いだけが胸をいっぱいにしていた。
「重かったわ―!」
麗子は、バックを背もたれにして、のけぞるように、抜けるような青空を仰いだ。
愛実は座り込んだまま、死んだように動かない。
「二人とも、早く来なさいよ―!」
正美の呼ぶ声がした。
麗子は、その声でやっと立ち上がり歩き出した。
「さ―あ、行くよっ!」
「ちょっと待ってよ。一人は嫌だよ……」と愛実も慌てて立ち上がった。
民宿は、周りを幾重にも防風林で囲われた中にあって、造りは二階建ての大きな昔ながらの古い建物だった。
感じとしては愛実の家に似ていた。
大きな玄関が家の中心にありその両側に縁側が続いていた。
家の前には綺麗に整えられた庭と、その前に畑が広がっていた。
そこには、トウモロコシやひまわりなどが植えられていて、夏の風情を感じさせていた。
麗子たちが玄関を入ると表の明るさとは対照的に、そこは薄暗く冷たかった。
見渡すと、正美はどこに消えたのか、がらんとした玄関だけが愛実たちを向かえた。
「お世話になります……」
麗子は声をかけながら、ひんやりとした空気で体を癒した。
すると、玄関の奥の台所で、お昼の片付け物でもしていたのか、叔母さんが、小走りに迎えに出てきてくれた。
正美の叔母さんは、静子と言って、まだ三十五、六の若くて綺麗な人だった。
「こんにちは、お世話になりますー」
麗子は、丁寧にお辞儀をした。
愛実も、麗子に続いて深々とお辞儀をした。
「ま―あー、ま―あー、遠いところを良く来たね―えー、疲れたでしょう―」
「いいえ―、全然、そんなこと無いですよ。楽しかったです……」
思いとは別に、多く反対の挨拶が出来るのも麗子の特長だ。
そして、いつも麗子から一歩下がって、うつむき加減で微笑んでいるのが愛実だった。
正美は、麗子の声を聞きつけたのか、ドドドドドドドドッスーン、雷のような地響きを民宿中に響かせて、玄関前の階段を下りてきた。
「叔母さん、彼女が萩尾麗子ちゃん。そして古賀愛実ちゃん。彼女たちも、ちゃんとお手伝いしますので、何でもいいつけてください!」
「ま―あ、それは助かるわ……。お願いしますねー」
「はい、こちらこそ!よろしくお願いします!」
と二人が声を合わせて言ったので、正美も叔母さんも笑いながら、息のあった二人を頼もしく思った。
「でも、手伝ってもらうのは夕食時だから、それまでは泳いでらっしゃい……」
「じゃ―あ、まず部屋に行って荷物を下ろそう!」
正美が、二人を案内して二階へ上ると……
「わ―あ―、凄いっ!、きれい―」
麗子は、部屋に入った瞬間、目に飛びこんできたのが、いっぱいに開け放たれた窓から見える海だった。
「綺麗でしょ―うー、……」
正美は、これを二人に見せたくて、民宿に着いてから、すぐに二階へ上がって、窓をいっぱいに空けたのだった。
「……、ほんとうだ―あ!」
愛実は、感動のあまり言葉が見つからなかった。
「ここはね―、少し高台にあるから眺めがいいのよ。夜なんか、沖の漁り火が星のようにキラキラ光ってきれいよ―」
「うん……、来てよかった!」
そう言ったのは、麗子だった。
太陽は少し西に傾き、昼下がりの爽やかな浜の風が、そよそよと窓から入ってきて、三人の焼けた肌を癒やすように通り過ぎていく。
正美は、その風に誘われるように
「さ―、泳ぎに行きましょ―!」と弾むように叫んだ。
愛実と麗子は、そのかけ声と共に、畳に倒れ込むようにへばりついた。
「ちょとちょと、今、着いたばかりじゃない?」
愛実は、悲鳴に近い声で訴えた。
麗子は、畳に倒れ込んだまま、なにも言わなかったが、愛実に同感していた。
「どうしてー? そのために早起きして来たんじゃない」
「やっぱりね……」
麗子は小声で愛実に耳打ちした。
「でも、でも……、も―う動けない!」
「アミちゃん、今朝の元気はどうしたの?」と正美。
「あの時、駅に置いてきたわよ!」と愛実は、なげやりに言った。
「あれま―あ! いいから、いいから、海へ行けば元気が出るから……」と、正美だけは、相変わらずの元気娘だった。
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