第6話
異動後の職場にはスムーズに馴染むことができた。
アルバイトや派遣社員は現地で採用していたので知った者はいなかったが、横浜の二店舗を統括する課長は博多時代の上司だった。
だから、異動してきたとはいえ、新しい人間関係に悩むこともなかった。
「大学時代の友達とは連絡とってんの?」
美味しい匂いの煙が充満する店内で、ビールジョッキ片手に篠崎が聞いてくる。
「いえ、なんやかんやと忙しくて」
「なんだよ、それ。一人もんは暇だろ」
自分も一人ものの篠崎が言う。
「いろいろあるんですよ」
「ふーん」
残りのビールを飲み干し、篠崎が追加を注文する。焼き鳥屋の店内は、火曜の夜なのにほぼ満席だった。
初めて篠崎に野毛に連れてもらってきたとき、なんでこんなに焼き鳥屋とホルモン屋が多いのかと篠崎に聞いた。
すると「そうかあ。そんなことないと思うけど」と答えが返ってきた。
物事を深く考えない(でもバカとは違う)、したがって部下をねちっこく叱ったりしない篠崎が蒼は上司としても人間としても好きだった。
だから、誘われると九割方、飲みに付き合った。
「俺なんか、こっちには友達いないから、おまえみたいに東京で学生時代を過ごした奴が羨ましいけどな。知り合いが多そうで」
「働いてたらみんなそれどころじゃないですよ」
「そうかもしれないけど」
昔の友達には連絡をとっていなかった。その理由は言いたくなかった。
「篠崎さんは大学も福岡でしたっけ?」
「そう、S学院」
金持ちの子供が多いと言われる九州の私大だ。九州のK大とまで言う人もいるが、それは言い過ぎだと蒼は思う。
「俺は飯倉ほど出来が良くないからさ」
飯倉は蒼の会社の三代目の社長だ。社長は横国を出ているが、高校までは地元の博多で過ごし、私大の付属の高校を卒業している。その高校の同窓生が篠崎なのである。
篠崎は大学を卒業後、飯倉の会社に入った。
飯倉は大学卒業後、東京の総合商社で働いていた。
そして、「自分の程度がわかった」から、博多に戻り、家業を継いだという。
篠崎と飯倉は社内ではそれらしく振舞うが、会社を出れば学生のようにはしゃぐという。
博多の街で酔っぱらって騒ぐ二人を見た社員は、二人の様子が「会社とは全然違った」と驚いていた。
そんなふうだから、社長に優遇されていると篠崎を嫌う人間もいたが、蒼は気にならなかった。
清潔感があり人当たりが良く、大柄なせいかどこか頼りたくなると人に思わせる篠崎は、優秀な営業マンだったから、関東進出を任されたのも当然のことだった。
くだらないやっかみで篠崎の実力が正当に評価されないことのほうが、蒼には腹立たしく感じられた。
「社長って、どんな高校生だったんですか?」
「がり勉だったな。予備校とかばっか行って」
「がり勉」
思わず笑ってしまう。
「篠崎さんは?」
「俺はバスケばっかやってた」
F大の付属はバスケが強いと聞いたような、聞いてないような・・・記憶が曖昧だった。
でも、185を超える篠崎がゴールにボールを投げ入れる姿は容易に想像がついた。
「ほんとは東京の大学に行きたかったんだけどな」
「そうなんですか?」
「ああ。でも、浪人も嫌で、Sに行った」
「へえ」
「でも、結局はあれだな」
「あれ?」
「地元が好きだったんだな。東京への憧れはあったけど、馴染んだ街が楽だなって」
「ああ、それもわかります」
東京から帰ったとき、敗北感ばかりが広がるとか思ったが、そんなことはなかった。街のなつかしさや温かさに包まれ、戻ってきて良かったと心から思えた。すぐに一人暮らしが懐かしくなって、横浜に憧れたりしたのだが。
「東京ならどこの大学に行きたかったんですか?」
「おまえんとこ」
「え?」
「だって、おしゃれじゃん。頭もそこそこ良くて、かっこよくて。がっこ、渋谷にあるんだろ?」
「ああ、まあ」
「いいよな、俺もハチ公とかで待ち合わせとかしてみたかったな」
「そんないいもんじゃないですよ。街とか、汚いし。横浜のほうがいいです」
「かもな。飲み屋も安くてうまいし」
「ですね」
東京にあこがれて、そこに何かがあるような気がして、劇的にかっこよく変われるような気がして、勉強して勉強してA学に入った。
学生生活は憧れた通りの楽しいものだった。
毎日が楽しくて、街はキラキラしてて、何もかもが新鮮で、でも、自分を傷つけるものなんてなにもなくて、快適だった。
でも、最後の最後に躓いた。
「俺、やっぱ、横浜のほうがいいです。海もあるし」
「海か。海はでかいよなあ」
「公園もあるし」
「山下公園か。そうだな、あれはいいな。中華街にも近いし」
図体のわりには酒の弱い篠崎はジョッキビール三杯で、目をとろりとさせている。
今夜もここから近い桜木町のワンルームに篠崎を送ることになりそうだなと思いながら、蒼はビールをぐいとあおった。
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