第4話
ランニングを開始すると、おばあさんはすぐにまた現れた。
最初は不気味だったが、おばあさんは意地悪を言うわけでもなく、蒼に危害をもたらすわけではなかった。
ただ、世間話程度の会話がほしいだけのようだった。
それがわかってからは、蒼もおばあさんの会話に付き合うようになった。
大学時代の友達に連絡をとってない蒼の会話の相手は、仕事関係の人間だけである。
気の置けない会話を求めていたのは蒼も同じだったのかもしれない。
「このあたりには、昔は団地があったんだよ。こんな細長いビルが何本も建つ前はね」
「へえ、そうなんだ」
「この街も変わったね」
「おばあさん、このへんに住んでたの?」
「住んでたし、仕事もしてたね」
「そうなんだ。どんな仕事?」
「最後は、エレベーターガールかねえ」
「へえ、はいからさんだね」
「はいから、か」
おばあさんが苦笑する。自虐的な笑いだった。
「いつから横浜に居たの?」
「ずっとだね」
「ずっと?」
「そう、ずーっと。ほかに住んでた街を忘れるぐらい、もう、ずっと」
「へえ、長かったんだ」
蒼が淡泊に答える。
そんな蒼を見て、おばあさんはまた小さく笑った。
「どうして、横浜だったの? 地元なの?」
「地元は違う。山陰の、山の中の小さな町だよ」
「じゃあ、仕事で横浜に」
「そういうことになるかねえ。仕事を求めて、流れて、流されて。昔の女ができる仕事なんて限られてたからねえ」
そんなふうに自分語りをするおばあさんには、どこか凄みのようなものが滲み出ていた。
蒼はおばあさんの人生に途端に興味がわく。
「地元を離れてどこで働いたの?」
「東京、横須賀、でも、横浜が一番長かったかねえ。伊勢佐木、野毛、馬車道、山下公園・・・いろんなところで働いたねえ」
「お店か何かですか?」
「お店ではないけど、モノは売っていたねえ」
「何を売ってたんですか?」
「春かねえ」
「春?」
「恋だよ、恋。一夜の」
「それって・・・」
売春では?
蒼は思ったが口に出すのは止めた。
「そうですか」
二人は並んで目の前の川を眺めた。水の流れは目には見えないが、時間によっては海へと流れたり、海から流れてきたり、変わっているのだろう。
脂っぽい香水の香りが薄まったと思って顔をあげると、蒼の前から老女は消えていた。
話の続きが聞きたい。
おばあさんにまた会いたいと蒼は初めて思った。
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