第2話 姉の親友と、再会した。
詩織さんの引っ越し日は5月の初週、ゴールデンウィーク明けに決まった。
ちなみにうちの両親は、詩織さんとの同居をあっさり承諾したようだ。
「詩織ちゃん、お仕事が大変だったみたいでね。しばらくお休みするんですって」
「とにかく、いま家にいるのは悠生だけだから。しっかりしないとダメよ。変なことしちゃダメよ~」
以上、海外にいる母から賜ったお言葉である。
変なことってなんだ。そんな心配するなら、最初から許可を出すな。
しかし詩織さん、仕事をしていたのか。
姉がまだ学生なので忘れがちだが、姉と同年代の人たちはすでに社会人として働き始めている頃である。
詩織さんは頭もいいし、要領もよかった記憶があるけど。
そんな人でも挫折してしまうほど、社会の荒波とは厳しいものなのか。
高校生の身分では想像つかない。
ともあれ。
詩織さんとの同居生活はいよいよ両親公認となってしまった。
変なことをするつもりなんてさらさらないが、お互いに摩擦を起こさないよう気を遣っていかなければならない。
が、いったいどうすればいいのか。
ろくに心の準備が完了することはなく。
ろくによい妙案も浮かばず。
ついに詩織さんの引っ越し日を迎えてしまった。
◇◆◇
引っ越し当日。
俺は帰りのHRが終わると、さっさと教室を出た。
生徒会にはすでに欠席する旨を伝えてある。
仕事を押し付けることを生徒会長に詫びたが、我らが生徒会長はまるで意に介さず、「気にしないで」といつもの涼し気な顔で答えた。
学校から家までは電車で通学している。
通学時間はドアツードアで1時間ほど。
姉も今日は帰って来て、先に詩織さんと家にいるはずだ。
俺が帰る頃には引っ越しのトラックも着く。
ひとまず、いきなり二人きりになるという気まずさは回避できそうだ。
そう思っていると、ズボンのポケットにしまっていたスマホが震えた。
姉からLINEのメッセージが届いている。
姉:出発が遅れた。
飛行機、いま羽田に着いたとこ。
姉:詩織、家の前にひとりでいるから。
姉:急げ
ポスポス、という通知音とともに矢継ぎ早にメッセージが投稿され続ける。
マジかよ。
いきなり詩織さんと二人きり?
っていうか、もう詩織さんを待たしてるってこと?
ヤバいじゃん!
俺は電車の到着がうっかり予定より早まることを願ったが、日本の鉄道は世界で最も時間に正確なので、何事もなく定刻通りに到着する。
急いで改札をくぐり、駅から家まで全速力で駆ける。
そして、ようやく千川家の表札がかかった自宅前にたどり着いた。
ローン35年、築20年の2階戸建て。
俺が生まれてから、これまでの人生の記憶がたっぷり染みついた我が家。
ぽっかりと空いている自宅前の駐車スペースに、女性がひとり立っている。
花柄のワンピースを着て、キャリーケースを手に佇んでいる姿は映画のワンシーンのように見えた。
ゆるやかに巻いた髪を肩まで伸ばし、手足はすらりと伸びていて、女性らしい丸みも帯びている。キレイで華がある。
こういう人をきっとオーラがあるというのだろう。
しかし、それでも親しみやすさを感じてしまうのは、相手の顔に昔の面影が残っているせいだろうか。
「詩織さんっ」
俺が呼びかけると、ワンピース姿の女性がこちらを振りむく。
綺麗なアーモンド形の目をこちらに向け、桜色の唇から白い歯を覗かせて笑いかけた。
「ハルくん!」
女性――絹田詩織さんは昔と変わらない呼び方で俺に声をかけると、こちらに駆け寄ってきた。
甘いバニラのような匂いが鼻先をくすぐる。シャンプーか、香水の匂いだろうか。
詩織さんはまじまじと俺を見上げる。
身長は俺の肩くらい。だいたい160センチといったところか。
「久しぶり、ハルくん」
「お久しぶりです、詩織さん」
「大きくなったねぇ。ホントに高校生になってる」
「そりゃあ、なりますよ。最後に会ってからずいぶん経ちますし」
「だよね。もう6年くらいになるのか。昔はこーんなに小さかったのにね」
詩織さんは自分のお腹あたりのところで手のひらをひらひらさせる。
「さすがにそんなに小さくはないですよ」
「あれ? そうかな。私の思い出ハルくんはこのサイズなんだけど」
詩織さんは腑に落ちない顔をしている。
しかし言われてみると確かに、思い出の中にある詩織さんは背が高いお姉さんで、いつも見上げてばかりだった記憶がする。
いつのまにか俺の背は詩織さんを追い越してしまっていたようだ。
「アサちゃん、到着遅くなるみたいだね。聞いてる?」
「あー、はい。さっきLINE来たんで」
「大変だねぇ、医大生は。こっち帰ってくるのもラクじゃないだろうに」
「まぁ、大丈夫ですよ。あの人はいつも好きに生きてるので」
「はははは、たしかにねぇー」
俺のなんでもない言葉に、詩織さんはころころと笑う。
そうだそうだ、詩織さんはこんなふうに笑う人だった。
全然面白くない俺の話を、いつも楽しそうに聴いてくれた。
あの頃よりも大人っぽくなったし、いつの間にか背も追い越してしまったけど、『変わらない詩織さん』の部分を見つけて少し安心する。
だからこそ余計に戸惑ってしまう。
詩織さんは俺との同居をどう思っているのだろう。
そのことを尋ねようと口を開きかけたそのとき、引っ越しのトラックが到着した。
「あちゃー。トラック来ちゃったね。アサちゃん、間に合わなかったか」
「……ひとまず運び入れだけでもさっさとやっちゃいましょう。俺も手伝います」
「ほんと!? やった、ありがとう!」
まぁ、尋ねるのはあとでもいいか。
俺は業者の人に挨拶をし、早速荷物の運び入れを手伝うことになった。
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