姉の親友(=休業中の人気声優)と、一緒に暮らしてます。
久住ヒロ
プロローグ 姉の親友に、耳かきをされています。
姉の親友と、一緒に暮らしている。
親友の名前は
詩織さんは数年ぶりに再会したおっとり系美人のお姉さんであり、いまをときめく大人気声優・
――そんな詩織さんに俺はいま、なぜか耳かきをされている。
「ハルくん、どう? かゆいトコない?」
「あ、はい。大丈夫だと、思います。はい」
「ん、わかった」
もう俺は高校生になるというのに、詩織さんは小さい子に話しかけるような調子で俺に囁きかける。
詩織さんの中の俺は泣き虫だった幼い子供の姿で止まっているのかもしれない。
詩織さんに膝枕をしてもらってゴロンとなっている時点で、抗議する資格なんて皆無なのだけど。
「よごれ、だいぶたまっちゃったね。耳の奥も見ないとかなぁ」
「……言わないでくださいよ、恥ずかしい」
「気にしない気にしない。そういう体質なんだから仕方ないって。お掃除のしがいがあって、私はとっても楽しいよ?」
詩織さんの吐息まじりの声にまざって、左耳の内側でガサガサと乾いた音が響く。
耳道を優しくほじくり返す耳かきの感覚が心地よい。
そのうえ横倒しの姿勢になっているせいで、右耳の側からやわらかくも張りのある太ももの感触がダイレクトに伝わってきた。
左耳から、右耳から、異なる種類の幸福にそれぞれ挟み撃ちされている俺はフリーズしたハムスターのように固まっている。
「ハルくん、また緊張してる」
くすくすという詩織さんの笑い声が鼓膜に反響する。背中にぞわぞわっとした快感が走った。
「なんでそんなに怖がるかなぁ。耳かき、何度もやってるでしょ?」
「……緊張じゃないです。ただの癖です」
「うーん。もっとリラックスしてほしいんだけどな……。あ、そうだ」
詩織さんは耳かきの手を止めると、目の前のテーブルに腕を伸ばした。
「よいしょっと」
詩織さんが上半身だけ前かがみした途端、たわわに膨らんだ胸元が俺の頭に押しつけられる。
俺はなんにも感じてないフリをして、押し付けられた感触をやり過ごした。
まったく気にしてしないのか、取るモノを取った詩織さんは姿勢を元に戻す。
「ハルくん。ちょっとだけ頭、持ちあげてくれる?」
「こうですか?」
「うん。そのままそのまま」
急に視界を塞がれた。目元がじんわりと温かいモノに覆われる。
「ホットアイマスク。私もときどき使ってるんだけど、どう? 気持ちよくなった?」
「いや、あの、温かいのはいいんですけど……。この状態で続けるんですか?」
「? そのつもりだけど、どうかしたの?」
「いや、大したことじゃない、んですけど……」
たしかにホットアイマスクは気持ちいい。
だけど、妙な緊張感が走るのはなぜだろう。
俺が言い淀んでいるあいだに、詩織さんは耳かきを再開した。
「じゃあ、続けよっか?」
ふたたび耳かきが触れた途端、変な声が出そうになった。
視界が塞がれたせいで、ほかの感覚が鋭敏になったのか。
先ほどよりも、耳をほじる感触が敏感に伝わる。
耳垢をはがすガサガサという音が強くなっている気がする。
詩織さんの耳かき遣いはとても繊細だ。こつこつと耳の内側をこすり、こちらを労わるようにかいてくれる。
耳のよごれが取り除かれ、解放感に包まれていく。
「ンフッ」
微かに笑うような息遣いが聴こえた。。
これまでの同居生活でも、何度も浮かべてきた詩織さんの悪戯っぽい笑み。
それは、詩織さんが悪だくみを仕掛けてくる合図でもある。
「どうですかぁ~、先輩。カワイー後輩に~、お耳を好き勝手されちゃってる気分はぁ~?」
詩織さんの声が、変わった。
いや、正確には声色が大して変わったわけではない。少しピッチは上がったが、詩織さんの声だとはっきりわかる。
それなのに息遣い、言葉遣い、話し方の抑揚の違いで、全然違う人物の声だと錯覚させられる。
「あれれ~? 固まっちゃいましたねぇ。もしかして、ワタシにドキドキしてます? しちゃってますから?」
一見、甘えた声で媚びているように聞こえるが、自分の優越性を微塵も疑っていない。いじめっ子にも思えるのに、その奥底に愛嬌を感じさせるのはなぜだろう。
たとえるなら、そう。
自分の可愛さを大好きな先輩にも認めさせたくてたまらないドSの後輩、といったところか。
俺の視界が塞がれているせいもあってか、膝に頭を置いた先輩を見下ろして、悦に浸っている小悪魔な後輩女子の笑顔をありありと思い浮かべることができた。
「また変なキャラ設定でやるのやめてください、詩織さん」
「設定? 何の話ですか~? それにワタシを呼ぶなら、しーちゃんって呼んでくださいって、言ってますよね?」
「年上の大人を、しーちゃんなんて呼べるわけないでしょ……」
「はぁー? ワタシ、いまはあなたの後輩なんですけど? 後輩を『ちゃん』付けするなんてフツーのことじゃないですかぁ?」
「俺にも生徒会の後輩女子はいますけど、ちゃん付けで呼んでないですよ」
「じゃあ、ワタシだけ特別扱いしてくださいよ」
詩織さんの声のトーンが急に優しくなる。
こちらを誘惑するような声。
悪魔の囁きとはこのことか、と実感させられるような声だ。
「ワタシは先輩のモノ。先輩の好きにしていいんです。カワイイ後輩を、ちゃん付けで呼びたいんでしょ? 意地を張らずにもっと素直になってくださいよ」
「意地なんか、張って――」
突然、耳に暖かい息吹が吹きかけられた。
「うわぁ!?」
「なぁーんだ。いい声でるじゃないですかぁ。本当にビンカンですねぇ、耳」
蠱惑的な囁き声が耳の奥にまで響く。吐息が耳朶にかかりそうな距離。全身にぞわぞわと電流が流れるような感覚が走る。
もしかして詩織さん、めちゃくちゃ俺の耳に顔を近づけてない?
「顔も耳も真っ赤になってる。カワイイ」
ふふ、と詩織さんは笑みをこぼした。
「そういうところ好きですよ、先輩っ♡」
吐息交じりの殺し文句。
もう我慢の限界だった。
「詩織さん!」
たまらずアイマスクを外し、詩織さんのほうを振り返る。
が、大きく盛り上がった胸に視界を遮られて顔が見えない。
俺は少しずつ頭の位置をずらした。
ゆるやかに巻かれた長い髪、綺麗なアーモンド形の目、桜色の唇。
モデルかなにかと見違えるほど綺麗な人なのに、どこか親しみやすさを抱いてしまうのは、昔の面影が残っているせいなのだろうか。
「……悪ふざけがすぎますよ、詩織さん」
「ごめんごめん。ハルくん、とってもいい反応してくれるんだもん」
ツボに入ったのか、詩織さんはおかしそうに笑っている。
話し方もいつもどおりの柔らかい口調に戻っていた。
先ほどのドS後輩の面影はどこにもない。
「でも残念。もっと続けたかったんだけどなぁ。意地悪な後輩の女の子って、あんまり演ったことがなかったから」
話しながら、詩織さんは手にした耳かきの先をティッシュでふき取る。
ティッシュに置いた耳の汚れを見て、「おっ」と感心するような声をあげた。
「すっごーい。おっきいの取れちゃった。ハルくん、見てみる?」
「やですよ。自分の耳垢なんて……」
「そう? キレイに取れたんだけどなぁ」
自分で耳掃除をするときは、大きな耳垢が取れたら、ひとりで悦に入ったりするけどな。
さすがに人に掃除してもらったモノを眺めるのは恥ずかしすぎる。
「じゃあ、右耳もやっちゃおうか。ほら、頭を反対にして」
「あ、あの、もうこれ以上は――」
「いいから、いいから。遠慮しないで」
詩織さんの手で俺の頭は反対側を向けさせられる。ちょうど詩織さんのお腹と向かい合う形になってしまう。
「それにしても、さっきのハルくんの反応はよかったなぁ」
と、詩織さんはご満悦の表情を浮かべる。
「次はどんな子で演ろうかなぁ。ハルくん、リクエストある?」
「……そういうのはいいんで、普通にやってください」
「はーい」
とてもいい返事をされた。
これは絶対、普通にやるつもりはないな。
間違いない。また演るぞ、この人。
右耳に耳かきをあてがいながら、楽しそうに詩織さんは鼻歌を口ずさむ。
社会現象となった大人気アニメ、『龍殺の魔女』のOP曲。
詩織さんがヒロイン役を務めたアニメでもある。
俺は詩織さんの鼻歌を聞きながら、目を閉じる。
姉の親友、詩織さんは声優である。
さらに付け加えると大人気声優である。
しかしいまはワケあって休業中。
親友の弟である俺と同居している。
なぜこんなことになったのか?
ことの始まりは数ヶ月前の春に遡る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます