オバちゃん戦記

ゆかり

第1話 狐と狸の・・・・

「ひかちゃん。支度できてる?」

 小町こまちは一番上の姉、日香里ひかり宅を訪ねた。

「あら、こまっちゃん、早かったねえ」

 出迎えたのは二番目の姉の美乃里みのり。日香里宅近くの分譲マンションに一人住まいだ。

「って、みーさんの方が早いじゃない」

「だって、ほら、ね」

 美乃里が声をひそめて目配せした。小町も直ぐに納得する。

 長女の日香里は少し時間にルーズと言うか、そもそも時間を気にしていない。日香里との時間の約束は最低でも一時間のロスを見込んでおかないといけない。

 出かけるのは十時と決めていたから、美乃里は八時半には既にここに来ていた。

 今は九時二十分。小町は十時の約束なら十時半になるな、と見込んでこの時間に来た。

「で、ひかちゃんは? まさかまだ寝てたりしないよね?」

「さすがにそれはないけどぉ、シャワーしてる」

「え?」

 これはお昼になるな、と小町は思った。シャワーを終えて服を着て髪を乾かし化粧する。それを一時間で出来る姉ではないのだ。


「お茶、飲もう。待ってる事を忘れよう。じゃないと平常心で居られない」

「もうシャワーは終わると思うけどね。でも、あと一時間はかかるね。お茶は何にする? ホット? アイス? コーヒー、緑茶、紅茶、あ、ルイボスティも冷えてる」

 苦笑いの美乃里は戸棚と冷蔵庫をチェックする。

「ルイボスティ、良いかもだけど、いつから冷えてるのか気になるなぁ。お腹壊すの嫌だし。紅茶は何がある?」

 そう言いながら小町も戸棚のチェックに加わった。

 結局、暖かいアールグレイにして、二人で居間に落ち着いた。

「ところでなんでまた今更パソコン?」

 小町が尋ねる。今日はパソコンを買いたいというひかりの付き添いなのだ。

「何だかね、商店街に占いの店が出来てて占ってもらったらしいのよ。」

「へぇ」

「そしたら、執筆業に向いてる、それもフィクション。ダークファンタジーが良いのではないか、って言われたんだって」

「ええっ? ひかちゃん、六十一よ。どう贔屓目に見てもダークファンタジーって年じゃないと思うんだけど。まあ、向いてるかもだけど、なかなかチャレンジャーな占い師ねぇ」

「でしょう? ひかちゃんの事知ってる私たちならダークファンタジーも有りだなって思えるけど、初対面の還暦過ぎの女性に、ちょっと出てこないセリフよね。それだけにちょっと信ぴょう性も感じちゃうじゃない? その占い師。案外、当たるのかもよ」

「けどさ、それがどうしてパソコン?」

「あ、そうね。そうそう、それでひかちゃん、すっかりその気になって小説書こうとしたんだって。そしたら手は疲れるし、書き方は判らないし、いざ書くとなると調べたい事もいろいろあったりで、結局、その全てを一度に解決できるのはパソコンだって思ったらしいのよ」

「そういう事かあ。けど、そうなるとまずはパソコンの使い方から覚えなきゃならないじゃない。ダークファンタジーまでは遥かな道のりよ?」

「それがさ、意外にも昔パソコン通信やってたんだって。インターネットが普及する前の話よ。だからタイピングはけっこう大丈夫みたい。今は使い物にならないけど当時のディスクトップPCが押し入れに眠ってるらしいわ。それにスマホもWi-Fiも使ってるから、ネット関係もなんとかなりそうだし」

「へえ。知らなかった。ひかちゃんの意外な過去ね。案外、しれっとダークファンタジー仕上げちゃうかもね。みーさんも旅行記書いてるくらいだから、私らには執筆業のDNAあるのかも。私も何か書いてみようかな? ダークファンタジーに旅行記とくればホラーかミステリー、サスペンス? 恋愛小説だけは無理だな」

「あはは。確かに。恋愛モノとこまっちゃんは結び付かないわ。」


 そうやって時間を潰して、三人揃って家を出たのがお昼少し前。目当てのショッピングモールに着いた頃にはしっかりランチタイムになっていた。

 ランチは今日の付き添いのお礼に日香里が皆にご馳走することになっている。が、お昼ぴったりの時間帯となれば当然、何処も満席。相談の結果、先にパソコンを見に行くことにした。

 が、しかし、その途中で日香里が動かなくなった。

『あなたの血液、ドロドロかも?』

そんな看板とポスターの前で立ちすくんでいる。

「どうしたの? 気になるの?」

 美乃里が問いかける。小町は、『またか!』と言う顔をして日香里と美乃里の顔と腕時計を交互に見ている。

「この間、友達が亡くなったのよ。高血圧を放っておいて脳出血で。やっぱり血液のドロドロは良くないらしいわ。私も見てもらおうかなあ?」

 日香里の言葉に美乃里は

「それなら病院で診てもらったら?」

 そう言おうとして口をつぐんだ。そのお店の主人が目ざとく話しかけて来たからだ。

「直ぐに検査できますよ。お時間かかりませんよ?」

「そお?」

 美乃里と小町が無言で目線を合せる。

『捕まったな』

 妹二人は時々、このパターンで被害者になる。おそらくランチのための席が空くのには充分な時間、ここで足止めだ。パソコンを見に行くのはその後になる。

 晩御飯も日香里の奢りになるのは確定だ。


 その店舗はこのショッピングモール常設ではなく、特設会場ブースの一画にあった。ここでの営業は今日一日限り。明日には別の土地の同じような特設会場に行くのだと言う。

「少しでも沢山の人に知ってもらって、皆さんに健康と幸せをお届けしたい」

 それが店主の言い分だが、美乃里と小町は信じていない。どこか胡散臭い感じがすると思っていた。

 店主は五十代くらいの頭の良さそうな女性。それに今どきの流行りの容姿をした三十前後の男性がアシスタントを務めている。

 まずは日香里の指先にチロッと針を刺し僅かな血液を採って顕微鏡に乗せ、横のモニターに映し出す。

 その際、針刺し行為と血液採取は日香里が自分でやるよう指示された。病院ではないから店主側がやっては法律に抵触する、などと説明があり、日香里はなるほど、と納得する。

「ああ、ちょっとドロドロしかかってますね。でもご年齢的には優等生ですよ。ですがやはり年相応のリスクはどうしてもありますよねぇ」

 それから店主は商品の《水》を手渡して言う。

「飲んでみて下さい。こちらは先ほどのお約束のプレゼントです。半分ほどお飲みになってから十五分後くらいにもう一度血液を見て頂きますね。きっと驚かれますよ」

 約束のプレゼントというのは、会員登録をすると五百㎖のペットボトルの水を二本差し上げます、という話で早々に登録用紙に名前やら住所やらを書かされたのだ。

 そしてこの待ち時間の十五分の間に美乃里と小町も会員登録をする羽目になった。

 だが、実は先ほど日香里の書くのを見ていたが、日香里は涼しい顔で嘘ばかりを書いていた。住所も名前も携帯番号も。

 時間の概念に乏しく、いつもふわふわした雰囲気の姉だが意外にも個人情報の管理には気を配っているようだ。

 美乃里と小町もそれに倣い嘘ばかりの登録をした。それで水を二本頂く訳だから、もしかしたら詐欺行為? と思わぬ事もない。

 しかしまあ、多少なりと商品を購入すれば許される程度の詐称だろうと二人は自分を納得させた。

『それに何より・・・・』と小町は思う。 

 この店も商品も、医師免許所持者だというこの女性店主も怪しい。

 ショッピングモール側にも多分それなりの審査基準があり、それに照らして出店を許可しているのだろうが、さほど厳格な審査がなされているとも思えない。

 中には怪しい業者が紛れ込むケースもあるのではないだろうか。となれば尚更、こちらの情報ばかり無防備に垂れ流す訳にはいかない。


 五百㎖のペットボトルの水が一本、三百円。高い! が、無茶と言うほどの値段でもないのだ。これに何らかの健康効果があるのだとすればむしろ安いと考える人も居るかもしれない。

 そして一日限りの営業。次は何処に居るのかも判らない。継続購入のための連絡先や会社名は渡された商品チラシに明記されているから、そのまま連絡がつかなくなる事はなさそうだが、そこにも何か巧妙なトリックがあるかもしれない。

 とにかく手放しで信用するのは危険、今はそういう時代だ。


 そうこうするうち、十五分が経過。日香里は再び血液を採取された。

 画面に先ほどの映像と今採取した血液の映像とが並んで映し出される。

 先ほどの映像では、幾つかの歪な〇が混ざって全体の動きも鈍かったが、新しい方の映像ではほとんどが綺麗な〇になり、動きも滑らかだ。

 しかし、この〇は何なんだろう? 赤血球? 医学の知識などまるでない小町にはよく解らない。が、尋ねるのも何だか相手のペースを加速させそうな気がして憚られた。

 美乃里にしてもこの〇が何なのかよく解らないが、それ以前にこの映像を疑っていた。こんなもの、今、顕微鏡の上にある血液の映像かどうかなんて判らないぞ、と。モニターにあらかじめ用意した別のデーターを映し出しているのかもしれないじゃないかと考えていた。

 相手はデジタルに疎そうな三人のオバさんだ、簡単に騙せると思っているのかもしれない。

 いやいや、自分達も嘘だらけの登録をしておきながら他人を見たら盗人と思え的な姿勢もどうかと反省するが、いや、だからこそ疑うのだ。人は自分の物差しで他人を見るのが常なのだ。


 二人の妹がそんな事を考えているうちに、姉はなんと四十万円のネックレスを勧められていた。

 二つの映像の違いに身を乗り出して驚く日香里に、ここぞとばかりに畳みかける。

 何処だかの外国の権威あるナントカという研究所で開発された磁気を利用した健康器具だとかで、何やら有名人らしき人々が絶賛しているパンフレットを見せられている。

 ローンも組めるし勿論クーリングオフも出来る。今ならこの水も一ケース、サービスで付いてくる。健康と長寿が四十万で手に入る、などと姉を説得している。


『マズイ』

 美乃里と小町はアイコンタクトをとる。

 しかし、こうなったら姉は止められない。

 パソコンが磁気ネックレスになってしまうかもしれない。

 が、パソコンとて姉のマイブームが終れば押し入れ行きになるかもしれない。

 それならネックレスの方がまだしも場所を取らない。

 まあいいかとも思うが、これはやはり詐欺なのでは? と妹二人は思案を巡らす。


「今日はパソコンを買うつもりで来たの。だからお金は持って来たんだけど、どうしようかなぁ?」

 それを聞いて店主は

「そうですか。でも何をするにも健康が一番ですよ。私もそういう向上心のある方を応援したい、そう思ってこの仕事をしてるんです。あなたのような方には是非、健康で長生きしてもらいたいです。わかりました。ここは応援の気持ちを込めて今回限り、半額でご提供させていただきます。二十万でお売りします」

「あら、本当ですか? それは凄い」

 美乃里と小町は再び顔を見合わせた。パソコンの購入に付き合う必要は無くなりそうだ、と二人共がそう思ったとき

「じゃあ、取りあえずお昼ご飯食べてきますね。購入の手続きはその後で、もう一度来ますから」

 日香里がそう言って椅子から立ち上がった。

 それから早く早くと妹二人を急かして席を立たせると、登録のお礼の水を二人に手渡すようアシスタントの男性を促し、先に立ってレストラン街のほうに歩き出した。

 店主の女性は少し呆気にとられながら何か言っていたが日香里が早口に満面の笑顔で

「お腹が空いちゃって。この人たちも待たせてるし。後で必ず来ますから半額の件、よろしくお願いしますねぇ」

 そう言って頭を下げたので、その勢いに押される形で

「ええ。ではお待ちしています」

 そう答えるのが精いっぱいという感じだった。


「パソコンはやめるの?」

 レストラン街に向かって歩きながら小町が日香里に尋ねると

「ううん。買うわよ。ネックレスなんて買わないから」

 そう答えて笑った。

「え? じゃあさっきのは嘘?」

 美乃里も日香里の豹変に困惑して尋ねた。

「そうよ。あっちも嘘つきなんだから、お互い様よ」

 どうやら日香里はあの店主に少し怒っている。だが、美乃里も小町もその理由が判らない。

「どういう事?」

 首をかしげる二人に日香里が答えた。

「だって、半額って。原価は一体いくらなのよって話じゃない? ああしてブースを一日借りて二人で一日働いて、お客さんなんて私たちがいる間は誰も来なかったじゃない? それで半額って。二十万も値下げして、それでも儲けが出るって事は、あのネックレスにはとてもじゃないけど四十万どころか二十万の価値も無いって事よ。あれは詐欺に違いないわ」

「なるほどね」

 この姉は時間にはルーズだが情報管理と金銭感覚は厳しめなんだなあと二人の妹は苦笑した。

 あのお店の敗因は半額に値下げした事だったのだ。今頃、店主の女性は訳が解らず混乱している事だろう。


 結局、三人姉妹は五百㎖の水を六本詐取したことになる。小町は若干の後ろめたさを感じ、美乃里は『人間は生きてるうちに結構な罪を犯すものだ』などと考え、日香里は詐欺に遭いかけたのだから水六本くらいは慰謝料として受け取って当然と思っていた。

 三人はこの後、美味しいランチを食べ、値段とスペックの見合ったノートパソコンを買い、ちょっと贅沢なディナーを堪能してそれぞれの家路についた。



 それから半年後。

 三人姉妹は岐阜県の実家に集まっていた。母の七回忌のためだ。

 姉妹はそれぞれ仕事や婚家の都合で今は東京周辺に住んでいるが、もともとは岐阜県の出身だ。今は両親とも亡くなった実家に一番年下ながら長男の弟とその家族が住んでいる。

 法要を終え実家でそれぞれに寛いでいたのだが、小町が大声で皆を呼んだ。

「ちょっとお、皆来てぇー」

 皆を呼びながら、抜け目なく録画ボタンも押した。ニュースに知った顔が映ったのだ。

「なあに?」

「どおしたの?」

 三人姉妹が揃ってテレビを見る。

「あ」

 駆け付けた美乃里と日香里が一緒に声を上げた。

 あの時の水とネックレスの店主が逮捕されたらしい。見覚えのある顔が映っている。

 医師の資格があるなどと偽り、偽の映像を用いて客を騙し、水や磁気ネックレスなどを高額で販売した疑いで逮捕、との事だ。

「あれ? 三人とも知っとるの? この人」

 弟が興味津々、テレビと三人の顔を見比べる。

「騙されかけたのよ、ねっ」

 経緯を説明する小町の話を弟は面白そうに時に爆笑しながら聞いている。


『この犯人は他にもネットで磁気ネックレスを高額販売していたそうですね』

『ええ、でもまあネットの方は四十万のネックレスに比べれば、可愛いものというか、多少原価に比べて高額なんじゃないかって程度で、こちらの方は詐欺と言えるかどうかなんですよね。もっとも、裏付けのない効果などを謳っていれば、そちらのほうで違法になるようなんですが、そこも微妙に回避してるようです』

『そうなんですか。なかなか悪質ですね』

 テレビではコメンテーターの会話が続いていたのだが、そこにネット販売されていたというネックレスが映し出された。

「え?」

 日香里が首元に手をやる。皆の注目が集まる中、日香里が言い訳をはじめた。

「だってね、あの後、ネットで磁気ネックレスって本当はいくら位なんだろうって捜してたら、これ見つけたのよね。口コミも良い感じの評価だったし。血液ドロドロはやっぱり怖いし。値段は二万円。普段なら買わない値段だけど、あの後でしょう? すっごく安く感じちゃって。ポチっとね。でも、敵ながら天晴だわ。二段、三段構えの詐欺とはね。負けて悔いなしよ」

 そう言いながら姉は少し悔しそうだ。

 しかしこれで、水六本分については誰も後ろめたさを感じる必要はなくなった。

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