悪魔で拒絶し、夢を視る。

伊吹たまご

第1話

 俺の家族は、1度死んでいる。

 1度というのは、死んで、蘇ったからだ。

 家族が事故死したと知って泣きじゃくっていた俺に、自室にいるはずのない女の子が、甘い声色で唆したのだ。


『例えばたった1度だけ。許容できない現実を拒否できるとしたら、何を拒む?』

 俺はその問いに、家族の死を拒んだ。




「ただいま」


 高校帰り。

 昨日からの現実が続いていれば、俺の声に返事をする者はいなかった。


「帰ったかミチル。待ちわびたぞ」



 だが目の前。玄関の先には小さな女の子、否、悪魔がいた。

 小学校低学年ほどの幼女みたいな見た目で、背中からは黒い翼が2つ生えている。

 飾りなのか羽ばたく必要がないのか……翼は動いてもいないのに、そいつは空中で漂っていた。


「お前の拒絶は叶えたぞ。次はわたしの番だ」


 昨日俺を唆したのは、この悪魔だった。

 黒いハイレグの様な布面積が小さい衣服を身にまとった悪魔は、三角に尖った細い尻尾をクネクネと動かして、妖艶に哂う。


 俺が拒んだのは、『家族の死』だ。

 その結果、昨日の事故は無かったことになり俺の家族は生きている。

 悪魔は言った。

『これは契約だ』と。

 願いは叶えてもらったが、その対価はまだ支払っていない。



「対価は、俺の寿命だったな」

「正確には、本来の寿命の半分だ」


 悪魔のイエローオレンジの瞳が、薄く笑う。

 真っ赤なショートヘアーを空中でかきあげ、子供らしい造形のロリ悪魔は、見た目に反して凄みのある低い声で続ける。



「では、本契約を結ぼうじゃないか」

「……俺は何をしたらいいんだ?」


 どのような方法であれ、受け入れるつもりでいた。

 しかし悪魔は小ばかにするように笑い、一段高く浮いて、俺に細い足を見せつける。

 そして太ももを押さえつけていた黒いニーソックスに指をかけるとずり下ろし、つるりと剥いて、小さな足を突き出した。


「キスしろ」

「……足に? イヤなんだけど」


「そうか、では不履行だな。お前の寿命はすべて回収され、家族は死ぬがいいな?」

「まてまて! 嫌ってだけで、しないとは言ってねえ!」


 理不尽なことに、どうやら俺に選択権はなかった。

 ロリ悪魔はニヤニヤと笑っていた。

 明らかに悪意がある。


 この気持ちは嫌悪感か、それとも悪魔に対する敗北感か。

 しかし拒否すれば、俺と家族の命はない。

 ふざけんなと思うが、やはり拒否権はなかった。



「どうした。寿命は渡せるのに、ちゃちなプライドは守りたいか?」



 ものすげぇ煽ってくる。

 だが実際、俺は断れない。


 断れば家族もろとも死ぬのだ。

 死ぬよりは、マシだ。

 屈辱に震えながら悪魔の右足を持って、俺は彼女の足の甲に、そっと口づけた。


「うむ。確かに本来の寿命の半分、受け取ったぞ」

「実感はねえな」


 口を拭い、唾を吐き出したいのを堪える。

 屈辱的だったが、契約は終わった。

 家族も生き返ったし、口は洗えばいい。 


 そう思っていると、外から車の音が聞こえた。

 この駆動音、間違いない。母の車だ。


 まずい。

 俺の目の前にいる悪魔はロリだ。しかも際どい服を着たロリだ。

 片方だけ生足で、片足は黒ニーソを穿いたロリだ。

 最悪、コスプレさせたロリを家に連れ込んでいると思われるだろう。

 そうなったらお仕舞だ。


「契約は終わっただろ、さっさと消えてくれ!」

「何をそう慌てることがある?」


 車のドアを閉める音が、2回連続して聞こえた。

 どうやら、妹も乗っていたらしい。

 こっちに歩いてくる足音が近づいてくる。

 いよいよ本気でまずい。


「頼むから、早く消えてくれ!」


 俺の言葉に、悪魔はむすっとした顔をした。

 しかしどうやら、間に合わなかった。

 悪魔は依然として俺の前で浮遊しており、ガチャリと玄関ドアが開いた。


「ただいまっ!」

「あら、ミチルも今――」

「ではお望み通り、消えてやろう」


 パチンっ! と、良く響く音が聞こえた。


 悪魔は母と妹が玄関に入ってきたことを視認してから、指を鳴らして姿を消した。


 遅えよ!

 あああ、どう言い訳しよう。

 タイミング的に、ばっちり見られている。

 緊張して振り返ると、俺は思わず声を漏らした。


「……え?」



 糸が切れた、操り人形みたいだった。

 妹と母が脱力して、床に崩れ落ちた。

 妹は側頭部を靴箱の角に当て、鈍い音を鳴らして前のめりに。

 母は後ろから、破裂音を響かせて後頭部を床に打ち付けた。

 2人とも声を漏らさず、何の前振りもなく。


 2人は、動かない。

 まるで動かない。

 ただゆっくりと、母の頭からは真っ赤な血が流れて、それだけが動いていた。


「おい……! おいっ!」


 母の頭をヒザに乗せると、その頭は後ろがぱっくりと割れていた。

 髪の毛の奥は、砂と血でべっとりだ。

 流れ出る血が止まらない。

 真っ赤な手でワイシャツを脱ぎ、母の頭に巻き付けるが、やはり血は止まらない。



「そんなことしても無駄だ。死んでるんだから」


 ふいに後ろから、悪魔の声がした。

 思わず振り返るが、どこにも姿が見えない。

 だけど、いるのだろう。見えないだけで。


「お前っ! 契約しただろう! 騙したのかッ!」

「騙しただなんて、とんでもない。契約の詳細を聞かなかったのは、お前の落ち度だろう?」



 ぞくりと背筋が凍る。

 そうだ、見た目に騙されるが、俺が契約したのは悪魔だ。

 そして俺は、家族が生き返るのならと、即座に了承してしまった。


「だが、お前は運が良い。わたしは慈悲深い悪魔として有名なのだ。お前が不利になる制約はかけなかったぞ」


 体温を失っていく母親をヒザから下ろして、前のめりに倒れた妹の脈を測る。

 脈がない。喉元に手を当てるが、身体は冷たい。


 ああ、いやだ。

 動悸がする。めまいがする。

 吐き気を催し我慢しながら、さっきまで悪魔がいた場所を注視する。


 泣き叫びたかったが、それも我慢した。

 きのう悪魔が甘い声で唆したのはきっと、ただの気まぐれだ。

 今ここで対話しなければ。

 何としてでも、悪魔がここに居てくれるうちに、解決しなければならなかった。


「望月ミチル。お前が拒否したのは『家族の死』だ。お前とわたしの精神が繋がっている限り、お前の家族は死なぬ。切り刻まれても、どろどろに溶けても、必ず健康状態で生き返る」



 切り刻まれても、どろどろに溶けても、生き返る?

 果たしてそれは、人間と呼べるのか。

 生き返ってほしいという自分のエゴが、家族をこんな風にした。

 そんな現実を拒絶したくて、できなくて、俺は血濡れた手で自分の頭を掻きむしった。


「いや……違う……」


 妹は教師になりたいと言っていた。

 母だってやりたいことがあると言っていた。

 俺は正しいことをした。家族の未来を作った。

 俺は、正しいことをしたはずだ。

 自分を正当化して落ち着かせていると、悪魔が顔を歪ませて笑った。


「やはり、お前で良かった。お前はあのとき最も可哀そうで、そして異常だった。清らかな心であれば、大切な家族をバケモノに変えてしまったことには耐えられまい」


 そして詰め寄り、悪魔が俺の顔をのぞき込む。


「契約を反故にしようなどと思うなよ。その時点で、家族の魂はわたしが喰らう。魂を守りたければ、寿命を全うしろ。……お前が拒絶したのは自然の摂理だ。となれば不自然の摂理に囚われるのは、当然のことだろう?」


「もうやめてくれ。分かった、分かったから……!」


「それは良かった。ならば繋がりを戻そう。1度契約した以上、長く繋がりを断ってはわたしが罰せられるのでな」


 パチンっ! と音がした。


 とたん、白目を剥いて口を開けたまま、妹と母が立ち上がる。

 俺の手から、頭から、ワイシャツから、地面から、流れ出た血が宙に浮いて列になって母の頭へと戻っていく。

 やがて流血した痕跡が無くなったところで、2人が意識を取り戻した。


「――帰ってきたところなの?」


 そして何もなかった様子で、母が続きを言った。










 悪魔から話を聞いて分かったことは、3つ。


 1つ目、悪魔・もしくはその契約者が許可した者にしか、悪魔の姿は見えない。


 2つ目、悪魔は複数いて、その性格によって得意な『拒絶する事象』が違う。


 3つ目、契約を維持するために、俺は他の契約者と敵対することになる。




 俺は整理整頓された綺麗な自室で、ロリ悪魔のベルと対峙していた。

 シングルベッドに腰掛け、俺は宙に浮いたままのベルに質問を投げかける。


「他の契約者と敵対するって、どういう意味だ」

「他者が交わした悪魔との契約を破棄させることで得られるエネルギー、それが必要なのだ。お前の家族を生き続けさせるためにはな」


「……他者の契約を、破棄させる?」




 それはつまり、俺の契約が破棄される可能性があるってことだ。

 家族をまた、失うかもしれないってことだ。


「家族を守るために、わたしとの契約を破棄されないように頑張るんだぞ。いいか、破棄させる条件は『誰の何を拒んだか言い当てる』ことだ。お前は『家族の死を拒んだ』ことを、一生隠し続けろ」


 その条件を聞いて、俺は思わず微笑んだ。

 何も心配することはない。

 俺が『家族の死を拒んだこと』なんて、誰にも分かりはしないんだ。

 昨日の現実で事故現場を担当した警官も、当の本人たちも、誰も何も覚えていないんだから。



「俺しか知らない情報だ。この情報が洩れるわけがない」


「言っておくが、悪魔と契約した者には記憶が残るぞ。お前が『家族が蘇った光景』を忘れていないようにな。例えば敵が家族を殺した場合、敵は蘇る家族を見て察するだろう。お前が拒んだのは母の死か、妹か、その両方か……。言い当てるだけなら、当てずっぽうでも負けることになる」


 悪魔のベルは、空中で寝そべって言葉を紡ぐ。


「契約者にはそれぞれ、能力が与えられるのだ。お前が得たのは言うなれば、『自分を除く家族の不死身化』だ。お前自身には何のチカラもないから、戦闘になれば簡単に殺されるだろう。寿命以外の死は、契約の不履行。家族の魂はやはり、わたしが喰う」


 ……なるほど。

 悪魔の契約で実行される『拒む』とは、つまり事象の反転だ。

 不運を拒めば幸運に。金欠を拒めば金持ちに。

 拒んで反転させた事象がそのまま、契約者にとっての能力になるということだろう。


 そして『何を拒んだか』を言い当てられること、若しくは契約者の死で、拒んだ現実は元の状態に戻る。


 それを回避するために能力を使うべきだが、俺自身には能力がない。

 圧倒的に不利な気がするが、契約を維持するためには、俺は勝たなければならない。




「……悪魔と契約したヤツと普通の人間、見分ける方法は?」


「契約者が近くにいれば、重低音の耳鳴りがする。聞こえる範囲は、契約者によって異なるがな。そして宣言するには、その耳鳴りが聞こえる範囲で言う必要があるぞ」


 ベルに言われて耳を澄ませると、意識すればするほど耳鳴りが聞こえる気がした。

 だが、高い音だ。低い音ではない。

 少なくとも、近くにはいないのだろう。

 少しだけ安堵しながら、俺は血の付いていない自分の右手を見つめた。





 しかし翌日の朝。

 悪魔ベルを自室に置いて登校した俺は、頭を抱えていた。

 教室に入ってからずっと、低い耳鳴りがするのだ。


 まだ朝のホームルームも始まっていない時間だ。

 教室の中には生徒がまばらで、学生カバンを枕にして突っ伏している者や、楽し気に友人と話して教室に入ってくる生徒もいる。




 俺の席は教室の1番後ろで、全員の様子が見渡せる場所だ。

 平常心を装いながら、俺はスマホを取り出した。


 教室にいるのはクラスメイト25人中の11人。

 俺の教室は1階にある。

 耳鳴りの聞こえる範囲が上下を含めるなら、2階にある教室に契約者がいる可能性もあるが……。

 登校中に、耳鳴りはしなかった。


 耳鳴りが聞こえたのは、この教室に入ってからだ。

 順当に考えれば、このクラスに敵がいる可能性が高い。


「立川、峰岸、田中……」


 小さな声で呟き、いま教室にいるクラスメイトをメモる。

 電源を切ったスマホを学生カバンにしまい、水筒のお茶で喉の渇きを潤す。


 俺が気付いているのだ。

 敵も、俺に気づいているに違いない。

 立ち回りを考えなければ。


 差し当たって、1人での行動は止めるべきだろう。

 耳鳴りが聞こえる範囲は、ヒトによって異なるとベルは言った。

 相手が聞こえる『低い耳鳴り』の範囲は分からないが、少なくとも2人以上で行動することで、俺が契約者であることはピンポイントに当てられなくなる。


 そして最も大事なのは、いつも通りに振る舞うことだ。

 不審な動きをすれば、それだけで怪しまれる。

 幸い俺には、いつも一緒にいる友人がいる。


 虫が羽ばたくような低い耳鳴りを無理やり無視して、俺はホームルームと授業をこなした。

 移動教室は必ず3人以上で動き、休み時間も友人と過ごした。

 何の問題もなかった。

 5時間目の授業で、俺と委員長が、2人きりになるまでは。




「望月と峰岸。準備室からホワイトボード持ってきてくれ」



 授業が始まるまでは、残り数分だった。

 日直だった俺たちは、地味めな委員長と一緒に準備室に入った。


 俺は委員長の峰岸と仲が良くない。というより、ほとんど知らない。

 いっつも自席で難しそうな本を読んでいるのだ。

 はしゃいでいるところなんて見たことがない。

 委員長はいわゆる、陰キャだった。


 様々な備品が置かれたカビ臭くて狭い準備室に入ると、ホワイトボードはすぐそこにあった。



「もっと早く言ってほしいよな。授業が始まっちゃうぜ」

「ほんとね」


 準備室に入ると、俺の隣にいる眼鏡をかけた委員長が答えた。

 そして案の定、授業を知らせるベルが鳴る。



「ねえ、聞こえた?」

「ああ、始まっちまったな。まあいいだろ、ゆっくりいこうぜ」



 キャスターのついたホワイトボードに手を添えて振り返ると、委員長は俺の目の前にいた。

 その左手はホワイトボードには触れておらず、着用した白マスクをつまんでいる。


「そうじゃなくて、低い耳鳴りがさ」



 思わず後ずさろうとして、できなかった。

 ガシャン! とガラスが揺れる音がした。

 備品棚にぶつかったのだ。



 逃げ場がない。ないが、しかし慌てちゃダメだ。

 この準備室の隣には教室があるし、俺は今日1日、1人にはなってない。

 俺が契約者だとはバレていないはずだ。少なくとも、確信はないはずだ。

 これはきっと、カマかけだ。



「み、耳鳴り? いやあ、聞こえねえな」



 長い黒髪をゆっくりと右手でかきあげて、委員長が詰め寄ってくる。

 その右耳に、6個を超える大小様々なピアスが付いているのが見えた。

 俺のイメージと違う。


 委員長は息がかかりそうなほど詰め寄ると、そこでようやく足を止めた。

 20センチは低い委員長が俺を見上げ、左手でマスクを下げる。


「ンばぁ」


 そしていきなり、俺に向けて嬉しそうに舌を突き出した。

 委員長の舌の先端に、赤色のピアスが付いている。

 だけど何をしたいのか、俺に何を見せたいのか、まったく分からない。

 どんな目的があって、こんな――。


「そんなに考えちゃダメ。理由なんて、ないかもしれないでしょう? だって悪魔は、絶望した人間にしか憑かないんだもの」


 そう言って委員長は、俺の心臓にナイフを突き刺して、笑った。

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