第6話 太一の正体②
その建物自体、確かに異様な雰囲気があった。
二年近く放置され、荒れた外観を隠すためかその元定食屋は森の景色を描いたパネルで囲われている。なにしろこの通りに入る角の一軒目だから、そのままではあまりにも印象が悪いと誰かが設置したのだろう。事件直後には無かったモノだと
ここから奥に向かっては今風の飲食店が立ち並ぶお洒落な通りになっている。それだけに近隣の店舗からすれば一刻も早く建物を取り壊すなり建て直すなりしてほしいところだろう。
おそらく事件当時は客足に多大な影響が出たはずだ。いや、多分いまでも影響は残っているにちがいない。
夕刻以降の営業を主とする店舗が多いため、この時間帯の通行人は少ない。ただ酒や食材の配達業者、清掃業者などが結構いて、紗英たち三人にチラチラと視線を送っている。きっと今夜はこの界隈で噂になるのだろうな、と紗英は想像していた。
太一が先頭に立ち店舗の鍵を開ける。
建物の中は淀んだ空気の中に腐敗した魚のような臭いが籠っていた。事件から二年近くたっていても臭いはなかなか取れないのだろう。店のあちこちに脱臭剤が置かれているが既に空っぽになっている。電気は点かず薄暗い。
太一が用意していたランプをつける。懐中電灯ではなく、ランタンのような形状のランプだ。
店内に入り、紗英は『おや?』と思った。建物の外で感じた霊気と中の霊気とでは何か違うのだ。外で感じた霊気には近づきたくないと思わせる怖さが多少あったのだが、店内の霊気はただただ静かなのだ。何と言うか、深い湖の底のような静まりかえった重い霊気。深い悲しみを感じさせる霊気。
玄関で立ちすくむ紗英と陽介に
「ついてきて」
と太一が静かな声で言う。そして店内を抜け厨房へと進む。紗英も覚悟を決めて陽介と共にそれに続く。
大きな冷凍庫が目に入る。ここに切断された一葉の遺体が入れられていたのだ、そう思うと陽介も紗英も自然に手を合わせたくなる。が、太一がずんずん進むので手を合わせる事が出来たのはほんの一瞬だった。
一番奥の休憩室まで来ると少し臭いが強くなる。畳の上にはどす黒いシミが見え、部屋の四隅には盛り塩の痕跡があった。これには霊感の無い陽介もさすがに少し怯んだように見えた。
この部屋の手前で太一は振り返り、手で二人を制したあと
「ここで見てて」
そう言って自分は部屋に上がり足元にランタンを置いた。
そして袈裟を羽織ると畳のシミの中央にこぶし大の石を置く。それから数珠のようなものを取り出しジャリッジャリッと玉を分けてはブツブツと何かを唱えだした。
何を言っているのか紗英には判らなかったが、響きはお経に似ていると感じた。かと思えば神社の
ドラマや映画などで見るお祓いとは違って大きな声を出したり派手な動きをしたりすることもないまま、静かに静かに事は進んだ。
霊感のない陽介は何も感じないようだが紗英にはある程度感じられるのだ。
——シミの中央に置かれた石から音もなく波紋が広がり湖の底のような霊気に小さな泡が立つ。
泡は静かに流れながら、ゆっくりと渦を巻き石のまわりに集まってくる。
そのタイミングで太一が紗英に合図を送った。合図をしたらやってほしい事がある、と紗英は事前に頼まれていたのだ。
紗英はゆっくりと一葉に語り掛ける。
「桜の葉っぱさん、あなたがイラストを描いてくれた絵本『ぼくのてのひら』は園児たちに大人気なんですよ。可愛い小さな手、それを包み込む優しい手。ごつごつした力強い大人の手、どろんこの手。子供たちは、そのどの絵も大好きで何度も見返しては歓声を上げてます。私はまた一緒に絵本を創りたいとずうっと思ってました」
その時、石の回りに集まっていた霊気が小刻みに揺れた。
そして部屋に置かれた石に向かって一気に流れ込み一体化してゆく。
紗英にはそんなふうに感じられた。
最後に太一は天井を見上げぶんぶんと腕を振る。
その姿だけが唯一、イメージ通りのお祓いらしい仕草だった。
それから大判のハンカチ大の布で包むように石を拾い上げると、小さな箱を取り出して大切に丁寧にそこに入れた。
「終わったよ」
この店に足を踏み入れてからほんの15分ほどの出来事だった。
「ここは早めに退散した方が良い。例のモノが来ると面倒だから」
そう言って太一は二人を促し、三人は足早に店を出る。
外に出ると相変わらず、こちらをチラチラ見ながら会話を交わす人々の姿が目に入った。
「本当ならここで少しご近所さんに話を聞きたいところだけど、残念ながら今はこの場を離れる事が最優先だからなあ」
太一は残念そうに言うと続けて
「だけど、あまりあからさまに慌てるとご近所さんに変に思われるから、落ち着いて速やかに立ち去ろう」
と、にこやかに言った。
店にしっかり鍵を掛けると談笑しながら自然体を装ってその場を離れ、車に向かう。
作業着姿なのに乗用車で乗り付けては違和感丸出しだから、車は少し離れた駐車場に止めてある。そこで車に乗り込み太一の運転で走り出すと、ようやく少しだけ三人の緊張が解けて車内にはホッとした空気が流れた。
「ここを離れたらもう少し詳しい説明をするよ。いろいろ疑問だろうけどちょっと待ってて。とにかくここを離れた方が良いからさ」
運転しながら太一が言う。三人ともまだ作業着のままだ。
そうして少し離れた道の駅に車を停めると、ほうーっと大きなため息をついて言った。
「もうバリアは脱いでも大丈夫だよ」
「あの石は何だったの?」
作業着を脱ぎながら、紗英はずうっと気になっていたことを口にした。
「あれは一葉さんの心臓に見立てたモノだよ。実は外には全く出てない話なんだけど一葉さんの遺体には心臓が無かったんだ。バラバラにされて心臓だけが持ち去られていたらしい。この事は警察内部でも一部の人間にしか知らされていない」
太一の告げる残酷で醜悪な事実に紗英も陽介も一瞬言葉を失う。
「……それをどうして太一が知ってるんだ?」
ようやく陽介が声を絞り出して聞いた。
「除霊の協力者は警察内部にも居るんだ。他にもいろんな分野に仲間は居る。はっきり言うと、つまり、そういう組織があるんだよ。表には出せないけどね。その組織が怪異による事件や事故を秘密裏に処理してる。爺ちゃんはそのメンバーで、僕は後継ぎに指名されてるんだ」
「何を言ってるんだ? 太一、冗談だろ? そんな話は聞いたことがないぞ」
「太一、こんな時に私達をからかってるんじゃないわよね?」
紗英も陽介もあまりに飛躍した話の展開に戸惑っている。
「この話を打ち明けるべきかどうか悩んだんだけど、爺ちゃんとも相談して、やっぱり今回の件は陽介と紗英の協力なしには前に進まないって結論になったんだ。巻き込んでしまった事は本当に申し訳ないと思ってる。でも、陽介も紗英も迷惑だとは思ってないだろう?」
「まあ、そうだな。俺は不謹慎だけど面白いとちょっと思ってしまってる、かな?」
「私も、一葉さんの事はこちらからお願いしたようなものだし。それに、太一が単なるバイトじゃなくてむしろホッとしてるかも」
「二人ならそう言ってくれると思ってたよ」
太一はやはり何処か飄々としている。そう簡単に納得できないはずの秘密を告白しておいて、そんな一言で片付けようとしているのだから。
そんな太一に、どういう訳か紗英は笑いが込み上げてきた。
「その組織の話、本当はこんなに軽く聞き流せる事でもないんだけど、ひとまず置いとくわ。その上でもう一度、一葉さんの話に戻って石の件、説明してくれない?」
「うん。あの石を心臓に見立てたって話だよね。前に来た時には結局、何もできなかったって話はさっきしたけど、心臓が揃わなかった事も理由の一つだったんだよ。心臓が無いせいで一葉さん自身もここを離れたくなかったんだ」
「それがあの石ひとつで解決したってこと?」
「あの石はただの石ころじゃないんだよ。爺ちゃんが霊峰に出向いて頂いてきたものでね、それを霊水で清めて時間を掛けて念を込めたものなんだ。そして紗英が一葉さんに語り掛けて心を解きほぐしてくれた。そうしてようやく一葉さんはあの石を心臓の代わりとして受け入れてくれたんだ」
「そう言う事だったのね。一葉さんに語り掛けてほしいって言われて私も戸惑ったけど、いざ一葉さんの気配に触れたら自然に心の底から言葉が出て来たのよ。不思議な感じだったけど、あ、でも、じゃあ今ここに、太一の鞄の中に一葉さんは居るの?」
「うん。でも紗英、気配を感じないだろう?」
「ええ。全く。ここに居るなら私にはわかると思うんだけど」
「それで良いんだ。例の何かに見つかると面倒だからね。結界をはった特別な布に包んで鞄に入れてある。この鞄にも結界がはってあるからまず見つかることはないと思う。」
「結局、その準備に一年以上掛かったって事なのね」
「そう。その通り。こういう事は準備が九割だから」
「そこまではまあ、解ったという事にしても、私にメールが送られてきたのはどうしてなの?」
「紗英からメッセージの話を聞いて判ったんだ。この石が一葉さんの心臓として認められつつあるんじゃないかってね。それまで身動きの取れなかった一葉さんが少しだけ解放された証拠だったんだよ。だから今だ、と。爺ちゃんもそう判断した」
「う、ん。何だか分かるような判らないような話だけど、まあ、今は良いわ。だんだんにもっと詳しい話も聞けるだろうし。ともかく一葉さんの保護は出来た訳だし」
「うん。ただ、一葉さんの保護は出来たけど、それ以外の事はまだこれからって事になる。敵も黙っちゃいないだろうしね」
「敵? そのタチの悪い……」
「うん、まあ、気を引き締めないと結構危険な目に逢うかも。改めて言うけど、巻き込んでごめん」
太一は軽く言い放ったが、つまりそれは紗英や陽介の身にも危険が及ぶかもしれないという宣言ではないか? 陽介と紗英は思わず顔を見合せた。
その後三人はそのままこの道の駅で昼食を済ませることにして、束の間、緊張を解いていたのだが、その食事中に突然声を掛けられ、再び緊張することになる。
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