第16話 名前

「あれ? 陽太くんは?」

「バイト先の集まりに行きました。彼氏さん、どうしたんですか?」

「ああ。ちょっと転んじゃってね」


 転んだ、にしては頬にある手形は不自然なような。でも目の奥が笑っていない朱音先輩から察するにあまり触れないほうがいいだろう。


「朱音先輩」

「どうしたの?」

「さっきの質問の答え、してもいいですか」

「……決まったのね」

「私、嫌です。誰にもとられたくないって、思いました」

「そう。いい答えね」


 何の話か分かっていない彼氏さんは困惑した顔をしていたけれど朱音先輩は安心したような、そんな表情を浮かべていた。


 色んな人に心配と迷惑をかけた。これからもかけるかもしれない。でも私は前で学んだんだ。自分勝手に行動するだけじゃなくて、周りの応援してくれる人のこともちゃんと考えようって。


 それから一時間ほどが経っただろうか。腕を組んだ状態で色葉さんと立花くんが戻って来た。そんな姿に野依は眉間に眉を寄せている。


「陽太。この女だれ?」

「……バイト先の先輩の友達。ここまでくるって聞かなくて」

「あれれ? さっきと違う子だ。でも横に彼氏さんいるじゃん」

「私達知らない人は混ぜて遊びたくなくて。ここまで送ってもらって悪いですけどお引き取り願います」

「可愛くない子。さっきの子はすぐ送り出したのに」

「思ってることを言えるか言えないかの違いなので」

「色葉―! 陽太―!」

健太けんた、さん」


 野依と色葉さんが揉めているとこちらに走って来る大きな影が見える。立花くんよりも焼けた黒い肌は白いタンクトップの魅力を存分に出している。パーマのかかった黒い髪は他の誰かとはまた違うくて、大人の男性だった。


 健太さんがこちらに辿り着く頃には彼氏さんが朱音先輩を、野依を吉柳くんがその背に隠した。二人はこの男が危険だと思ったのだろう。偏見だけど女癖悪そう。そう思っても私は誰からも隠されることなく健太さんと対面した。


「うわ。邪魔した?」

「健太いい所に! 陽太またあっちに戻したいんだけどさぁ」

「ちょ、色葉さん!」

「俺はそこの子がいるなら俺はなんでもいいけど」


 一直線に差された指の先にいるのは私。変なのに目をつけられたな、そう思った。立花くん以外に興味なんてないしバイト先で集まる中に私だけ入るのも違和感だろう。立花くんだって差された指の先にいる私を見て困惑している。

 一同の視線が集まる。


「……三十分で私と立花くんを解放すると約束してくださるならいいですけど」

「ちょ、日和⁉」

「ノリいいじゃーん。じゃ、決まりね」


 私は健太さんに肩を抱かれた。鼻につくきつい香水の匂いと潮の香り。こちらに噛みつこうとしている野依を抑えていえる吉柳くんが見える。今だに色葉さんに腕を組まれている立花くんの表情は分からない。でも、いい顔をしていないことだけは確かだ。それだけは私にだって分かる。


 少し歩くと大勢の集団が見えた。健太さんのことを呼ぶ声が聞こえる。それと同時にあの女だれ、と言う声も聞こえてくる。


「この子俺が拾ってきた。手出すなよ」


 なんだこの男は。あたかも自分で連れて来たような口ぶりだけど着いてきたのは私。そして私に手を出さないように、と牽制もしていた。私は貴方のものじゃない。

 抱かれている手から抜けだそうと試みるが強い力だ。抜け出せそうにない。離れた場所には集団に交じる立花くんが見える。その姿は楽しそうで、私になんて興味ないみたい。


 私達の方で遊びたいから、なんて言い訳はしなかったほうがよかったかも。快く送り出せばよかった、なんて今更ながらに後悔していた。

 立花くんのほうを見ていたが、健太さんに顎を掴まれ視線を合わされる。


「ねえ、名前は?」

「日和、ですけど」

「日和ちゃんね。君、分かりやすいね」

「何がですか」

「陽太のこと好きでしょ。色葉のことめっちゃ敵視してた」


 にっこり笑顔で言われたそれは私にとっては衝撃で。でもそれと同時にこの人が何をしたいか分からなかった。明らかに色葉さんは立花くんのことが好きで。でも私の好きも知ってて。


 色葉さんの知り合いなのに私をここへ連れてきて彼にメリットはあるの?


「……何がしたいんですか」

「俺は何かしたいわけじゃないけど、美人が陽太のこと好きって言ってるのが面白くて」

「それ、立花くんが格好良くないって言うことですか?」

「いやいや。アイツは面もいいし中身だって最強だぞ? でも少々恋愛向きではないな」

「立花くんの良さは私だけ知ってればいいんです。敵が、増えたら困ります」

「美人に好かれるのっていいなぁ。色葉も性格はあれだけど、面はいいだろ?」

「まあ」

「君、これからどうするわけ? 色葉から陽太取り戻せる?」

「……正直不安です。私はここに来るのがもう最初で最後だと思うので一緒に過ごしたいけど」

「なんで? 別にまた来ればいいじゃん?」

「へ」


 何かおかしい? と言いたげな顔でそれを告げる彼。そんな考え思い浮かばなかった。

 そっか。別に一人で時間さえ聞いておけばここに来ることはできる。でも、立花くんの交友関係を壊さないか。邪魔にならないか不安だった。


「ほぼ初対面の俺が言うのもなんだけど、もうちょっと我儘になれば? その顔があればだれでもなんでも許してくれるって」

「……立花くんは、顔で判断しないと思うので無駄だと思います。あと私そんなに顔良くないです」

「その顔の良さ自覚なし? 流石にそれはないわ」

「顔なんてどうでもいいんです。私は色葉さんから立花くんを引き離したいんです」

「なら……」


 私は健太さんにあることを耳打ちされた。赤くなっているであろう顔に健太さんは爆笑し、私は眉間に眉を寄せた。そしてそのあることを実行するために立花くんのもとへ向かった。





「ねえ陽太ってば!」


 色葉さんがずっと俺の傍にしてうんざりしていた。バイトが同じだとはいえここまで一緒にいられると俺もストレスになってきて。でも周りは色葉さんとのことを囃し立てるようで誰も助け船を出す予定はない。


 俺は日和が好きだし、日和の傍にいたい。その気持ちはずっと変わっていなくて。海という絶好の場所でもう一度あんな思いっきりじゃないちゃんとした告白を、なんて考えていたのに告白どころか一緒にいることさえできなくて。


 彼女は溜息をつく俺にすら気がついていないようで。自分のことで必死だった。だからこちらへ来る日和にすら気づいていなかった。


「そろそろ時間だよ。戻ろう」

「陽太本当に戻る気? もうこのメンツで集まれないよ?」

「そういう約束でしたよね。大人が破る気ですか?」

「なっ。小生意気な!」


 腕を組む手を強める彼女に俺は呆れた。どうも今日は解放してくれる気がないらしい。俺は諦めて日和に元の場所へ戻るように言おうとしたが次の言葉が出てこなかった。


「〝陽太くん〟は私と一緒にいるの嫌なの? ここがいい?」

「な! 名前……」

「どっち? 私は一緒にいたいよ。だからここまで着いてきたの」


 初めて呼ばれた名前。俺より身長の低い日和は俺から見たら上目遣いに見えて。少し噛まれた唇に赤くなった頬。少ししたら恥ずかしくなったのか逸らされた視線。そんな日和がいて、俺は色葉さんと一緒になんていたくない。


 今すぐにだってこの場から離れたい。


「ねえ陽太はいかないよね?」

「……すんません。俺、日和といたいんで」


 俺は腕を振りほどき、日和の手を取った。今までは握り返されることのなかった手に緊張が止まらない。


「あれ⁉ その子健太の子じゃなくて陽太の子⁉」

「そうっす。すんません、俺抜けます」

「いいって! 俺らも悪かったな! イイ子いるのに!」


 周りから生暖かい目を贈られる中には大爆笑している健太さんがいた。

 俺は直感で後でお礼しないと、と思った。

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