彼と彼女の喜遊曲(ディヴェルティメント)

愛LOVEルピア☆ミ

第1話

 一学期も終わりに近い暑い真夏の始まり、入学直後からずっと朝の通学電車内で見ていた、可愛らしい女性。ほんわかとした表情に、優し気なタレ目、小柄で柔らかそうな身体。長い髪は背中で揺れていて、制服のスカートのあたりまで伸びていて、胸は激しく主張している。今日もまたスマホを覗き込みじっと動かずに席に座っていた。


「ほんと可愛いよな……また今日もすぐに到着か。あーあ、残念だ。もっと長い路線だったらいいのに、精々数分だもんな」


 目的地に着かずともよい、ずっと眺めていたい、そんな気持ちになっている。虚しくも願いは叶えられず学園前駅に電車は停車してしまった。あれだけじっと見ていたら、周りからはデリカシーのない奴と思われてしまっているかも知れない。


 彼女の後をフラフラと追って行く、僅かでも目で追いたい、まるでストーカーとすら言える行為を注意してくれる友人はここにはいない。階段を降りたところ、すぐ脇を猛スピードで駆け抜ける女が現れた、周りを見もせずにスマホを覗き込んでいて気が付かない。木原悠は危うく鞄を取り落としそうになるが身をかわした、けれども直後に「きゃっ!」まるでアニメから飛び出て来たキャラかのような声が聞こえた。


「ぼーっと歩いてるんじゃないわよ、バーカ!」


 きついメイクをした別の学校の女子高生が、木原が追っていた彼女に汚い言葉を投げかけた。悪いのは自分だというのにだ。


「あの……すみません」


 およそ品性の欠片も無いような女は、悪態をついて行ってしまう。意中の彼女はあたかも自分が迷惑をかけたかのような困り顔になり、申し訳なさそうに頭を下げているではないか。


「ったく、なんだよあの女、悪いのは自分だろ歩きスマホしやがって……ん、なんだこれ?」


 気付くと足元にピンクのスマホが転がっていた、カバーがついているので壊れてはいなさそうだ。あの彼女がおろおろしながら辺りを見回している、探しているのは恐らくこれ。木原はスマホを拾うと勇気を出して、そう心を振り絞って声を掛けた。


「あ、あ、あ、あのこれ!」


「……はい?」


 眉が下がってまるで泣き出しそうな彼女の目の前に、ピンクのスマホを差し出す。別人のものだったとしてもそんな可能性なんて頭にない。


「ス、スマホがそこに落ちていました!」


 片手を差し出して初めて向かい合って顔を見る。盗み見ているいつものように彼女は可愛らしく、今はなんと自分と視線が合っている奇跡に心臓がバクバクしていた。


「拾っていただけたんですね、ありがとうございます」

https://kakuyomu.jp/users/miraukakka/news/16817330669682615521


 丁寧にお辞儀をして笑顔を向けてくる。もし先ほどの女子高生だったら、きっと勝手に触るなとか怒鳴って来そうなものだが、全く性格が違うなとふと思う。


「ああ、笑ってる……良かった」


「……えっと、あの、どうかしましたか?」


 一向にスマホを渡そうとしない木原に、どうしたのかと小首を傾げる。またその仕草が可愛らしくてもう、見とれてしまった。数瞬してからふと正気を取り戻して差し出す。


「あ、ああっ、ごめんなさい! ど、どうぞ!」


「ふふっ、ありがとうございます。いつも朝同じ電車ですよね、良く見かけるなぁって思っていたんですよ?」


 すぐに立ち去らずに話し掛けてくる、何を言われているのかわからずに、木原はパニックに陥ってしまう。相手が自分を認識してくれていたことが嬉しくて、ある種恐ろしくて。一方的に知っているだけだと信じていたから。


「いやっ、その俺、木原悠です!」


 何故かこのタイミングでフルネームの自己紹介をかましてしまう。すると彼女はクスっと笑ってくれて、軽くお辞儀をする。


「はい。私は綾小路柚子香です。スマホ、拾ってくれて助かりました」


「綾小路さんって言うんだ……あ、あのっ! ま、また声を掛けても良いですか?」


 ガチガチに緊張しながら勇気を振り絞る。今の今までそんなことを言ったことなど全くと言っていいほどなかった。高校入試の面接でもここまで緊張していない。


「えと……はい、私で良ければ喜んで。いつでもお話してくださいね」


 その笑顔に木原は暫く周りが見えなくなってしまった。 心が高く高く舞い上がってしまい、どうにかなりそうで。突然のハッピータイム、不審がられないように落ち付こうと頑張って口を結ぶ。


「では失礼します」


 またもや丁寧にお辞儀をして綾小路は眼前を去っていった。そのような振る舞いの人物が周りに居たこともないので、木原は不思議な気分になる。暫く呆然と立ち尽くしていたので遅れて学校にやってくる。生徒玄関には早目に朝練を終えた生徒の姿がちらほらと見られた。


「おっ、悠ちゃんおっはよっ!」

https://kakuyomu.jp/users/miraukakka/news/16817330669682590371


 制服姿でおでこを出すような髪形、自然と全部を後ろに流していて、爽やか笑顔の女性。背丈は木原より十センチくらいかそれ以上小さい、女性としては平均的かも知れない位。スラリとスリムな体、腕も、足も、腰も、首も、胸もややすっきりとした感じで元気いっぱいだ。


「……あ、ひかり先輩。おはようございます、はは」


 見るからに気が抜けた状態の彼を見て不審がる。いつもと違う、そんなのは何年も顔を見てきたらすぐにわかる。心ここにあらずと言った雰囲気がにじみ出ていた。


「あれれ、なんかおかしいけどどうしたのかな? 熱でもあるのかい?」


 藤崎ひかりは、木原のおでこに手を当ててみるが、特にそんなことも無かった。自然とボディタッチしてくるあたり、勘違いをする男子を量産しそうな行為だが、相手を選んでやっているらしい。


「いえ……何でもありませんよ? それじゃ俺は教室いくんで」


 などと言ってるそばから段差に躓いて転んでしまう。小さく「いてっ」声を漏らして壁に頭をぶつけてしまった。立ち上がろうとして今度は手すりに頭をぶつけてしまう。


「いや、変だって! ほら保健室連れていってあげるから、先生もう居るかな?」


 手を引かれてひかりに無理矢理連れて来られた保健室、案の定まだ保険医はまだ居なかった。取り敢えず椅子に座らせて部屋を探してみる。


「取り敢えずお水だけでも飲んでね。うーん、悠ちゃんどうしちゃったのかな」


 渡されたコップの水を飲みながら、悠はさっきのことを思い出していた。綾小路の顔が頭に浮かぶと、顔がにやけてしまう。


 ひかりは明らかな異常を心配はするが、体調不良とも違うようでますます困惑する。この様子じゃ階段から転げ落ちそうな勢いだと、腕を組んで唸る。


「もう、悠ちゃん、教室まで送るわよ」


「えー、はい……ひかり先輩」


 放心状態の悠の手を引いて一年三組までやってくる。始業近くなってしまっていたので、かなりの生徒が集まっていた。そんな中、上級生がクラスに入ってくるものだから注目を集める。しかもクラスの男子と手を繋いでだから尚更だ。別のクラスの人物というだけでも普段は目立つのに。


「えっと、悠ちゃんの席はどこかな?」


 全員が席についていたら空いているのが木原のそれになるのだが、あちこちに動いて固まって喋っているので、急にやって来たひかりにはどこかの見当がつかない。その姿をみて一人の女性が近寄って来た。


「失礼。私はクラス委員長の佐々木令子と申す。先輩が一年三組にどのようなご用事か?」

https://kakuyomu.jp/users/miraukakka/news/16817330669682551303


 騒然としているクラスから、委員長が立ち上がり問い質す。古風で変な感じの喋り、冷静な表情、ひかりと背丈はほとんど同じ位で、後ろで髪を一つに縛っているけれど、本来の毛先は腰のあたりまで伸びる程長い。


 その佐々木令子の大きな特徴は、綾小路に勝るとも劣らない胸の大きさだ。姿勢がとても良いのでぐっと突き出すかのような体勢が、より大きく見せているのかもしれない。


「あっ、藤崎先輩だ。何で木原と一緒なんだろ?」バスケ部の一年リーダー、北川睦が部活のチーフマネージャーに勢いよく挨拶をした「おはようございます!」


「あっ北川さん、おはよっ。えーと佐々木さん、悠ちゃんの席はどこかな? 何だか朝から様子がおかしくて、連れてはきたけど心配なのよほら」


 言葉が聞こえた範囲で教室の空気が一気に変わる。「悠ちゃん」とのフレーズ、それが示す意味を探って皆が勝手な妄想を始めた。


「様子が? ……ふむ、確かに。木原の席はこちらです」


 言を認めて先導する、言われるがまま席についた彼だが、ぼーっとしているのは変わらない。 明らかに異常で、まずは椅子に座らせてしまう。


「熱とかあるわけじゃないんだけど、ぼーっとしちゃって。授業始まっちゃうから僕は行くね、後はヨロシク!」


 片手をあげてパタパタと教室を出ていく、その後姿は軽快でご機嫌さが伺えるかのようだった。或いはピョンピョンとでも跳ねるような感じで。


「承知した。ふむ、放心状態か、一時的なものであろうか。とはいえもうすぐ授業が始まるな。玲奈、こやつに異常が無いかを見ておくのだ」


 ふと視線を横にずらすと、黙ってすぐ隣の席で見ていた星川玲奈に一言告げる。目を細めて一度木原を見てから佐々木に視線を戻す。


「は? 何で私が」


「隣席であろうに。異変に気付いた時に声を上げれば良い、そうすれば後は私が引き受ける。頼むぞ」


 有無を言わさぬ物言いに、いつもなら頭から拒否する星川が渋々承知した。他の誰であっても横柄で、何でも嫌なことは嫌だときっぱり断ってしまうが、小さくため息をつくと視線を逸らして頬杖をつく。


「わかったわよ。気付いたらね、気付いたら」

https://kakuyomu.jp/users/miraukakka/news/16817330669682639990


「解れば良いのだ。ではな」


 そんな二人を脇にして、クラスメイトは今日の話題を手に入れ、とても楽しそうに自説の主張を繰り広げている。 藤崎ひかり、名前までは伝わらないが木原悠との関係性が何なのかと盛り上がるのであった。



 放課後、一年三組の教室前の廊下に藤崎ひかりと榊由美がやってきていた。二人ともバスケットのチーフマネージャーで、公私関わらず一緒なことが多い。何のことはない、幼なじみというやつだ。


「ごめんください。北川さん、少々宜しいかしら?」


「はい! 榊先輩、あっ藤崎先輩も。どうかしましたか!」


 チーフマネージャーが二人で居るのは部活ではいつもだったが、教室にまでこうやって来たのは初めてだった。何か急用の連絡でもあったのかと走る、部活の上下というのは厳しめだ、何せ体育系だから余計に。さらに言えば、規模がかなり大きいので、マネージャーだけでも六人もいる。

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