百三十二話 分離、抑圧、尚も継戦

 言いつけに従い、私は朱蜂宮(しゅほうきゅう)の南門を出て、北の宮に向かう。

 これから正妃さまに、またなにか聞かれるのだ。

 気が重いワァ~。

 視線の先では、中書堂の工事現場で働くみなさんが、大鍋を囲んで集まっている。

 お茶か甘酒かなにかを飲んで、休憩中なのかな。


「メエエエエェ」


 なんか、聞き覚えのある鳴き声がここまで聞こえてきたし。


「あら、軽螢(けいけい)と椿珠(ちんじゅ)さんまでいるじゃん」


 作業者たちに混ざって、ヤギを囲んで楽しそうに談笑していた。

 工事の手伝い、応援に来てくれてたんだね。

 うう、私もそっちの方が良いよう。

 ところであいつら、ちゃんと情報収集は進んでいるんだろうな?

 私ばっかり働いてるとか、それは許されざることですからね?

 ま、二人にはこのあと想雲(そううん)くんと協力して若手書官の獏(ばく)さんから、中書堂と後宮の醜聞を根掘り葉掘り聞いてもらうミッションがあるんだけれど。

 しっかりやってくれよぅ、本当にさあ。

 でも改めて考えれば中書堂と後宮って、場所がそもそも近すぎるよな。

 若い男女がご近所暮らし、なにも起こらないはずがなく。


「麗、参りました。正妃殿下のご尊顔に拝する機を賜り、その喜悦まことに深甚の至りにございます」


 北の宮に参上し、慶賀を述べて正妃殿下、素乾(そかん)柳由(りゅうゆう)さまに、何度目かの対面をする。

 今日はイヤミな腰ぎんちゃく宦官の、川久(せんきゅう)太監はいないようだ。

 代わりに、部屋の隅に偉そうな立派なお髭を生やした、壮年の男性が静かに控えて立っていた。

 帽子と服装から察するに、かなり偉いお役人さんだろう。

 壇上の正妃さまが、相変わらずの固く疲れた顔で、私を呼びつけた意図を話す。


「麗。あなたは広く戌族(じゅつぞく)の地を歩き、邑や人を見聞したのですよね」

「はい。黄指部(こうしぶ)の邑から入って、白髪部(はくはつぶ)、青牙部(せいがぶ)の領域を旅して、戻ってまいりました」


 この部分は別に誤魔化すようなことでもないし、証人がいくらでもいるので、以前にも正直に伝えてある。

 軽く頷いた正妃さまは、脇に控えていた髭のお役人さんに視線を向け、以後の説明を委ねた。

 髭さんが言うことには、こうだ。


「このたび朝廷に、旧青牙部の領域を新たに監督することになった、斗羅畏(とらい)大人(たいじん)の使者が来られた。麗女史たちが健勝に過ごしているか、大人はあいさつの中で触れておられたことを、ここにお知らせする」

「えっ、斗羅畏さんから」

 

 あら嬉しいわ、イケメンからのお便り。

 私も斗羅畏さんの活躍を、ここ河旭(かきょく)の後宮から、心より願っていますよ。

 青牙部の土地を治めることが本決まりしたので、外交儀礼として昂国(こうこく)に連絡を寄越したのか。

 公式な使者を隣国に出せるということは、斗羅畏さんの足場は固まったということだな。

 側近のオジサマ武将たち、ずいぶん頑張ったことだろう。

 髭役人が続きの、おそらく本題を話す。


「差配する大人が変わったとしても、かの地が貧しく、民や兵の気性も烈しいことに変わりはない。麗女史のご意見として、いずれ困窮した斗羅畏大人が覇聖鳳(はせお)のような捨て身の攻撃を、我が国に仕掛けて来るかどうか。そこをお聞かせ願いたい」


 なるほど、純粋に国防や外交の話を聞きたかったのか。

 覇聖鳳も、斗羅畏さんも、両方を知っている私に。

 皇帝陛下や大臣たちが並んでいる朝廷で私ごときが具申するのも変なので、あくまでも「正妃がそういう世間話を聞きたがっている」という体裁をとったわけね。

 それを髭のおじさん、きっと国境内外の軍事や外交を担当している官僚さんが、半ば私的に聞き耳を立てているだけ、と。

 政治って、面倒臭いですね。

 私は少しホッとして、ハッキリと答えた。


「その可能性は、低からず、あると思います」


 それを聞いて、髭役人も正妃さまも、目に見えて息を飲んだのがわかった。

 斗羅畏さんにあわや惚れかけたほどの私である。

 憎む気持ちなどはないし、悪く言うつもりもない。

 けれど私は、見聞きし体験した事実と、あくまで個人の印象として、正直なことを言うしかない。


「いよいよとなったら覇聖鳳同様、斗羅畏さんも、躊躇なくやるでしょう。彼はそれだけの行動力があり、側を固めるお仲間も斗羅畏さんの決断を支持すると思われます」


 善悪や是非を超えて、自分たちが生きるため、飢えて凍える女や子どもを守るために。

 やるときはやる男、それが斗羅畏さんだ。

 それができない腰抜けなら、覇聖鳳はそもそも斗羅畏さんを後継者として遺言しないはずだ。

 ただし、と私は言い添えた。


「斗羅畏さんは大義と面子を重視する方です。通商や文化交流などで、昂国が旧青牙部と定期的に付き合いを持てば、その関係を反故にして向かって来るようなことはないでしょう。もし切羽詰っても、矛先は別のところへ向けられると思います」


 このことは、いつか偉い人に言いたいと思っていたことだ。

 覇聖鳳が神台邑(じんだいむら)を襲った事件も、青牙部の困窮に加えて、昂国とのディスコミュニケーションが大きな要因となっていた。

 ちゃんと食料を買うか借りるかできれば、覇聖鳳たちだってあんな無茶はしなかったはず。

 覇聖鳳がこの世から消えた今だからこそ、私はそれを素直に、恩讐を混ぜることなく認められるのよね。

 そうならないように、どうにかしてあげてもいいじゃん?

 と、政治の中枢にいる人たちにどうしても、言いたかった。

 彼らから北方の珍しい動物の毛皮を高く買ってあげるとか。

 昂国に出稼ぎに来てもらうとか。

 農業生産量を高めるために、研究者や技術者を派遣するとか。

 共同で海岸を整備して港や塩田を作り、利益を両国で分け合うとかさ。

 お隣さん同士、やろうと思えばいろいろなことが、できると思うのだ。

 私の言葉に、髭官僚さんが興味を持ち、答えをくれる。


「それを実現するために、正妃殿下は環家(かんけ)の独占状態にあった通商を、切り分けて再編することに腐心なさっておられる」

「そ、そう、なのでございますか」


 痛いところを突かれる。

 現実に環家と黄指部(こうしぶ)の間に、独占的な請負契約がある以上、他の勢力が美味しい商売をすることができなかったのだ。

 主要物品は必ずそこを経由して、上前がはねられる、中間マージンが搾取されるわけだからね。

 環家の権益を切り崩して、ある程度の商業自由化を達成できれば、国境を越えてヒトモノカネの交流が盛んになる。

 食料が手に入らずに破れかぶれを起こすやつらも減るだろう、という建前だ。

 以上が環家イジメの、朝廷側が言う「大義」なのである。

 上手く行くかどうかは未知数だけれどね。

 自由貿易の範囲が広がるということは、今以上に貧富の格差が発生しやすくなり、外国人の出入りも頻繁になるのは、歴史の必然であるのだし。

 正妃さまは改めて声を整え、やつれている割には力強さを感じさせて、私に言った。


「それは別として、麗、あなたに言っておかねばならないことがあります」

「ははっ、なんでしょうか」


 話題が変わるからか、髭の官僚は拝礼して静かに部屋を出て行った。


「先日の欧(おう)美人のこと、あなたへの釈明も中途の態で朱蜂宮を離れることとあいなりました。これはひとえに私の不徳、目配せの不足からのことです。この場にいない鈴風(りんぷう)の代わりに、あなたに謝罪したいと思います。気苦労をかけさせてごめんなさい」


 あくまでも軽く小さくだけれど、正妃さまが明確に、頭を下げた。

 不意をつかれた私は一瞬、驚きに固まって。


「そそそんな、畏れ多いことにございます! 正妃さまにご心労をかけさせてしまい、私の方こそ平に伏してお許しを賜わねばならないのが道理であります!」


 混乱して変な口上を述べるのが精一杯であった。


「ならば、許してくれるのですね」

「せせせ正妃殿下の思し召しのままに!」


 私が許す許さないなどと偉そうに決められる立場ではないので、こう言うしかないのである。

 正妃さまは微笑する。


「ありがとうございます。それと、これは後日、公式に知らせが朱蜂宮にも行くことですが、あなたには先に知らせておきましょう」

「は、なんでごさいましょうか」


 なにか、宮妃や侍女を巻き込んだ大きなイベントでもあるのだろうか。

 昂国春の龍祭りはまだしばらく先の話のはずだけれど。


「今、中書堂が新たに再建されるまで、若い学官が東庁(とうちょう)に多数詰めて働いていますね」

「はい。私も、簡単なお手伝いで足を運んでおります」

「しばらくの間、朱蜂宮の女が東庁に行くことを禁じます。妃はもちろん、侍女もすべてです」


 あちゃー。

 遅かれ早かれ、そうなると思ってたよ。

 欧美人がゴシップを残して追い出された余波の、綱紀粛正シーズンというわけだな。

 もっとも、あからさまにそんな理由を公表はしないだろうけれど。


「かしこまりました。禁を違えないよう、注意して過ごします」


 くそう、これで私の気分転換と情報収集の手段が、大きく制限されてしまった。

 正妃さまに私への悪意があるかどうかは不明だけれど、中書堂コミュニティを奪われた私のダメージは、かなりデカいと言わざるを得ない。

 毒の蚕は、桑の代わりに書を貪るのだから。


「重要な用向きがある場合は、宦官たちと都度、連絡し合ってことを進めるように。今日の話はこれで終わりです。退がってよろしい」


 最後はやや冷たさと威厳を匂わせて、正妃さまは面会を締めくくった。

 私がチョロチョロと要らないことを嗅ぎ回ってるの、バレてるのかなあ?

 彼女の複雑な表情からは、読み取ることができなかった。


「ふん、私が行けなくなっても、想雲くんがすでに切り込んでるもんね」


 こんなこともあろうかと!

 家庭教師選びという口実をつけて、想雲くんが東庁に出入りしても不自然でない状況を作り上げたのだ。

 頼むぜ、野郎ども。

 男の秘密を暴くのは、やっぱり男同士の方が、はかどると思うの、うふふ。

 私の動きが封じられても、仲間が動き回れる余地を作れば、敵陣はいつか切り崩せる。


「まるで将棋だな」


 などと独り呟きつつ、私は夕焼けの中を歩き、後宮に戻る。

 事前のお許しを得ているとはいえ、夕方のお祈りに不参加というのは、漣さまのお部屋に勤めて以来、はじめてのことだ。

 沈み行く太陽に向かい、私は自主的に長く瞑目し祈ってから、朱蜂宮の正門をくぐった。

 怪しい色をした宵の星が、ちかちかと明滅している。

 私をバカにしているのか、元気付けているのか、どっちなのだろう。

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