百二十二話 希春の占い

 慙愧(ざんき)に堪えぬ私の、地べたにつきそうな頭の上で。


「神台邑(じんだいむら)の再建に際し、なにか私にできることがあれば、いつでも言いなさい。微力ではありますが、翼州(よくしゅう)公の家に生まれた一人として、なにかしなければとは前々から思っていました」


 南苑(なんえん)統括の貴人、塀(へい)紅猫(こうみょう)殿下は、穏やかにおっしゃられた。


「本当に、本当にありがとうございます。邑のみんなも喜びます」


 感謝の涙に両目をにじませ、私はそう答えるしかなかった。

 なんだよ、凄く良い人じゃんか!

 いや、優しい人だからと言って、翠さまに嫉妬しないとか、呪いをかけないとか、潔白が証明されたわけじゃないんだけどさ。

 こんなにも情けをかけてもらったら、塀貴妃を疑うことが、私の主観として、難しくなるのは間違いない。


「ほな、ぼちぼち取り掛かるでー」


 会話の最中、大きく伸びをして漣(れん)さまが作業開始の声をかけた。

 孤氷(こひょう)さんが綺麗な布の上に、先ほど必死で獲得した犬の肩甲骨を乗せて、両手に恭しく持ち、漣さまの前に示す。


「こっから、ここ」


 漣さまは肩甲骨を指差して、なにか目印をつけるかのように、孤氷さんに指示した。


「はっ」


 孤氷さんはそれを受けて、漣さまに言われた通りの箇所に、小刀でガリガリと、傷をつけた。

 狭い扇のような形をした犬の肩甲骨。

 その表面に、一筋の傷跡が入った。


「これは、なにをしているんですか」


 準備の隙間を見て、孤氷さんに訊いてみる。


「火で炙ったときに、この筋に沿って骨が割れやすいように、細工しているのです」

「骨を、焼くんですか」

「ええ。占いのようなものですね」


 どうやら犬の骨を火で炙り、その際に熱で生じた亀裂の具合によって、これから先に起こる吉や凶を占うようだ。

 訪れる春が、良いものか悪いものか、神さまにお伺いを立てるのだな。

 あらかじめ亀裂の導線となる傷をつけるということは、吉の目が表れやすいようにという、いわば出来レースなのだろう。

 凶の入っていないおみくじを、神社やお寺で引くような感じかね。


「どんどん燃やしてな~」


 漣さまが中庭にくべられた焚火を前に、軽快に命じる。

 春は南から訪れるという気象的な事実に基づき、焚火と祭壇は南面していた。

 文字通り、祈り願いながら、春を迎えるのだ。

 孤氷さんに教えられた通りに、私は焚火の中に大麻草の束を放り込む。

 この煙、吸ってしまったらマズいやつでは。

 私はそそそと風上に移動する。

 漣さまが焚火の中に犬の肩甲骨を放り込む。

 そのまま祭壇へ登り、歌うように口ずさんだ。


「あな待ちわびし春や、我らを温かく包む春。


 瞳の奥に新緑と、雪解けの沢よ浮かびし。


 蛙も兎も喜び跳びて、渡る鳥も歌いて翔けん。


 待ちわびし春よ、愛し影の雛芥子(ひなげし)よ。


 雪と氷を破り出て、我らの心も溶かし給う」


 言の葉を紡ぎ終えた漣さまは、朝日を詣でるのと同じく、四度の拝礼を四回、繰り返した。

 いつの間にか、南苑に属する宮妃さまの大半が、この中庭に集まっている。

 祭壇で祈りを捧げる漣さまを、全員が言葉もなく見つめて、南に拝礼していた。


「次の春も、善いものでありますように。伏して天地の神に願い奉りまする……」


 漣さまが最後に言ったのと同時に。

 パキン!

 焚火に置かれた犬の骨が、音を立てて爆ぜ、真っ二つに割れた。


「こ、これは……」


 火箸で拾い上げた獣骨の亀裂を、塀貴妃が確認する。

 あらかじめ刻んでいた傷と、まったく関係のない方向で、犬の肩甲骨は割れていた。


「あちゃあ、こりゃ、あかんな。ま、しゃあない、しゃあない」


 漣さまが獣骨焼き占いの結果を見て。

 凶である、と率直に認めた。

 オイオイオイ、なんだよこれ。

 吉が出るように、小細工までしたんじゃなかったのかよ~!!


「れ、漣。これは、どういうお告げなのでしょう」


 結果に懸念を持った塀貴妃が、まこと常識人らしい心配の顔を浮かべて、漣さまに尋ねる。


「綺麗に斜めに割れとるでなあ。身の周りや家のことに気を付けろ、っちゅう感じ?」


 他人事のように漣さまが答えた。

 感じ? じゃねえよ、頼むよホント。

 占卜(せんぼく)の結果は、国の大事や外敵の侵入、あるいは天変地異とかが大規模に起こるのではなく、身内同士の争いや身近な人の不幸を予言するものらしい。

 おみくじの凶は、普段の生活に気を付けなさいよという戒めの効果をもたらすので、必ずしも悪くとらえて気落ちすることはない。

 誰だって日々を慎重に、真面目に生きていくのが一番であるのだから、占いの結果が悪かったからと言って、過度に気に病むことはないのだ。


「別の吉日を見計らって、邪気を除けるお祈りをした方が良いのでしょうか」

「紅(こう)ちゃんがやりたいならうちはかめへんけど、あんま意味ない思うで」


 心配する塀貴妃と、どうでもいいと思っている漣さま。

 この二人が相性いい理由が、分かる気がするな。

 凸凹コンビというのは、いつの世にあっても噛み合うものである。

 神経質になりすぎるのも良くないと、詳しい事情の分からない私でも思うからね。


「お集まりのみなさまにおかれましては、順に焚火へ香木をくべていただきますよう」


 孤氷さんが参加者たちに促した。

 仲良し二人の話し合いをよそに、儀式は進行する。

 列を成した参加者が焚火の中へ、串のように細い香木を投げ入れ、四拝する。

 私たち侍女も後尾へ並んで、前の人と同じようにお線香のような木片を焚火に投げ入れ、お祈りした。

 もうもうと立ち昇る煙をその身に浴びていると、不思議と落ち着かない気分になるのだった。

 火と煙に関して、色々個人的に、思うところがある身なのでね。

 

「お疲れさまでございました。お二人のおかげで、朱蜂宮(しゅほうきゅう)はこれからも、安泰であることでございましょう」


 集まった人たちから、丁寧に挨拶を受ける塀貴人と漣さま。

 その様子を見ていると、チクリ、と私の胸を刺す嫌な痛みが発生し、善くない考えが頭に浮かぶ。

 覇聖鳳が部下を引き連れて、ここに押し寄せて来た秋のあの日。

 死ぬ思いをして駆け回ったのは、私や巌力さんたちであり、みんなのためにその身を投げ出したのは、翠(すい)さまや玉楊(ぎょくよう)さんなのだ。

 あんたらは、閉じこもって祈ってただけじゃないか。

 いかん、いかんな。

 こんなことを考えちゃ、いけない。

 悪いことが起きませんようにと願う気持ちは、みんな、同じなのだ。

 私はあのとき、たまたま行動できただけの話で、なにもできずに震えて縮こまっていた可能性だって、大きかったのだから。

 こうして、可愛い野良犬を殴り殺してから、ずっと最悪な精神状態を引きずったまま、希春の祭事は終わった。

 その翌朝。


「塀貴妃に件(くだん)の紅玉、確かにお渡しいたしましたぞ。ことのほか喜んでおられました。麗侍女の名は出さぬままにしておきましたが、おおよそのことは、勘付いておられるでしょう」

 

 銀月(ぎんげつ)さんからそう報告を受けて、やっと私の精神はなんとか、明るく復調した。

 くよくようじうじしてる場合じゃねえんだ。

 私は、やるべきことをやらないと。


「ありがとうございます。他になにかおっしゃってましたか?」

「環貴人の安否を、気遣っておられましたな。できることならば戻って来て欲しいのに、と」

「まァ、誰でもそう思いますよね」


 玉楊さんが後宮に戻らない理由は、大きく二つある。

 一つは、戻ったら実家が行っている後ろ暗い商売のことを、正妃さまたちに尋問されるからだ。

 朝廷と環家は今、緊張状態にあるからね。

 そしてもう一つは、玉楊さんと皇帝陛下の、個人的な関係が原因である。

 詳しく理由は聞いてはいないけれど、皇帝陛下は玉楊さんを遠ざけていたのだ。

 そうすると赤ちゃんを作るチャンスがないわけで、後宮にいる意味がないということでもある。

 私はふと、頭に湧いた疑問を銀月さんにぶつけた。


「空席になってる東苑(とうえん)統括の貴妃って、後釜は決まってるんですかね」


 いつまでも、いないままと言うわけにはいくまい。

 誰か他の宮妃が昇格するなり、外から新しい人を迎えるなりして、しっかりしたお妃さんを東苑の監督者として迎えなければ。


「おや、麗侍女はご存じない?」


 意外そうな顔で言われた。


「まったく知りません。誰か候補がいるんですか?」


 銀月さんが出した名前は、私のまったく予想していない、しかし身近な、あの人のものだった。


「それこそ、麗侍女がお仕えなさっている、漣美人さまにございまする」

「嘘だぁ」


 宦官ジョークかよ、タチ悪いぞ銀月さん。


「なにをおっしゃる。主上のご寵愛篤く、後宮への多大な貢献から宮妃、百官にも深く信頼されておりまする。他に適任はいらっしゃらぬでしょう」


 カリスマの翠さま。

 社交的な玉楊さん。

 生真面目で誠実な塀殿下。

 彼女たちが統括の座に収まるのは、わかるけどさ。


「いや漣さまに貴妃のお役目は無理でしょ」


 素で答えちゃって、慌てて周囲を確認する私。

 誰も聞いてねえだろうな?

 え、漣さまって、そんなに偉いの!?


「実務は侍女や女官の方々、我々宦官が担いますれば、なにも支障はないかと。重要なのは、信頼されているかどうかということにございます」

「ハァー、そういうものですかあ」


 にわかに信じられないけれど、やんごとなき方々の理屈では、そうなるのだな。

 私が混乱しながらも納得しようと努めていると、銀月さんが顔を寄せて、内緒話として、教えてくれた。


「しかし、漣さまの貴人昇格に異を唱えておられるのが、同じく南苑の塀紅猫貴妃でもあるのです。ご自身の管轄から、手放したくないと思われておるのでしょう」

「仲良いですもんね」


 あれだけべったりなら、離れたくないのもわかる。

 でも塀貴妃も友人なら尚更、漣さまの昇格栄達を喜んであげればいいのに。

 南苑を仕切るお二人の関係も、余人が安易に察しにくい、複雑なものが絡まっているのだなあ。

 私は人の心の難しさを考えながら、後宮を出て東庁(とうちょう)へ向かう。

 中書堂再建と、痛んだ本の復元作業の相談を、司礼総太監の馬蝋さんと交わすためだった。


「雨になるかな」


 犬の骨を焼いた占いの結果とは、関係ないだろうけれど。

 分厚い雲の下で湿った強い風が、河旭城(かきょくじょう)の中を、不気味に横切っていた。

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