百二十話 狗の骨
銀月(ぎんげつ)さんと一緒に買い物で訪れた城外の市場。
そこで、偶然に椿珠(ちんじゅ)さんと再会した。
しかしめでたいばかりの話ではなく。
「翔霏(しょうひ)が捕まったってどういうこっちゃねん。あんたが一緒にいてなにやってんの!?」
「そんなにいきり立つな。まず話を聞け」
ガルガルしている私を宥め、椿珠さんが説明を続ける。
「俺たちは蹄州(ていしゅう)の大海寺(だいかいじ)に着いてすぐ、大僧にことのあらましを相談した。呪いに使われていた鎖符(さふ)を見せたら、確かに沸教(ふっきょう)の様式も混ざっていると教えてくれたよ」
「沸の力も借りた呪術とは……そんなもので翠(すい)さまが縛られておられるとは、まことに忌まわしきことにございます」
銀月さんの心痛に私も同意しかない。
「俺たちの話を聞いて大僧は、腕のいい法力僧を司午(しご)本家に派遣してくれると約束した。ここまでは万事順調だったんだが」
「そうだよ、なんでその流れで翔霏がどうこうされないといけないの」
早く大事な部分を教えろ、と私は落ち着かずに地面を細かく足で踏む。
ぽんぽん、と私を落ち着かせるように肩を優しく叩き、椿珠さんは言った。
「大僧の話では、紺さんも、とんでもない力で呪われているらしいってことだ。おそらくは青牙部(せいがぶ)の兵たちを殺しまくっていたから、そのうち何人かから『自分を殺した相手に向かう呪い』を受けたのでは、ってな見立てだ」
「え」
翠さまだけではなく、翔霏も!?
でも、でも、と私は信じられない気持ちで言う。
「翔霏はぜんぜん、なんともなってないじゃん。調子が悪そうでもなかったし、いつも通りに元気だったよ。私と別れた後になにか異変があったの?」
「紺さんにかけられた呪いは、徐々に体が弱るような代物ではないらしい。しかしこのままほったらかしにすると、ある日突然、予告もなく悪いことが起こるような類のものなんだとさ」
「なにそれ霊感商法じゃない? 椿珠さん、ひょっとして変な壺とかも売りつけられてないでしょうね。お金持ってそうだから、足もと見られてるんだよ」
生臭坊主どもめ、人の弱みに付け込んで、毟れるだけ毟り取ろうとしているのではなかろうな。
私が主張するのに椿珠さんは少しムッとした顔で答える。
「この俺が山奥の坊主ごときに、金に関わる話で騙されるわけがないだろ。もちろん、謝礼としていくらか布施を包むことにはなるが、それも常識的な額だ。貴妃殿下と紺さんの分もひっくるめて、連中が嘘を言ってる様子はない」
「え~? ほんとにござるかぁ~?」
いくら豪商の生まれ育ちとは言え、放蕩息子の勘をどれだけ信じていいものやら。
冷ややかな視線を浮かべる私を諭すように、銀月さんが椿珠さんを擁護する。
「霊験で広く知られ、尊崇される大海寺にございます。つまらぬ詐欺まがいのことはいたさぬでしょう。しかしご友人まで呪いを被るとは、心配でありますな」
本当だよ。
ただでさえまだまだ分からないことが多いのに、翔霏まで動きを封じられてしまった。
懊悩する私を優しく見つめ、椿珠さんが話す。
「寺で呪いを解いてもらうために、少なくとも月が一巡するくらいの日数はかかるそうだ。大事なときに力になれずに済まないと、紺さんは申し訳なさそうに言っていたぜ」
「うー、仕方ないのかなあ」
翔霏になにかあってはいけないので、早いうちに呪いとやらは解いてもらう必要がある。
しかし覇聖鳳(はせお)の野郎、子分まで厄介な呪い持ちかよ。
死人は死人らしく地獄で大人しくしてて欲しい、マジで。
私も死んだ際にはどうせ同じく地獄行きだろうけれど、やつらと仲良くすることはできそうにないな。
そのときは地獄中を巻き込んで、もう一戦、ブチ上げるかぁン?
「そう悲観するな。なあ、これを覚えてるか?」
努めて明るく言い、椿珠さんが懐から一つの小さな石を取り出した。
透明真紅の色輝きを放つその小石。
もちろん、覚えているよ。
「玉楊さんが毛州の砦に置いて行った、紅玉ですね」
要するに宝石、その中でも価値が非常に高い、ルビーである。
覇聖鳳に玉楊さんが連れ去られる際に、昂国(こうこく)へのメッセージとして置いて行った品だ。
「これは素晴らしい。一点の曇りもなく、見事に磨き上げられていますな。大きすぎぬところがまた、落ち着いた品格を感じられまする」
ルビー玉の美しさに、銀月さんも舌を巻く。
銀月さんは手工芸に長け審美眼が高い人なので、美術品や宝飾品の良し悪しにとても詳しいのだ。
後宮で大勢の妃を相手に、服飾や手芸の相談を長く受け続けていただけはある。
私はそのへんの素養、完全に抜け落ちていますのでね。
そんな素晴らしく価値の高いルビーを私の手に握らせて、椿珠さんが策を述べる。
「後宮南苑を統括する貴妃さま、塀(へい)殿下が、赤色の宝物をこよなく愛しているってのはよく知られた話だ。紅猫(こうみょう)という名前からの縁だろう。この紅玉を使って、上手くお近づきになれないか?」
「塀貴妃に、ですか」
フム、と私は考える。
いずれにしても塀貴妃の周囲は探るつもりだったけれど、どのようにアプローチするかと言う問題が残っていた。
かつて東苑の貴妃であった玉楊さんゆかりの品を、今も後宮を守り続ける塀貴妃に受け継いでほしい、みたいな筋書は、確かに良いとっかかりかもしれない。
どうせ私が環家(かんけ)と繋がっていることは公然の事実となっているわけだし、このルビーを橋渡しする役回りを担っても、誰に不審に思われることもないだろう。
「もしも拙の介添えが必要であれば、その際は遠慮なく」
銀月さんも私の隣でそう言ってくれた。
不自然ではない受け渡しの細部はもう少し詰める必要があるとして、基本方針としては、悪くないぞ。
「じゃあお言葉に甘えて、有効に使わせていただきます。翔霏の様子も逐一知らせてね」
ルビーを懐に仕舞い、私は椿珠さんと別れる。
ひとまずはなるべく早く、朱蜂宮(しゅほうきゅう)に戻ることにした。
あまり働くことのない麗央那センサーが、珍しく告げている。
「夕方のお祈りに十分間に合うように帰らないと、怒られるだけじゃ済まない気がするんですよね」
「その心がけに、間違いはないでしょうな」
銀月さんも同意してくれた。
漣(れん)さまのお部屋で、あれだけ大事に行われている毎日の拝礼儀式。
サボったり遅れたりしたらどうなるんだろうか?
と、思わないこともないのだけれど、それを試すほどの勇気と無謀を私は持ち合わせていない。
魔王のような男を殺しに地の果てに行く決断はできたのに、ふにゃふにゃした姉ちゃんが中庭でお辞儀を繰り返す様子を、軽く扱うのが怖いだなんて。
人間の心は、不思議な作りをしておるな。
夜中のトイレに起きて歩く数メートルはたまらなく億劫でも、飛行機に乗って沖縄や北海道に行く千キロメートルの旅は楽しい、みたいなものだろうか。
おそらく違う。
「麗、ただ今戻りました」
おつかいの品物を抱えて、部屋の入り口で四拝する。
「ご苦労さまです。なにか不都合はありましたか?」
出迎えてくれた孤氷(こひょう)さんが私に礼を返し、買い物の仔細を訊いた。
「銀月太監に大いにお世話になり、万事恙なく用向きを終えることができました」
「それは結構。あとで私からも礼を言っておかねばなりませんね」
相変わらずスマートに言って、孤氷さんは買い物で得た物品をチェックする。
途中、顔をしかめて、言った。
「この犬の骨は、太腿ですね」
「おそらく、そう、ですかね」
いわゆる「骨!」って感じの太さ大きさ、形のものを買って来たのだけれど。
ん、なにかマズったかな。
「肩甲骨が欲しかったのですけれど」
「え、あ、ご、ごめんなさいっ! そうとは知らずに」
どんな儀式に使うのかはわからないけれど、太腿の骨ではいかんらしい。
恒教(こうきょう)にそんなこと、書いてあったかな~?
思い当たらないので、広く世の書面に残るような儀式ではないのだろう。
漣さまの地元である、尾州(びしゅう)独特のしきたりかなにかか?
「いえ、詳しく書かなかった私の落ち度です。しかし、困りましたね。もう今日はお祈りの時間ですし、その後では市場も閉まっていますし」
フムー、と顎に指を当てて考える孤氷さん。
私もどうしたものかオロオロするしかない。
「さ、みんな、やるでー」
考えている間に、お祈りの時間が来てしまった。
珍しくちょっとテンション高めの漣さまを中心に、私たちはいつもと変わらず準備に動き回る。
「はぁー、あー、ぉうっ、うあーん」
いつもよりちょっと元気な声を太陽に捧げて、漣さまは夕刻の祈りを完遂した。
なんか、微妙にエロいな。
ほぼ喘ぎ声である。
「ふう、今日はなんや、ええお勤めができた気がするわあ」
清々しく額の汗を輝かせながら、漣さまはいつにもまして食欲旺盛に、夕ご飯をモリモリと平らげた。
片付けをして、漣さまが寝入った、その夜。
「野良犬を、捕まえに行きますよ」
「えぇ~」
孤氷さんが短刀を携え、私に物品庫から持って来た棍棒を預けて。
肩甲骨を手に入れるため、野良犬を殺すと、宣言したのだ。
「城外市場の近辺には、たくさんいます。難なく捕まえられるでしょう」
「で、でも、怪我とかしますよ」
訓練された犬には、人間は勝てないのだぞ!
「それほど大きい犬は狙いません。明日の儀に、骨がないでは済まされないのです」
うえええ、と半べそかきながら、私は孤氷さんに付き従い、夜の市場に出た。
言われてみれば確かに、そこらじゅう、野良犬の気配や鳴き声が満ちているな。
「大事なことを聞き忘れていました」
中小型の犬が二匹、路地裏で身を寄せ合っているところに狙いをつけて。
孤氷さんが改めて、私に訊ねた。
「な、なんでしょうか」
「あなた、戌(じゅつ)の氏族ではありませんよね? それなら犬を仕留めさせるわけにはいきませんので」
古い神話と伝説が教える、八つの氏族に対応する動物の祖先神。
私が「戌(いぬ)」の末裔なら、この手で犬を殺すのはタブー中のタブーである。
ここで「実はそうなんです」と言えば、哀れなか弱い野良犬を、私は殺さずに済むのだろう。
けれど、結局は汚れ仕事のすべてを孤氷さんが担うだけで、犬は結局、死ぬのだ。
私がこの手で殺さなかったとしても、犬は他の誰かによって殺されて、儀式に使われることに、変わりはないのだ。
知っていて知らぬふりをする卑怯者には、なれない。
「ぜ、全然、そんなことはありません。むしろこの間も、デカくて凶暴な手負いの犬を、始末したばっかりでして」
「そうですか。それは頼もしい。では行きますよ」
孤氷さんが犬に近づく。
一匹は私たちの殺気に気付いたのか、すぐに逃げてしまった。
「グウゥゥゥゥ……?」
残ったもう一匹は、警戒しながらもその場に留まっている。
「よーしよし、よしよし」
孤氷さんが犬を安心させるように、優しい声で呼びかけて、掌にある干し肉の欠片を差し出す。
「クゥン。ハフ、ハフハフッ」
犬は嬉しそうにおやつに在りついて、私たちの眼前に無防備な頸椎を晒す。
「今です」
静かに言った孤氷さんに合わせて。
できらぁ! と自分自身に言い聞かせた。
私は涙と怖気の虫を必死でこらえながら、棍棒の一撃を、思いっきり、犬の頭上に振り下ろした。
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