百十九話 市場へ行こう

 四日目。

 翠(すい)さまが倒れてからの日付をカウントするなら、十五日くらい、過ぎたことになるだろうか。

 呪いのことや翠さまのお体に関する医学的生理的なことは、私は専門家ではないのでわかろうはずもない。

 だから今は、後宮に私を放り込んだモヤシ軍師の姜(きょう)さんを信じて、侍女の立場なりに調べられることを調べ尽くすしかないのだ。


「麗、市場までおつかいに行ってほしいのですが」


 先輩の孤氷(こひょう)さんに命じられ、メモを渡される。

 欲しいものリストが小さい字で書き連ねてある。

 たしかに後宮の物品庫だけでは用意できないものばかりだな。

 出入りの商人に任せないということは、今すぐ、近いうちに必要なんだろう。


「わかりました。えーと、支払いとかって、どうするんでしょう」


 偉い人たちの買い物は、基本的にツケ払いであり、現金をその場でいちいちやりとりしない。

 まとまった額のおつかいものを私は経験したことがないので、勝手がわからないのだ。

 特に後宮の買い物は「妃個人の出費」なのか「皇族、公務としての出費」なのかで、カネの出所が違う。

 妃が好きでショッピングしているものの大半は、妃の実家から予算が出ることになっているからね。


「話の分かる宦官に、一緒に行ってもらいなさい」

「かしこまりました」


 分からないことがあれば、詳しい人に教えてもらうのが一番。

 銀月(ぎんげつ)さんにお願いしてみるとするかな。

 歩きながらでも、一緒に話したいことがあるし。

 私はちょうど、南門付近で宦官仲間と立ち話をしていた銀月さんを捕まえる。


「ほほっ、麗侍女に頼られるのは、拙も嬉しゅうございます。除葛(じょかつ)美人の使いとあれば、気も引き締まろうというもの」


 にこやかに快諾され、二人仲良くお買い物へ。

 お城を出てすぐ東に広がる「銀府(ぎんぷ)」と呼ばれる公設市場の中で、だいたいの物品は揃えられそうだ。

 歩きながら、声を潜めて銀月さんが言う。


「……翠(すい)さまの様子がお変わりになられたのは、聞くところによれば呪いのたぐいであるとのこと」

「そうなんです。どうして翠さまが狙われたのか、首謀者はだれなのか、まだわからないことばかりで」


 笑顔を装いながらも、私たちは剣呑な会話を交わす。

 皇城内外の噂話に詳しい銀月さんであれば、なにかしら重要な情報にリーチする手がかりがあるかもしれない。

 急げ、しかし焦るな、麗央那。


「位の高いお方は必然的に、敵も多いものでございます。しかし、今の司午家(しごけ)や翠さまから、わざわざ恨みを買おうと大それたことをする輩がいるとは……」


 銀月さんは低い声で唸る。

 翠さまに呪いをかけて貶めようとすること自体が、非常にリスクの高いことだと言っているのだな。

 なにせお腹の中にいるのは、皇帝陛下のお子さまなわけだ。

 その赤子になにかあったら、皇帝陛下まで怒らせる可能性があるからね。

 司午家に恨まれ、皇帝を怒らせて。

 そんなことをしたやつは、この昂国(こうこく)のどこにいても、枕を高くして眠ることはできないだろう。


「確か、鎖符(さふ)っていう、戒めの禁術が使われていたみたいです。亥族(がいぞく)に生まれた翠さまには、覿面(てきめん)に効いちゃったみたいで」

「まことにござるか。よ、よもや鎖符とは……」


 震えた声色で銀月さんは、恐る恐るという感じで言った。


「なにか、気になることが?」

「むう、拙の口から申して良いものかどうか……いや、しかしあの秋の日、後宮を守るためにまさに命と体を投げ打った麗侍女であれば……」


 決心して、銀月さんは私の耳元に口を寄せ、小さくも力強い声で教えてくれた。


「南苑(なんえん)統括、塀家(へいけ)ご出身の紅猫(こうみょう)貴妃さまは、先祖代々からの、強い禁の術を受け継いでおります」

「塀、貴妃殿下、ですか」


 名前だけはもちろん、私も知っている。

 直接の面識はまだないけれど、南苑を総監督する立場の貴人であれば、いずれなにかの用事で顔を見る機会もあるだろう。

 塀という姓に少し気になることはあるけれど、なんだっけな。

 銀月さんが詳しい説明を続けてくれる。


「特に塀貴妃の鎖術は、街の法師など裸足で汗かき逃げ出すほどの代物。なればこそ、朱蜂宮(しゅほうきゅう)の正門に繋がる南苑を、堅くお守りされる立場にあるのです」


 私のダチである軽螢(けいけい)が得意としているような、相手の動きを戒める呪術。

 そのスペシャリストが、南苑統括の塀貴妃殿下であるようだ。

 紅の猫、という名前は可愛らしいのにねえ。

 後宮には色んなお妃さまがいるもんだのう。


「じゃあ、自分より先に陛下のお子さまを授かった翠さまに塀貴妃が嫉妬して、手下を遣わして呪いをかけた可能性がある、ってことですか?」

「せ、拙はそこまで畏れ多いことを申しているわけではございませぬ。しかし、まったく関わりがないとも言い切れぬのでは、と……」


 渋面する銀月さん。

 その可能性を考慮するのが恐ろしいと言わんばかりに、言葉を曖昧に濁す。

 禁術、呪いのエキスパートでありつつ、翠さまと同格の貴妃殿下。

 確かに無関係であろうと思うには無理がある。


「それとなく、探ってみた方が良さそうですね」

「く、くれぐれも早まったことはなさらぬよう……」


 銀月さんに釘を刺される。

 早まったことをすることにかけて、私は定評すらある立場だからな。

 神台邑(じんだいむら)の生き残りは総じて、良くも悪くも活動的なのであります。


「とりあえずは、買い物を済ませちゃわないと。えーと、麻の葉を一抱えに、新品の四角い皿、あとは犬の骨とな。なにに使うんじゃい」

「そう言った細々とした品であれば、もう少しだけ市場の奥に行けば揃いますぞ」


 私は銀月さんの案内と協力の下、買い物を順調にこなしていく。

 肉屋さんには普通に犬の身も並んでいたので、骨はそこで肉をきれいに掃除したものが買えた。

 いつか、地べたで夜明かしをした芝居小屋の前を通りがかり、懐かしい気持ちになる。

 私が背負う籠に集まった品々を見て、銀月さんが教えてくれた。


「春の訪れを祈念祝福する儀でありましょうか。犬の骨を使うというのは、鬼払いの意味もあるやもしれませぬ」

「ああ、季節のお祈りに使う道具なんですね」


 節分に撒く豆や、イワシの骨に相応するアイテムを今、私は買い集めているわけか。

 漣さまは日々の祈りだけではなく、季節の代わりを感謝し、無病息災、悪霊退散を祈ることもあるのだな。

 一部の道具を前もって準備せず、直前になって買い揃えるということは、なるべく新しいものを使うことに意味があるのかもしれない。

 なんだっけ、マザーグースにもあったよね。

 古いもの、新しいもの、借りたもの、青いもの、そして6ペンス銀貨。

 私もいつか、幸せな花嫁になりたいワよ。

 これらのアイテムがなにを意味するのか、正直言って分からないけれど、長い伝統と経験の中から生まれた習慣には、なにかしらの合理性があるはずだ。


「少し、お行儀悪をしてから帰りましょうぞ」


 必要な買い物を終えた私に、銀月さんが焼き豆腐をご馳走してくれた。

 わあい買い食い。

 麗央那、買い食い大好き。

 甘じょっぱいタレが最高~、とほっぺたを落としそうになっていると。


「ありゃ、お前さんも市場に来てたのか。そのナリだと使いっ走りか」


 不似合いに立派なほどの口髭をたくわえた優男に、声を掛けられた。

 こんな髭の持ち主は、私の知り合いにはおりませんなあ。


「人違いではないでしょうか。先を急ぎますので、これで」


 腑抜けたツラのナンパ男は避くべし、北原家の家訓である。

 

「いやいや待て待て、俺だよ俺」

「こういう手合いの寸借詐欺が、市中で横行していると聞きますぞ。麗侍女も気を付けられよ」


 食い下がる男から、私をガードするように立ちはだかり、銀月さんが言う。

 いつの世もどこに行っても、その手のろくでなしはいるものだなあ。

 すげなく対応されて困った男は、仕方がない、とばかりに口髭をぺりっと外した。

 付け髭だったのかよ。

 ない方が全然いい、と言うか。


「なんだ、椿珠(ちんじゅ)さんじゃないですか。先に言ってくださいよ」

「しぃっ! 声が大きいっつうんだよ。俺たちゃ、追われてる身だぞ」


 環家の三弟(さんてい)こと、玉楊(ぎょくよう)さんの腹違いの兄弟、椿珠さんだ。

 人目に付かない路地裏に移動して、私は椿珠さんに銀月さんを紹介する。


「こちら、巌力(がんりき)さんの先輩で、翠さまにも玉楊さんにも頼りにされていた、銀月太監です」

「い、いえいえ、拙などただ勤めが長いだけの、小者でありますれば……」


 持ち上げられて恥かしそうに手を振り。

 銀月さんは、まじまじと椿珠さんの顔を見つめた。


「しかし、いやはや、環貴人に生き写しでございまするなあ」


 後宮からいなくなってしまった玉楊さんを思い出したのか、銀月さんは目尻を濡らしたものをぬぐう。

 その顔に滲む誠実さをすぐに理解したのか、椿珠さんは銀月さんの手を優しく握り、慈しみを込めて言った。


「宮中では、宦官の皆さんにずいぶん良くしていただいたと玉楊も言っていた。巌力の先輩と言うなら、俺にとっても兄貴、伯父貴のようなもんだ。ここにいない二人の分も、俺から礼を言うよ。銀月兄と呼ばせてくれ」

「せ、拙のような賤しい身のものに、そんなことをおっしゃってはなりませぬ」


 と、若いお兄さんとオッサンに感動の出会いをたっぷりと味あわせて、気が済むまでイチャイチャさせたのち。

 私は一つ、気になることを椿珠さんに訊く。


「翔霏は? 一緒じゃないの?」

「それがなあ、大海寺(だいかいじ)のやつらに、捕まっちまってな」


 は?

 余計なトラブルを、増やさないで貰えますかね、きみたちィ!!

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