百十五話 果たして麒麟児なるか

 除葛(じょかつ)漣(れん)美人の部屋に勤めに来て、二日目。

 朝のお祈りと、軽い朝食が終わった頃。


「お言葉に甘えて、中書堂の方に行ってきます」


 私は段取りされた通りに、漣(れん)美人の部屋のお仕事を、いっときだけ抜けさせてもらう。


「はい。向こうでもしっかりおやんなさい」


 部屋付き侍女の人手は基本的に足りているようで、先輩の孤氷(こひょう)さんも快く私を送り出してくれた。

 私が勤めている後宮の南苑は、外に出入りする正門に近いので、中書堂にも楽に行けるのがありがたい。


「おお、みんな頑張ってるなあ」


 焼かれた中書堂は、一度すっかりすべて壊してしまい、同じ場所に新しく建て直すようだ。

 基礎となるぶっとい柱が、何本も打ち終わっている。

 あとは一階から順に、壁と床を組み付けたり、梁(はり)を渡して行くのだろう。

 と、興味深くモノづくりのビフォーアフター現場を眺めていると。


「おーいダメだダメだ! その横木、少し斜めッてるぞ! もう少しだけ南側を持ち上げろぉ!!」


 どこかで聞き覚えのある声が、元気よく響いた。


「軽螢(けいけい)、あんたなにやってんの、こんなとこで」


 我らが愛しの地、翼州(よくしゅう)神台邑(じんだいむら)の暫定長老、軽螢であった。

 壁張りや梁渡しの作業を、工事夫に混ざって手伝っているようだ。

 体ではなく、口を動かしてるだけなのが、実に彼らしい。


「麗央那(れおな)じゃん。仕事が嫌になってもう逃げて来たんか」


 オメーに言われたく、ねえ!!


「あ、央那さん、お疲れさまです。工事のみなさんに差し入れをと思って来たんですが。成り行きで手伝うことになってしまって」


 司午家(しごけ)の跡取り息子、想雲(そううん)くんまでいる。

 壁板を運んでいる若者たちに混ざって、肉体労働に汗を流していた。


「おお、麗央那だ。本当に生きてた」

「青牙部(せいがぶ)の親玉をぶっ殺したってホント!? 軽螢の話は、どうも信用ならねーんだよな」

「ヤギが戌族(じゅつぞく)の名馬に勝ったとか言ってるんだぜ」


 チラホラと見知った顔がいるのは、翼州や角州(かくしゅう)から流れてきた子たちだね。

 蒼天の下、働く男の顔に輝く汗の筋。

 うんうん、まことに素晴らしいですな。

 軽螢も見習ってほしいものである。


「邑の石碑、本当にみんな、ありがとうねえ。翔霏(しょうひ)もすごく喜んでたよ」

「へへっ、あれくらい、いいってことよ」

「会堂にあった箱の鎖、開けたん?」


 神台邑の慰霊碑のお礼を言い、世間話を少しする。

 そして私は、自分の置かれている状況をみんなに説明した。


「中書堂が新しくなった後に、どこにどんな本を収めて並べるかの相談を、偉い人としなくちゃならなくてさ。お役人さんの中で偉そうな人って誰だろ?」

「そ、それなら僕が、案内しますッ。確か監督役どのがいたはずです」


 想雲くんが気張ってそう言うので、私は後を付いて行くことにした。

 途中で、元、少年義兵団の一員である男の子が、自分の手を寒そうに、あるいは痛そうに抱えている光景を目にする。


「どうしたんだい? 身体でも冷えたのかな」

 

 想雲くんはすぐさまその子に駆け寄って、様子を窺った。

 男の子は、いやいやなんでもない、と言うようにかぶりを振って答えた。


「指がさ、ちょっくらあか切れしただけだよ。寒いし空気も乾いてるから、仕方ねえや」


 見れば確かに、指先の皮膚が痛々しく割れて、赤い身が覗いていた。

 乾燥肌、冬はしんどいよねえ、わかる。


「僕の手袋をあげるよ。傷口には油を塗っておくといい」


 迷いもなく言って想雲くんは自分の手袋を脱ぎ、髪に撫でつけている油の小瓶とともに渡した。


「え? い、いや、こんな大層なもん、もらえねえって! いくらするんだよ!?」

「いいから、いいから。風邪引かないようにね」

「う、あ、ありがとう、ございます……」


 恐縮している男の子に物品を押し付け、再び私を先導するようにさっさと歩みを再開する想雲くん。


「中書堂の再建工事は、司礼(しれい)総太鑑(そうたいかん)の馬蝋(ばろう)さまが、取り仕切っているようです」

「あ、ああ、そう」


 こだわりなく言って前を進む、想雲くん。

 私はこのワンシーンを傍観しただけで。

 なんだか体が熱くなり、ドキッとしてしまった。

 柔弱に見えて、やっぱり、玄霧さんの息子だなあ。

 人の面倒を見ることが、他人のために力を尽くすことが、根っこから染み付いているのだ。

 彼は決して、周囲に人の目があるから、弱者に優しくしたわけではない。

 そんな作為や嫌らしい意図がどこにも見えないくらいに、自然に、それが当り前のことであると振る舞ったのだ。

 その証拠に彼は、手袋を失った自分の指を温めるため、はぁと息を吹きかけているのだから。


「私も結婚したら、こんな子どもが欲しぃ」

「は? なにか言いましたか?」

「なんでもないよぉーう」


 うん、これは決して、恋ではないはずだ。

 親戚の男の子が、しばらく見ないうちに立派な青年に育ったのを見ている感覚、と言えようか。

 そして私は、別方向の心配をあえて頭に浮かべることで、胸の高鳴りを抑えにかかる。

 他人のために心と体を、惜しみなく使えるということは。

 想雲くんが成長して偉くなったとき、彼のために平気で死ねる人間が、大量に出てしまうということでもある。

 青牙部の覇聖鳳(はせお)と仲間たちが、そうであったように。

 覇聖鳳のために戦い、覇聖鳳のために死ぬことになんの迷いも持っていなかった彼ら。

 その勇姿と苛烈な情を思い出すたび、私は戦慄と感動の入り混じった不思議な感覚に襲われ、今でも身震いすることがあるのだ。

 想雲くんから手袋をもらった少年は、きっと生涯、この日の恩を忘れないだろう。

 平和な時代、土地に在れば、その絆と思い出は美しいまま、イイ話だねえ、あんなこともあったなあ、で終わる。

 しかし、もし想雲くんが将軍となり、あの男の子が兵士となって、命を懸けるべき場面が訪れたら。

 手袋を貰った少年は迷いもなく、想雲くんのために、笑顔で死んでいくに違いない。

 仲間のために死ねる人間は、同時に仲間を死地に追いやる人間でもあるのだ。

 

「これも司午家の血かねえ」


 私は一人思い、想雲くんのまだ細い肩を眺める。

 その血脈に宿る熱量が、司午家を名門として栄達させた一番の要因であるのは、間違いない。

 彼らの優しさ、他人や社会のために自らの身を捧げることも厭わない美点は、同時に彼らが持つ最も恐ろしい部分でもあるのだ。


「央那さんも、寒くありませんか? 僕は平気ですので、上着を」

「大丈夫だよ。私は繊細に見えて、意外と図太いから」


 想雲くんの優しさを、ついつい拒否してしまった。


「さすがは、北方を旅して帰られた方は違いますね」


 私の生まれ育った埼玉は夏の暑さだけでなく、内陸なので冬の底冷えも厳しいのだよ!

 って、話の中で重大な情報をスルーしてたな。

 工事の責任者は、先日に会った宦官の一番偉い人、馬蝋さんだと言う。

 なら、話しやすい人だし、良かったよ。

 想雲くんが案内してくれた先に、果たしてその馬蝋さんはいてくれた。

 しかし、それよりも。


「あ、ああ、麗侍女……! 麗侍女ではございませぬか……!」


 私に駆け寄る、別の初老の宦官。


「銀月(ぎんげつ)さ~~ん! 麗です~~! 戻りました~~!!」


 ちょっと頼りないけれど癒し系おじさんの太監(たいかん)、銀月さんだ。

 場蝋さんとなにかお話をしている最中だった。

 私たちは手に手を取り合い、お互いに涙ぐんで再会を喜び合う。


「おお、また生きて会えるとは、拙は、拙は嬉しゅうございまするぞ」

「私も本当に嬉しいですぅ。お元気でしたか?」


 馬蝋さんと想雲くんが気不味く見守る中、私は銀月さんと旧交を温めあう。

 私にだけ聞こえる小さな声で、銀月さんが尋ねた。


「……して、ご実家に戻られた翠貴妃さまになにか、お変わりがあられたとか」

「今は詳しく言えないんですけど、そのうち、ゆっくり」


 こしょこしょ声で私も返す。

 情報通の銀月さんは、翠さまが倒れたことをすでに知っているようだ。

 銀月さんの人脈の主体は皇都にいる武官たちであるので、武家である司午家の事情にも通じているのかもね。

 信頼できる人なので、銀月さんも作戦の仲間に引き入れるとしましょう。

 私は改めて馬蝋さんに向き合い、建前としての来訪の理由を告げる。


「中書堂の再建にあたり、微力でもなにかできることをやってみろと、除葛(じょかつ)軍師、いえ尾州宰(びしゅうさい)に申し付けられまして」

「おお、それはありがたい。燃える前の中書堂を詳しく知る方のお知恵は、いくらあっても良いものです」


 福助のような笑顔で言った馬蝋さんは、私を宮殿横にある、上級宦官たちが詰める建物へと案内した。


「では、僕は軽螢さんと一緒に、別邸に戻ります。央那さんも、頑張ってください」

「ありがとう想雲くん。お邸(やしき)のみなさんによろしく」


 行儀よくお礼して去って行った想雲くん。

 その姿を見て、銀月さんが呟いた。


「若き日の翠さまに、面影がよく似ておられます。人の上に立たれる相でございますな」

「ですか。いや、翠さまは今でもまだ十分、若いですけど」

「ほっほ、そうでありますな。これは失言をば」


 いたずらっぽく笑い合う、私と銀月さん。

 できれば想雲くんには、文官になって欲しいものだな。

 私は不敬にも、そう思うのであった。

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