百十二話 再び、皇都に入る
皇都の河旭城(かきょくじょう)を目前にした、大きな分かれ道。
「私たちはここから南に行って蹄州(ていしゅう)に入る。麗央那(れおな)も気を付けてな」
翔霏(しょうひ)はそう言って、私の身体を軽く抱いた。
むぎゅぅ、と私も幸せ気分でハグを返す。
「なにかあってもすぐに駆けつけられる距離だ。俺たちからもマメに連絡を出すよ」
同じく南へ向かう椿珠(ちんじゅ)さんが、笑顔で言って手を振る。
翔霏と椿珠さんのひとまずの目的地は蹄州にある、大海寺(だいかいじ)というお寺。
呪術や加持祈祷全般に強いお寺なので、翠(すい)さまの呪いを解く手がかりがあるかもしれないのだ。
皇都から南に見える大きな山、高山(こうざん)の向こう側にあるお寺なので、確かに大きく離れてはいない。
「うん、なにかわかったら、すぐに知らせてね」
「お土産に美味いモンよろしく」
私と軽螢(けいけい)も手を振り、二人を見送る。
さあこちらも城壁が遠くに見えて来て、いよいよ皇都入りである、という状況で。
ごくり、と唾を飲んで筋肉を緊張させるのは、私たちに随行してくれた想雲くんである。
「じょ、城門で央那(おうな)さんは、衛兵に取り調べを受けるかもしれませんけど、だ、大丈夫です。問題ありません。司午家(しごけ)と除葛(じょかつ)軍師、その両方から推薦を受けて、国境外での罪に対しても温情を賜る余地が大いにあるのですから……」
大丈夫と口で言っておきながら、ひどく不安げに口を震わせていた。
口数が多くなるのも、自分自身を納得させ切れてないことの表れだろうか。
私たちが平気の平左で厄介ごとに飛び込むのに、自分がビビッているわけにはいかないという、武家の跡取りらしいプライドもあったのかな。
「ダメならダメで、そのときに考えよう。まさか命まで取られることはないよ。そんなに緊張しないで」
「べ、別に僕は、怖気づいてなどッ……!!」
気休めアドバイスのつもりだったけれど、藪蛇だったか。
想雲くんが私たちを相手に虚勢を張る意味も、それで得られる効果もないはずだけれど、難しい年頃なのかもしれない。
かく言う私だって、十五歳の頃はヤバめの夢遊病女でしかなかったのだし。
若者とのコミュニケーションは、難しいノウ。
「待て、止まれ。そこの女、身元を明かすものはあるか」
城門をくぐる、そのとき。
心配していた通りに、本来はいちいち通行人の身分を照会などしていないはずの門衛さんから、呼び止められる。
この期に及んで誤魔化しても仕方がないので、私は住民票的な身分書類を提示する。
いつだったか、玄霧さんに整えてもらった「麗(れい)央那(おうな)」という身分証、あれの写しである。
「ぬ、うう、うん?」
私の名前を別の書類と照らし合わせた門衛さんは、左右の手に持った紙を見比べて、首を振りながら唸った。
色々とややこしい立場であることは自覚しているので、特に驚きもない。
横では想雲くんが落ち着かない顔色を浮かべて、きょろきょろと私、門衛さん、軽螢とヤギ、自分の従者たちの顔色を窺っている。
「し、しばし、待たれよ。みなさま、控えの間に」
門衛さんがそう言って、私たちは丁重に城門の詰所のような一室に通された。
問答無用でブタ箱に放り込んでくれた玄霧(げんむ)の野郎とは、大きく対応が違うな。
名門である司午家の御曹司が同行しているのだから、末端の役人では乱暴な処置はできないだろう。
偉い人パワーに守られている状況は、気持ちの良いものである。
癖になると毒。
「城壁の中に部屋まであるンか。造ったやつはよっぽどゼニが余っててヒマだったんだろな」
「メェ」
軽螢が緊張感のないことを言い、備え付けのポットから遠慮なくお茶を注いで飲んだ。
河旭城は、城壁城門それ自体が戦略基地になっており、兵士たちの駐屯地も兼ねている。
城壁の内部には兵士たちの居室だけでなく、食料や武器の貯蔵庫も埋まっていた。
「は、話には聞いていましたが、これほどとは……」
その偉容、強固な構造に、想雲くんもすっかり感嘆していた。
途方もない労力と物資を費やして、城壁を作り、外敵から都市を護る。
決してそれが圧制や暴政、独裁者の自己保身から生まれたものではないであろうことを、私たちは知っている。
昂国(こうこく)に暮らす人々は、おおむね活き活きとしており、幸せそうに暮らしているのを、広く見ることができたからだ。
東京の大きな乗換駅の構内の方が、よほど目が死んでいる人の割合が多いよ。
「想雲くんは、将来は文官になりたいの? 武官になりたいの?」
待たされている間、私は世間話を持ち掛ける。
私が知る司午家の人たちは、基本的に気が強く性格がハッキリしているので「武」のイメージが強い。
だからと言って脳みそが筋肉でできているというわけでもなく、むしろ聡明でもある。
想雲くんだって、まだ大人の体に成熟しきっていないというだけの話で、私たちと共に河旭行きを言い出すあたり、自立心や冒険心の強い子ではあるのだろう。
「ぼ、僕は、父のように仲間に信頼され、慕われる将官になりたいと、思っています」
要するに武官志望なわけね。
姿勢を正して言った想雲くんの目には、翳(かげ)りがなかった。
周囲からの期待や圧力からそう答えたのではなく、本心なのだろう。
そこから重ねて、さらに詳しく想雲くんが語る。
「叔母上は、宮内から主上をお守りし、その御代(みよ)が安らかであらんと願い、務めています。僕は、いずれ皇城の近衛になって、主上や叔母上を護りたいのです」
皇帝の、親衛隊。
一般の警邏を務める都督(ととく)検使(けんし)ではなく、さらにその奥で皇帝陛下や正妃さまたちを護る近衛隊に、想雲くんは就きたいと思っているのだな。
叔母である翠さまを尊敬して慕っているなら、うってつけの道と言える。
「そりゃあ、よっぽど頑張らねえとなあ。剣を修めりゃ近衛長、筆を修めりゃ中書堂、って唄にもあるくらいだ」
軽螢が冷やかすように言った。
皇帝の近衛兵は、広く世間で憧れの対象になる職業らしい。
中書堂で学ぶことが、文官が出世する登竜門であることは、私も知っている。
近衛長の職を拝命するのはそれと同様に、難しく、名誉があるんだね。
部屋付き侍女の身でいっぱいいっぱいの私には、想像もつかん世界だな。
「お、央那さんから見て、僕は、そうなれるでしょうか?」
「いやあ、私は人を見る目がないから、分かんないな。あとで翔霏や椿珠さんに聞いてみなよ」
「そ、そうですか……」
少なくとも人物鑑定の見識なら、私よりその二人の方が格段に上である。
私はほら、信頼して尊敬していた恩師が、後宮に異民族の暴徒を引き入れて、大いに迷惑を撒き散らしたという前歴がありますのでね。
人を評価するというのは難しいのだと思い知った私は、あまりべらべらとその手のことを喋らないよう、気を付けることにしたのだ。
私たちが緩く話していると、門衛さんが来て、言った。
「れ、麗女史のみ、朝廷から、召喚を受けておられます。他の方は別の場所で、お待ちいただくしか……」
「やっぱな」
推薦状がいくらあったとしても、なにかしらの喚問は受けるだろうと予想はしていた。
私は諦めて呟き、軽螢と想雲くんに告げる。
「司午家の別邸で待っててよ。多分、話を聞かれるだけだと思うから。後宮襲撃のときとか、青牙部(せいがぶ)の奥宿に行ったときのことを」
「ま、しゃーねー。俺の武勇伝もちゃんと偉い人たちに言っておいてくれよな」
軽螢が納得してそう言った傍ら、想雲くんは混乱している。
「ぼ、僕たちは角州(かくしゅう)の司午本宗家から来たんだぞ! 央那さんに話があるというなら、僕たちも立ち合うのが道理のはずだ!! 角州右軍正使、司午玄霧を知らぬはずがあるまい!! ここには、尾州(びしゅう)宰相、除葛どのの文書もある!!」
「そ、そのように言われましても……お呼びがあるのは、麗女史のみでありますれば……」
怒鳴る想雲くんに、困っている門衛の武官さん。
え、玄霧さんって正使に昇格してたんだ。
知らんかったわ、めでたい。
そんなことは今はどうでもいいとして。
「ありがとう、大丈夫だよ、想雲くん。私に危害を加えて得をする人は、朝廷にはいないと思うし。むしろ私にちょっかいかけた方が、面倒臭い人たちが色々と暴れ出すかもしれないからね」
「と、得だの、面倒だのって……そんな話なのですか?」
一瞬、想雲くんの瞳に、怯えの色が混じった気がする。
ああ、あっけらかんとこんなことを言ってのける私を、なにか、化物のように感じてしまったのかな。
少しばかりの寂しさを胸に抱えて、それでも私は、無理に笑い、言った。
「取扱注意だから、私。うかつに触ればその相手が悶絶して死ぬだけ」
びくりと、想雲くんは肩を震わせ、黙った。
うーん、言葉のセレクトを、間違ったかな。
そして私は、一つの自己嫌悪を増やすことになる。
こうやってぴしゃりと言ったことで。
想雲くんがごちゃごちゃどうでもいい口上を並び立てることを、止めることができた。
そのことを、私自身が、喜んでしまったのだ。
彼の立場なり、気持ちなりに、言いたいこと、言っておかなければならないことが、沢山あったはずなのに。
「どうでもいいことで騒いでんじゃねーよ、この坊ちゃんは。こっちは大丈夫だって言ってんだろ」
なんて気持ちが、私の中に確かにあったのだと、自覚してしまった。
ハア、今夜は枕に頭を預けても、すんなりと寝付けないに違いないな。
小さな棘を心の中に感じながら、ゴトゴトと揺れる馬車で運ばれて行くのだった。
行き先は皇帝陛下や正妃さまたちが暮らす、朝廷の奥、正殿と呼ばれるお宮。
昂国の中心にして最奥、最も尊貴な、その空間。
私は車上で、低く小さい声で一人、歌う。
おなじみ、荷馬車で売られて運ばれる仔牛の歌だ。
売られていく仔牛よりは、私の方が抵抗したり屁理屈を述べたりする気力くらい、あるんだぞ。
そうやって、沈み気味だった自分の気持ちを上げるのだった。
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