毒炎の侍女、後宮に戻り見えざる敵と戦う ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第三部~

西川 旭

第十四章 新しい力、未だ知らぬ世界

百十一話 朱蜂宮南苑の美人、除葛漣とは

 突然ですけれど、私たちと共に苦しい戦いの旅を終えた、ヤギくんの話から始めましょう。

 彼は、今や廃墟となった故郷である神台邑(じんだいむら)に帰り、仲間のヤギたちと感動の再会を果たした。

 これまでお疲れさま、苦しいときも一緒に戦ってくれてありがとう、家族と一緒にゆっくりお休み。

 そう深い感謝の念を抱きつつ、私たちはヤギくんを置いて、隣の州にある翠(すい)さまのご実家、司午(しご)本家のお世話になったのだけれど。


「メエエエェ」

「うわぁ! どうやってここまで来たお前!?」


 突然ヤギくんが屋敷の前に現れて、普段はクールな翔霏(しょうひ)でさえ仰天した。

 腐れ縁と言うのは、切っても切れないものであるな。

 ヤギくんはそのまま司午屋敷に居ついて、玉楊(ぎょくよう)さんの盲導犬ならぬ盲動ヤギとして、お庭を散歩する相手をしてくれている。

 厩舎から馬のエサを盗んで食べたりしているので、馬と喧嘩していることもあるけれど。


「ブメエエェン!!」

「ヒヒンッ!?」


 たいていは気合いで勝っている。

 馬より強いヤギってなんだよ。

 修羅場を潜り抜けたことと、元々体がデカいことが合わさり、ヤギとは思えない威圧感があるんだよな。


「このヤギのせいで、僕の馬が驚いて臆病になっちゃった……」


 しょぼんと肩を落とす、彼を紹介しよう。

 屋敷に住むお坊ちゃんにして、玄霧(げんむ)さんの長男の、想雲(そううん)くんである。

 確か数えで十五歳、私より二つ年下の少年。

 玄霧さんに似て凹凸の少ないしょうゆ顔をした、生真面目な男の子だ。

 武人の家系に生まれた御曹司だけれど、これからの時代は文武両道でなければいかん、という玄霧さんの方針により、勉強がよくできる。

 その反面、押し出しに欠ける面があり。


「あんた前から思ってたけど司午家の男にしては気合いが足りないのよ。央那(おうな)の友だちに武術の達人がいるからちょっと鍛えてもらいなさい」

「え、うぅ、わ、わかりました、叔母上……」


 後宮の貴妃であるから、親族の中では一番偉い翠さま。

 そんな人から強く命じられてしまい、想雲くんは翔霏から集中強化特訓を受けることとあいなった。


「下手に逃げた方が、余計に傷付いて苦しむことになるんだぞ。今だってこれが真剣なら私の剣がきみの腕の筋を斬っていただろう」


 木剣の打ちこみを行う中で、翔霏が想雲くんにそう教える。


「で、でも、避けないと首や胴体を斬られてしまうじゃないですか……」

「相手が向かって来たなら、こっちはその倍の勢いで向かって行くくらいの気持ちでいいんだ。そうすれば先に切っ先が届くのはこっちだ。死体はそれ以上抵抗して来ない」


 それができるのは、翔霏のように限られた特別な人だけの気がするなあ。

 なんて私が思っていると、同じように彼らの稽古を見物していた怪力宦官の巌力(がんりき)さんが、想雲くんに助言する。


「最初の一撃は、喰らっても仕方のないことと割り切り、あえて踏み込んで肉の厚い部分で受け止めるのも手でござる。剣を振られても間合いが近ければ、臓物まで刃が達することはござらん」


 剣撃でもパンチでもなんでも、インパクトの手前で勢いを殺せ、と言うやつだな。

 言われた想雲くんはげぇっと言わんばかりの顔で、弱音を吐く。


「臓腑まで達することはなくとも、肉や骨は斬られてしまうのでは……」

「それは、耐えるしかありませぬな。なに、骨の一本や二本、打ちて切られても死ぬることはありませぬ」


 大事な部分を自分で切り取った宦官の巌力さん。

 彼にそんなことを言われると、反論のしようもない。

 マジで泣き出す五秒前な顔で、想雲くんはそれでも木剣を構え直し、翔霏の打ちこみを受け続けた。

 文弱に見えて、やはり根っこの部分ではガッツがあるのだな。

 翔霏や巌力さん、人としてのネジがどこかしら外れてるから、凡人に通用する意見、低難易度から段階を踏んだアドバイスを出せないんだよなあ。

 想雲くんのように将来に過度な期待を掛けられているような、身分の高い生まれ育ちじゃなくて良かったと、心から思う小市民の私。

 そんな平和で楽しい日々の最中に。



 翠さまが目を覚まさないという騒ぎが起きたのだ。



「情報集めに後宮に戻るのは良いけど、私、お尋ねものなんだよね」


 みんなで顔を突き合わせ、作戦会議の中。

 私はその厳然たる事実を口に出し、腕を組んで唸る。

 後宮内で陰謀の有無を探るために、私が侍女として別のお妃の部屋に潜り込むという案が出た。

 行く先は除葛(じょかつ)姜(きょう)軍師の遠縁である、漣美人さまと言う方の部屋だ。

 しかし私たちが指名手配犯である以上、大手を振って首都の後宮に行くのは無理だろう。


「前に後宮に入ってたときも偽名を使っていたんだろう? また新しい誰かに成りすませばいいじゃないか」


 小さく甘い蜜柑をかじりながら、気楽に椿珠(ちんじゅ)さんが言った。

 剥いた蜜柑を、妹の玉楊さんに「あーん」してあげている。

 美男美女の耽美的なイチャイチャを、見せつけるな!

 眼福過ぎるわ!

 ちなみに椿珠さんは、蜜柑の白い筋を徹底的に取り除いて食べる。

 細かすぎるな、結婚したくねえタイプだのう。

 なんてことを考えながら、私は椿珠さんの意見に言葉を返す。


「新しい、怪しまれない身分を用意して、不器用な私がその架空の誰かに成りすまして後宮に入るという手間を踏むのが、まだるっこしいですね」


 私はなにせ、今すぐにでも当てもなく飛び出してしまいたい気持ちであるのだ。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、蜜柑の皮を雑に剥がして雑に実を頬張りながら、軽螢がのんびりと言う。


「偉い軍師サマが後宮に行けっつってるんだから、その辺は上手く段取りしてくれてんじゃね? 行けば案外なんとかなるかもよ」

「相変わらずの楽天家で、私はきみが実に羨ましい」

「ンだよ、バカにしてんのか」


 マイペースな軽螢たちは置いといて。

 私は現実的に妥当であるような「漣(れん)美人の下に向かう口実や身の処し方」を考える。 

 翠さまが元気であれば、ツルの一声でなんとでもなりそうだけれど、その翠さまがお倒れになられているのだ。

 悩む私に、翠さまの侍女頭である毛蘭(もうらん)さんが、一つの情報をくれた。


「南苑の漣美人と言えば、お側で仕える侍女に条件のようなものがあることで知られているわね」

「それは、どういう内容ですか?」

「身元がしっかりしていることはもちろんだけれど、字の読み書きができること、恒教(こうきょう)に通じていること、あたりね。央那(おうな)なら問題ないでしょう。毒の蚕、いえ、読書好きの蚕って呼ばれてたくらいですもの」


 微妙な二つ名を思い出し、私、閉口。

 毛蘭さんの説明を聞き、その通り、と巌力さんも頷く。

 それに加えて、もう一つの重要な情報を教えてくれた。


「逆に、沸(ふつ)の教えに帰依しているものは、除葛(じょかつ)美人のお側に侍ることはできませぬ。それ以外の点でも、ひどく人付き合いを選ばれるお方だと、奴才(ぬさい)も聞き及んでおります」


 宗教的なあれこれが複雑なお妃さまのようだな。

 翠さまも沸教(ふっきょう)嫌いではあるけれど、本気で拒否しているわけではなく、気分的なものでしかない。

 沸の関係者を遠ざけなければならない、特殊な事情でもあるのだろうか。

 思い出したように、玉楊さんも後宮でのことを話す。


「わたくしも、挨拶に伺いはするのですけれど、それ以上の付き合いはなかったわ。大事なお役目があるから、仕方なかったのかしら……」


 しゅん、と寂しそうに眉根をひそめる玉楊さん。

 社交的な彼女でも仲良くできていなかったというのは、不自然ですらある。

 玉楊さんの「これから仲良くしてちょうだいね攻撃」に逆らえる人間なんて、滅多にいるものじゃないからだ。

 ん、それよりも、気になるフレーズが?


「漣美人の大事なお役目って、なんですか?」


 私が訊くと、毛蘭さんと、玉楊さんが声を揃えて、同じ答えを発した。


「お祈りよ」


 翠さまの次に後宮で私が仕えることになる、除葛漣と言う名の妃。

 彼女は「祈る女」であるようだった。


 ちなみに後宮入りのややこしい諸事は、すぐのちに届いた姜さんの紹介状の力で、なんとかなった。

 州の宰相としての権限を好き放題使ってるな、あいつめ。


「だから言ったじゃンか。偉い軍師サンが当てもなく後宮に行けなんて言うはずねえだろ、常識的に考えて」

「ぐぬぬ」


 皇都に向かう途中、軽螢がブー垂れて言うのに対し、私は反論できず歯噛みするしかなかったのである。


「で、なんで坊ちゃんまでついて来てんだよ」

「メェン!?」


 すっかり慣れたヤギの背にある軽螢が、私が乗る馬の騎手に、そう訊いた。

 こらこら、なんでヤギはケンカ腰なんだ。

 私と同じ馬上にあるのはそう、司午本宗家の嫡男にして、翠さまの甥っ子の、想雲くんであるのだ。


「ぼ、僕も叔母上のために、都でなにかできることが、あるはずですッ!」


 真剣な口調で言っているけれど、肩に力が入りすぎているように思う。

 もちろん彼は勝手に家出して来たわけではなく、司午家のお偉いさんたちも了承済みだ。


「仕官前に、都で世間を学ぶのも良いだろう。度胸も付くかもしれない」


 それくらいのノリで、わずかな従者をあてがわれて、河旭(かきょく)に赴くことになった。

 表面上は名のある先生の下での勉学と、人脈作り、社交界デビューの下ごしらえという体裁になっている。

 裏では司午家の従者とともに、翠さまに悪質な呪いを仕掛けた勢力のあぶり出しに、想雲くんも参加することになっているのだけれど。


「頼りになるんかなァ、温室育ちのお坊ちゃんが」

「軽螢、サボり魔のあんたがそれを言うか」


 正直言って、優しげな優等生の好青年である想雲くんが、これからなにをするかは、私には未知数である。

 けれど、私は彼の、なにかしたくてたまらない、家になんて閉じこもってはいられないという気持ちを、よく見知って、体験している。

 あの夏の日も、そうだったからね。

 これから先、自分は意地でも、何者かになって、何事かを成し遂げるんだという気持ちの目覚めに、若いも早いもないはずだろう。


「期待してるよ、想雲くん。一緒に翠さまを助けよう」

「は、はいっ。央那さんがいてくれれば、百人力ですッ……」


 私の激励に、上ずった声で答える想雲くん。

 力を合わせて都と後宮の謎を暴き、翠さまを助けよう。

 声をかけても馬上の想雲くんの緊張はほぐれず、体は強張っていたけれど。

 いつかその中で燻ってる力を、爆発四散させてあげるからね。

 私はそんなことを考えながら、角州司午家を離れ、皇都に向かう。

 次の敵よ。

 早く、その首元を私の前に晒すがいい。

 いたぶることなどせずに、一思いに、終わらせてやるよ。

 

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