模倣の無職
ケストドン
第1話
仕事に行きたくなくなった。自分の無能さを露呈させて、誰かに迷惑をかける。そんなことが増えた。
上司に相談すると、5年目の奴にそんなに期待してないし十分な仕事はしてくれているなどと、謎に庇ってくれたがそれはむしろ辛くなるだけだった。
仕事量で社員に価値をつけるなら、自分は最下層に存在する屑で、こうなってはいけないという反面教師の役割を担っている。もしかしたら、必要な役割なのかもしれない。
5年働いても、他人は糞だと思う潜在意識は消えなかった。だから、協力関係を上手く作れない。人とそんなに関わる仕事ではないと思っていたが違った。ひとつのグループとして仕事を進めるのであれば、コミュニケーションは必要不可避であり、そもそも他人と関わるのが苦手な自分には無理を要求していた。
なんで上手くできないのだろう。どいつもこいつも、なんでそんなに話せるのだろう。他人なんて底を見てみれば泥の塊のような悪意しか見せないというのに。
辞めた。ついに無職になった。これからどうすれば良いのだろう。無機質な色の天井を眺める。
とりあえず、W君からあと30万円返ってくるからしばらくは働かずに済む。アパートは3ヶ月くらいで退去して実家に戻るしかないか。
体を捻って部屋を見渡した。時計は15時を指している。床に目をやった。ペットボトルとチューハイやビールの空き缶が床に散乱し、泥酔してビリビリに引き裂いた段ボールが机の下に隠れている。他にも汚い所を挙げるとキリがなかった。この惨状を見るに片付けは1日で終わりそうにない。
「だるいわぁ」
独り言を呟いて布団から芋虫のように這いずって出て立ち上がり、カップ麺に湯を注いだ。
3分待っている間にウイスキーの水割りをちびちびと飲む。とても美味しい。この時間はみんな働いているから幾分申し訳なさがある。誰も働かなくていい、ウイスキーなら分けてやる。
これから3ヶ月は退廃的で非生産的で何もない日常が続くのだろうか。いや、糞と精子は排出しているから生産はしているのか。
しょうもないことを考えていたらおおよそ3分経ったので、カップ麺の蓋を開けると湯気が鼻腔に入り込んだ。醤油スープの香りが堪らなくて、セロトニンがドバドバ分泌されている感覚になる。二日酔いにはこれが1番効く。
ラーメンを食べながら居酒屋での会話を思い出す。
「お前これからどうすんの?貯金350万なんてすぐ消えるで」
「分かっとるし、うるせえわ。酒が不味くなるから違う話題にしよや。天皇賞どうやってん」
「あのな?天皇賞で2万勝って今日は奢るって話はしたやろ?話題逸らすにしてもさぁ」
苛ついたので、ジョッキに半分ほど残っていたビールを一気に飲み干した。4杯目が空になる。料理もかなり食べたので、ゲップをしたときに吐きそうになったのを覚えている。
「俺の弟結婚するらしいで」
「え?おめでとうやんけ」
「20歳で結婚とか立派よなあー」
「結婚式行ったら、無職の兄ですー(笑)って言うんか?」
彼は、にやけ面で俺の目を見ていた。口を押さえて立ち上がって、トイレに行くふりをして店から出た。そのままタクシーを拾ってアパートまで帰って、友人だったはずの者のLINEをブロックして電話番号も着信拒否にした。
自分の部屋で段ボールを引き裂いて、ウイスキーをストレートで100mmlくらい一気に飲んで寝たのだ。
思い出して嫌になる。自尊心の高さとそれに反比例する自己肯定感の低さ。友人に寛容になれないのも問題だろう。飲み会の後はいつもそれを実感して、頭を抱え発狂する。飲んでいる途中までは上手くやれるのに、何処かおかしくなる。彼が最後の友人だったか。
気分が悪くなり、味を感じなくなっていた。あんなにいい香りの醤油ラーメンだったのに、半分残して捨てた。
髭も伸びていたが、剃るのも面倒で歯磨きだけ軽くやってジャージのまま煙草を買いに外へ出た。
そろそろ夕方だというのに日光が痛い。しばらく歩くと、反原発運動のデモ隊が行進しているのを見つけた。
歩道が片側しか無く、すれ違うのは避けられそうになかったので下を向いて誰とも目を合わせないようにしてコンビニまで突っ切ることにした。
一歩あたりの間隔を伸ばして強く地面を蹴って歩く。すれ違ってお互いの距離が1mくらい空いたときに声と不協和音が響いた。
ー今日、平日でしょ。何よあの人。
リピートされる。金属を強く引っ掻くような音と混じる。遠くから違う声も混ざる。
ーなんでお前異動になったんだよ。要らねえようちの班に。
ーねぇ、なんで○○○○○?
音は次第に大きくなる。耳を塞いでも効果がなくて、視界がぼやける。思わず膝から倒れて、嗚咽した。誰かに見られている。視線の方向へ焦点も合わないが、目を向ける。
コンビニの前、たまに話すバイトのおばさんがゴミ袋を置いてこちらを見ていた。
おばさんが駆け寄って来る、彼女は耳が悪い。視界から得られる情報を人より多く汲み取ろうとする。
道路の交通量はこの時間は少ないはずなのに、デモ隊の仲間共の車が法定速度をゆうに越えて走る。先ほどの輩共は帰る途中だったのか、合点する。原発がある、恨みさえありそうなこの地区から逃れようとアクセルを強く踏むのかもしれない。だとしたら最初から来なければいいのだが。
左右を確認して、道路を突っ切り俺の方へ来る。嫌な予感がした。右側車線の軽自動車は彼女の想定より速い。叫びたいが、声が出なかった。手を出して止めようとしたが、おばさんはこちらに駆けてくる。
クラクションが響いたが、遅かった。人体を潰す音がして、おばさんは宙を舞ってアスファルトに叩き付けられる。目も当てられない姿になっていた。
騒然だった。車からデモ隊のおばさんが急いで降りる。見かねた通行人が警察を呼んだ。血にまみれたボンネット、車から離れた場所で倒れて頭から血を流すおばさん。左腕が折れてあらぬ方向を指しているが、俺の方を指しているようにも見えた。とにかく、命が戻らないのは明白だった。
声が混じる不協和音は消えている。平静を取り戻し、俺は立ち上がり気配を消すように反対方向のコンビニへ向かった。この事件の関係者として捕まるのが嫌だった。とにかく煙草が吸いたくて仕方がない。しばらく歩くと、先ほどの光景がフラッシュバックする。あの左腕が俺を指していた、偶然だろうがひどく気分が悪い。俺がおばさんの命を奪ったというのか。
呼吸が乱れて胃酸が込み上げる。どうにか落ち着きたいのに脳はそれを拒むようだった。ガードレールに手を掛けながら歩く。歩道側と反対車線の車、タクシーを運転する爺さんに、不快そうな目を向けられた。
もう全て嫌になる。他人を傷付けたくないし、他人に傷つけられたくない。何でお前は俺にそんな目を向ける。悪いことはしてないじゃないか。
コンビニは目の前だったのに、通りすぎるところだった。メビウスの8mmを2箱と缶コーヒーを買って外へ出た。すぐさま煙草を吸って、缶コーヒーを半分飲み干す。喉まで上がっていた胃酸を戻して、帰る経路を考えた。さっきと同じ道を辿ると、警察に話を訊かれるかもしれない。無職の知り合いに電話をかけた。
「ーなんじゃあ?」
「ジュースか酒か奢るし、ちょっと家居さしてもらってええか?」
「ええで、ストゼロロング缶頼むわ」
無職同士の繋がりは大事だ。お互いに働かないように圧を掛け合い、困ったときは手を貸す。無職歴は彼の方が長いのに先輩面をしない。立派だと思った。
コンビニに戻ってストロングゼロを買って外へ出ると、事故処理の警察車が先ほどの場所へ向かって行った。半日くらいはニート先輩の家で過ごすことになりそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます