美しい人

緋雪

第1話

 ああ、何度思い出しても悔しい。

 あの時、空港でひで長谷川英人はせがわひでとに言われた言葉。


「君はさ、世の中まで『甘く』見すぎなんだと思うよ。それ以前に、自分を磨かなきゃ。」


 外見が幾ら綺麗でも、お前には中身がないってこと?


 佐々木ささき美香みかは、軽く下唇を噛むと、デスクの上のカフェラテを一口飲んだ。

 もう、1ヶ月も前のことだ。15年以上前に美香の方からから振っておいて、空港で偶然英人に出会って愛想をふりまき、彼に酷いことを言われて気付いた。自分が本当に英のことを好きだったことに。彼の「弁護士の卵」というステータス目当てでつきあっていたはずだったのに。



「佐々木さん、ここの数字、間違ってない?」

不意に後ろから肩越しにPCの画面を指差してくる男性の声。

「えっ?」

振り返ると竹内良樹たけうちよしきが、美香の顔を見下ろしていた。

「考え事しながら入力するのやめなよね」

竹内はそれだけ言うと、さっさと自分の席に戻っていった。



「ねえねえ、美香、さっき竹内さんと何話してたの?」

一緒にランチに出た加藤美咲かとうみさきに聞かれる。街のウインドウには、もうカボチャやコウモリをかたどったシールが貼られている。随分と早いハロウィンだ。が、風は少し涼しくなり、確かに秋の訪れを感じさせている。

「あ〜、あれ? ちょっと入力ミスを指摘されてただけよ」

「な〜んだ、そっか」

「何だと思ったの?」

「ランチに誘われてたのかな〜って」

「竹内さん、そんなキャラじゃないじゃん」

「え〜、わかんないよ〜、美香綺麗だしさ〜。ツンデレかも」

「さあね、わかんない」

美香は、全く興味がないといった感じで答える。ショウウインドウに自分の姿が映った。今日も私は完璧だと思う。


 美咲が竹内良樹に憧れているのは知っていた。仕事はできるし、誰にでも明るく優しく接する。イケメンと言う程ではないが、容姿は、まあ平均よりちょっと上くらい。

 ただ、両親は公務員。竹内も会社の社宅住まいだ。「玉の輿」を夢見る美香の相手ではなかった。

「っていうか、あいつ、私には厳しいんだよな〜。ま、嫌いなんでしょ」

たまにいる。綺麗な女を嫌いな男。昔の男のことを思い出すと、身震いがした。



「美香のことは好きだよ。凄く凄く綺麗だし可愛いし。連れて歩いたら、皆振り返る。友達からも羨ましがられる」

まなぶはそう言った。医者の卵。超イケメン。家も金持ちで、これ以上ないような物件だった。

「でも、美香は、それだけ、なんだよね。……なんていうか、話が合わないっていうか、価値観が違いすぎるっていうか……」

学は別れをほのめかす。

「他に好きな人が?」

顔色一つ変えず、美香は学の目を見て言う。

「……うん」

「誰?」

「美香に言ってもわからないよ。同じゼミの子だから」

「私より美人なの?」

「だから、そういうの関係ないんだってば。研究してることも同じだし、好きなことも同じだし、気が合うんだ。彼女と一緒にいると楽しいんだよ。容姿じゃない」

つまらない男。私よりブスな女を好きになるだなんて。美香は思う。

「わかった。別れましょ。じゃあね、バイバイ」


 あれは、もう15年近くも前のことだ。自分に男を見る目がなかったのだと、今でも悔しく思う。あんなヤツを選んだばっかりに、私は英を失ってしまった。


 今更だ。

 今更、英のことがホントに好きだったなんて思い知ったところで、どうなるものでもない。

「はぁ」

美香は大きな溜め息をついた。



「佐々木さん、悪いけど、これ、明日までに入力お願いできる?」

4時前になって、おつぼね様、坂本めぐみに分厚い書類の束を渡された。

「え?」

「なるはやでお願いね、で」

そう言うと、彼女は出ていってしまった。恐らく給湯室だ。お仲間と一緒に美香が困るのを見て笑っているに違いない。

「はぁ」

書類の束を見ながら溜め息をつく。

「なによ『なるはや』って。使いたいだけでしょ。四十路よそじが。恥ずかしいこと」

心の中で呟く。

 美香が綺麗で、男子社員からチヤホヤされるのを妬んで、わざわざいじめてくる女子グループ。

「くだらない。……ブス集団が」


 しかし、この書類の量は半端な量ではない。恐らく女子社員3人くらいに分けて、昨日の朝くらいに営業社員から頼まれていたんだろうという量。これを、明日までに……。

「残業かぁ。めんどくさ」

 美香は、PCを、その書類の入力画面に切り替える。

 2箇所入力して気付いた。それはどうやら複雑な内容のもので、数字だけ入力しても、オートで数値が出ないところが数ヶ所あることに。

「え〜、まさかの手打ち?」

酷い虐めだこと。

「これは、何時に帰れるのかねえ」

カタカタと入力しながら呟いた。



 時計は7時を指していた。

「ねむ〜。終わらないじゃん。どうすんのよ、これ」

ずっとPCの画面を見ていたから、目が乾いてきた。

「コンタクト外してくるか」

化粧室でコンタクトを外し、メイクも落として眼鏡に替えた。髪も一つに縛る。

「さて」

給湯室でコーヒーに砂糖を2本とミルクを3個

入れてきて飲んだ。うーんと伸びをする。

「やりますか」

書類は残り半分。最終電車に間に合うかどうか。


「佐々木さん?」

呼ばれて顔を上げると、竹内良樹が立っていた。

「え? 残業? こんな時間まで?」

良樹は、営業帰りのようだ。美香は、この書類を明日までに入力しなければならないことを話した。

「え? これ、坂本さんたちにお願いしてたやつだよね? なんで佐々木さんが?」

「3時間ほど前に頼まれまして」

「え? 坂本さんたちは?」

「さあ?」

良樹は、事情をさとったようだった。

「半分寄越せ。俺もやる」

「え?」

彼は、美香の書類を半分取って、隣の席のPCに座ると、作業を始めた。

「ガキじゃあるまいしな」

独り言のように呟く。

「ホントに。ガキの虐めだわ」

美香もこころの中で呟いた。

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