第4話

 書斎には、二つの人影がある。

「葉太よ」

「……」

 返事はない。返事をしたら負けだと葉太は思っている。

「葉太ぁ、葉太よ」

「……」

 頬をつねられようと肩を揺さぶられようと葉太は動じない。動じたら面倒くさいことになることはわかりきっている。だから、返事をしない。動じない。

「なあなあ葉太よ」

「……」

 返事をするな。

「葉太?無視は良くないぞ」

「……」

 動じるな。

「よーうーたーっ」

「あーもう!うるせえ!」

 スマートフォンを手放し、葉太はとうとう相手をしてしまった。すぐさまハッと気がついたがどうにもできない。

「葉太、ようやく陥落したのう」

「なんすか、主様」

 面倒くさいというオーラを隠しもせず葉太は頭を掻く。主様はふわふわと宙に浮いている。雪のように白いおかっぱが風と共に揺れている。黒目がちな目が細まっていて、どうやら笑っているようだった。

「我は葉太と牡丹の子供じゃ」

「……なにが言いたいんですか」

 くるり、と華麗に主様がターンを決めた。

「それだというのに、なんだか二人の子供っぽくないではないか。由々しき事態じゃ」

「そりゃあ江戸の頃から生きてる主様に言われたくねえですよ。年上じゃないですか」

「そういうことではなくての」

 品定めされるかのように見下ろされた葉太は気分が悪い。

「親子という感じがしないと思ったのじゃ」

「ふぅん」

「なんじゃその返事は。話にならん。牡丹はどこに行ったのか」

 葉太はどうでもいい、という表情だ。そんなことより背中が痒くて仕方がなかった。

「あいつならどっか行きましたよ。ね、もういいでしょう」

「嫁の居所も知らぬとはなんたることじゃ」

 床に降り立った主様がやれやれ、と両手をあげた。ふわりと風が吹き込んできて、隙間の多い棚の本が倒れた。

「別にいいでしょ」

 主様は唇を突き出して不満を訴えている。葉太に相手にする気がないとわかると、話を変えた。

「我は家族で出かけてみたい」

「はぁ?だめに決まってんだろ。主様は夏目家から出られない。主様は夏目家に富を与える。そのかわりに主様に夏目家は奉仕する。そうやって成り立っている」

 無礼にも指をさしながら葉太は早口でまくしたてる。主様は目を丸くした。そして、一言。

「いやじゃ」

「駄々をこねても無駄ですよ」

 ぷいっとそっぽを向く主様に、スマートフォンをいじり始める葉太。

「いやなのじゃー」

 菓子をねだる子供のように畳に寝転がって暴れ始めた主様を見て、葉太は頭を掻いた。

「そう暴れられますとほこりが……」

「我よりほこりか?ほこりの方が大事なのか?」

「めんどい彼女かよ」

 部屋の中は風が強く吹いている。その風のせいで本が一斉に落ちていった。葉太がため息をつくと、足音が響いた。音の主は、考えうる限り一人しかいない。

「大丈夫ですか葉太様」

 小走りに牡丹が様子を見に来た。大きな音がしたので、それに反応したのだ。

「うるせえ、こっち来んな」

「でも……」

 牡丹が口元に手を当てる。葉太としては面倒ごとを増やしたくなかったのでこちらに来て欲しくなかった。だが、もう遅い。牡丹に気がついた主様が目を輝かせる。最悪のシナリオだ。

「牡丹よ!ちょうどいいところに来たのう。ちと頼みがあるんじゃが」

「聞かなくていい」

「はーい。なんでしょうか?」

「聞かなくていいってば。耳聞こえてんの?」

 制止も無視して牡丹は主様に目線を合わせる。

「我は家族で出かけてみたいのじゃ」

 こいつ、余計なことを言うぞ。葉太は身構えた。

「急に言われても困ります」

 牡丹が断りを入れた。葉太はほっとした。全身から力が抜ける。

「いやなものはいやなのじゃ」

「じゃあ、こうしませんか」

 嫌な予感がした葉太は牡丹を止めようとしたが、ワンテンポ遅かった。

「明日行きましょうよ」

 手を合わせて微笑んだ。葉太はため息をつく。

「牡丹、ちょっと待て」

 牡丹の和柄のワンピースを掴んで葉太は部屋の外へと引っ張っていった。

「葉太様……?」

「違うからその目をやめろ」

 恋焦がれるような牡丹の視線を手で遮る。

「いいか、よく聞け。主様を外に出しちゃいけないんだよ一応」

 牡丹は頭にはてなマークを浮かべているようだ。

「分家の馬鹿はそれすら知らないのか」

「いえ、ただ……」

「……なんか文句あんの?」

 首を傾げて笑いかける牡丹の瞳が妖しい雰囲気を醸し出していて、葉太はおぞましく思った。だが、平然を装う。

「そんな縛りなんて、主様が本気を出せば壊せちゃいますから。共存関係じゃないんです。私たちは服従関係なんですよ。夏目家の皆さんは主様が怖くって仕方がないんでしょう?」

「なに言ってんだよ」

「違うのですか?」

 純朴そうな牡丹はどこか歪んでいる。

「それに、私も家族で出かけてみたいです。葉太様と一緒に」

「別にそこにこだわらなくてもいいじゃん」

「なんでですか?」

 牡丹は葉太の手を握る。反射的に葉太が振りほどく。

「私、葉太様と家族である実感が欲しいんです」

 愛情に焦がれている。照れたように牡丹が笑う。また右手をさすっている。

「つい最近出会ったばかりなのに?イカれてるよ、お前」

 葉太の顔は強張っている。

「葉太様はそうでしたね」

「は?なに言ってんの」

「それよりですよ!」

 葉太の声は牡丹が手を合わせた音と彼女の声でかき消された。

「せっかく家族になったんですから主様にお名前をつけましょうよ」

「馬鹿じゃねえの」

「だって、私たちの子供なんですもの。それに、呼ぶ時不便じゃないですか。怪しまれるし」

「誰にだよ」

 屈託のない笑顔で牡丹は答える。

「お買い物行った時とか、周りの人に」

「まさか本当に行く気なのか?」

「明日、なんにも予定ないでしょう?」

 お互い顔を見合わせる。

「私、二日前から考えていたのですよ」

 ポケットからスマートフォンを取り出して、メモアプリを開く。

「なんて読むの」

 スマートフォンを覗き込む。

「りひと、です」

「なんじゃ?なにをしておるのじゃ?」

 主様が気がつけば部屋から出てそばに来ていた。二人を見上げて、なにやらうなずいた。

「接吻の距離感じゃな」

「なに言ってんの!?」

 葉太がなにか言え、と牡丹の方を見ると、牡丹も葉太の方を見た。お互いの鼻先が当たった。牡丹の頬が赤く染まる。葉太は牡丹を急いで押しのけた。ついでと言わんばかりに頬をはたいてやった。

「それで、我を差し置いてなんの話をしておったのじゃ」

「主様にお名前を、と思いまして」

 軽やかな風が吹いていく。牡丹の雑に切られた髪が風にさらわれていく。

「名は親からの贈り物。嬉しいのう。家族の愛じゃ」

「なんか怒ってないならもうなんでもいいや」

 葉太は考えを放棄した。そして、全てを諦めた。

「それで、なんという名なのじゃ、見せてみい」

 牡丹は得意そうにスマートフォンの画面を見せた。画面に映し出された二文字。それを見た主様は満足気だ。

「ことわりに人と書いて理人、か。素晴らしいではないか」

「よいですか?」

「ナウくてよいのう」

 主様もナウいとかいうんだ、とかそれ死語ですよ、とかは葉太の胸に押し留められた。

「じゃあ明日は理人様と呼びましょうか」

「いや、理人でよい。ああ、今から呼んでも良いのだぞ」

 牡丹と葉太は目をぱちくりさせた。

「ですが……」

「明日は買いもんだな、理人」

「えっ、葉太様?」

 上下関係などどうでもいい。葉太はそう思った。だから、いつもの不満げな顔で言葉を発した。目線を合わせるためしゃがんだ葉太の手が主様の頭に伸びる。そして、ぽんと頭を撫でた。牡丹は唖然としている。

「なんだよ」

「え、いいのですか葉太様」

「なに?理人が羨ましいの?」

「え、まぁ、はい……?」

 理人は幼い子供のようにキャッキャと喜んでいる。そこに主様の面影はあまりない。ただの白いおかっぱの子供だ。

「まぁ、かがめ」

「え?」

「いいから」

 大人しく牡丹がかがむと、葉太の手が伸びてきた。心拍数が上昇する。

(葉太様の手、こんなに大きいんだ……!)

 きゅっと牡丹は目をつむった。きっと今自分はへんてこな顔をしている。そう思うと恥ずかしくなった。期待してしまう自分が恥ずかしい。すると、おでこに小さな刺激があった。

「……へ?」

「馬鹿。期待したのか?お前みたいなクソイカれ女にはしてやんねーよ」

 小馬鹿にしたように葉太が牡丹を笑っている。牡丹はおでこに触れてみた。どうやらいつものデコピンのようである。牡丹は赤面した。

「葉太様の馬鹿」

 牡丹は葉太を軽く殴ってみたが、ダメージはないようである。

「お前の方だろ?」

「馬鹿っていう方が馬鹿なんです」

「小学生かよ」

 言い合いをしている二人を、理人はニマニマと笑いながら見つめる。

(理を司る人間と書いて理人、か。なかなかの名前じゃの)

 静かに、ただ自分につけられた名前を噛み締めている。

「あ」

「葉太様どういたしました?」

「忘れてたじゃねーか!」

 葉太は牡丹の体を揺さぶる。

「ええっ、なにをですか?」

「……内緒。内緒だ」

「えっ、葉太様!?」

 葉太は今日も牡丹と別れられなかったどころか、明日の約束をしてしまった。つくづく学習しない男である。葉太はため息をついた。でもどこか楽しみにしている自分がいることに、理人を多少憎たらしさはあれどかわいい子供として見ていることに、葉太は気づかないふりをした。

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