第2話 部長の横暴
「もうついていけません。辞めます」
世界的なグループ企業 御子神コンツェルン、その都内本社ビルの一室。
五十階にずらりと並ぶ部長室の一つで、入社二年目のリヒトはそう告げて辞表を差し出した。
眼の前にはデスクを挟んでコンサルティング十三部部長の神七条園子。ソノコ部長と呼ばれる彼女はどんな時でもうろたえる事のない鉄面皮として社内に知れ渡っている。
「辞めてどうするの?」
「転職します」
「どこに?完結に、MECEに答えて」
「転職先企業との取り決めで、言えません」
「嘘よ。決まっていないんでしょ?あなた程度の人間が入れる企業なんて今のこの国にはない」
「そんなこと―、ありません」
「辛くて逃げ出したって、結局同じよ?企業を転々として、行き場を失って野垂れ死んだ人を何人も知っている。潔くここで私に飼われていた方がましよ?」
「―部長のその態度が、嫌なんです。あなたのその高慢な態度と、無茶苦茶な業務の割り振りのために、何人もの同僚が精神疾患や過労死、自殺に追い込まれた。反省の弁はないんですか!?」
「私の采配のおかげで事業は三百パーセントの成長を達成できた。私の下で成果を上げられたことに感謝すべきよ。弱い人間が生き残れないのはどこの世界も同じ。でしょ?」
「ふ、ふざけるな!」
激昂してデスクを回り込み、我を忘れて拳を叩き込もうとするリヒト。ソノコは易々とその拳をかわすと身体を沈める。
「御子神コンツェルン企業規則 二十五条の一、『社員の安全を脅かす行為は厳に慎むこと』への違反を確認。鎮圧対処体制へ遷移」
ソノコ部長の手にはいつの間にか日本刀。鯉口を切り抜刀の態勢に移る。
「へ?ちょ、ちょっと・・・」
「十六時十五分、鎮圧行動開始。抜刀」
凄まじい速度で抜かれたソノコ部長の愛刀 日本丸。ソノコ部長が自分で命名したその刀は、リヒトの突き出した拳を腕ごと斬り飛ばした。
「ぎゃ、ぎゃあぁぁ」
派手に響く悲鳴と、飛び散る血飛沫。切られた腕を押さえて蹲る社員 リヒト。
「十六時十六分、対象の無力化を確認。鎮圧行動終了」
悲鳴を聞き部屋に飛び込んできた数名の上級社員は、やれやれという表情で手際よくリヒトの処置を始める。
「またですか、ソノコ部長。今年に入ってもう三人目ですよ」
上級社員―幹部候補生という名の、部長陣の仲良しグループのメンバー―の一人がソノコ部長の刀を受け取ると、こちらも手際よく血と指紋の跡を拭き取り始める。
「仕方ないでしょ?辞めたいと言った上に、部長である私のやり方に苦言を呈し、さらに殴りかかってきた。本来なら懲戒解雇ものよ」
なるほど、と頷く上級社員たち。
「いまのこの国の法制度だと、暴力行為であっても解雇は難しいですからね―」
「解雇の正当性を証明するのに何年もかかるケースもあると聞きますし―」
御子神コンツェルンが本社を構えるこの国では、よほどのことがない限り社員の解雇は許されない。
「あの―、この人、辞めたいと言っていたんですよね?素直に辞めさせてあげればよかっただけじゃ―」
新米の女性上級社員が至極真っ当な意見を口にする。その社員は他の社員とソノコ部長の視線をまともに受けて黙り込む。
「駄目なんだよ、辞めさせちゃ。『離職率が低い』っていううちの売りがなくなるだろ?競合企業もみんなそれぞれ売りがあるんだ。むざむざ退職者を出して離職率を上げるわけには行かない」
「は、はあ・・・」
古参の上級社員の説明を受けて、新米女性上級社員は納得したような、していないような表情を浮かべる。
「こいつはどうします?」
鎮静剤で眠らされたリヒトを指差し、上級社員の一人がソノコ部長に指示を仰ぐ。失った右手が痛々しいが、処置が適切だったのか命に別状はないようだ。
「―この子、職務状況はどうだったの?」
「まあ、中くらいですね。できが悪いわけじゃないですが、この程度の人材はうちの人事部ならいくらでも調達できます」
上級社員の一人、焼けた肌にツーブロックの男がソノコ部長に情報端末を渡す。ソノコ部長は数秒間、顎に手を当ててその情報端末を見ていたが、すぐに指示を出す。
「Action Dの準備。上司である私に逆らい暴力を働いたことは看過できないわ。うちの社の情報システムに脳を接続して、この子は社のために一生働いてもらいます」
上級社員たちの顔に緊張が走る。Action DとはAction Destroyの略称。薬で眠らされた社員 リヒトはそのまま脳を社内システムと接続され、計算および分析のためのリソースとして利用される。むろん、人間の脳が現代のコンピューターと同等の負荷に耐えられるはずもなく、遅くても数週間、早ければ数日で脳が焼き切れ、廃棄処分となる。
非人道的だ―とソノコは思わない。
無茶な業務指示を出して凄まじい残業を強いて精神崩壊させたり自死に追い込んだりすることが黙認され、残業時間の長さや睡眠時間の短さを誇る風潮の現代において、まだよほど人道的だ―とソノコは考える。
少なくとも、システムに直結された脳は確実に業務の役に立つ。一方で意味不明の打ち合わせや資料作りに忙殺されて壊れていく人間は、会社にとって何の役にも立っていない。その一点―社の役に立つか、立たないかの点だけでも大きな違いがある。
「人格複製AIの生成は?」
「これまでの社員 リヒトの言動、メール、チャット、作成資料などは公私とも全て記録済みです。それらデータを使えば、人格複製AIの作成は容易です」
「精度は?」
「九十八・九パーセント以上。親族でもわかりませんよ」
「了解。では本日から三年間はそのAIで対策を。僻地でのプロジェクトに急にアサインされたことにする。三年目以降の処置については、その時に考える。申し送りを忘れるな」
「イエス、サー、マイ マジェスティ!」
会社式の敬礼をした後、上級社員たちは迅速に行動に移る。三時間後には社員 リヒトの完全なコピーである人格AIが何も知らない同僚や取引先、家族に急な単身赴任の連絡を入れ、徐々に社会からその存在を消していくことになる。新たなゴシップネタを貪欲に求め続けているこの国において、連絡が途絶えていく人のことなど誰も気にしない。「便りのないのは良い報せ」なんて能天気な言葉を唱えながら、人は簡単に他人のことを忘れていくのだ。
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