0-2
◇
「仕事の面接って、なんか高校の面接より緊張するね」
皐は家に帰ってきてから、そんな一言を呟いた。
「まあ、こっちの高校の面接なんて顔パスみたいなところがあるしな」
通うことになった高校の面接を俺は思い出す。大した質問はされることなく、どうして入学したいのか、そんなことだけを聞かれた記憶。
慣れないスーツに身体を通して、そうして着心地の悪さだけが身に反芻した感覚をいまだに忘れることができない。でも、大した入学試験でないことを認識すると、二度と着ることはないであろうスーツの感覚も、当時は楽しかったものだ。
まあ、当時と言っても二か月ほど前のことだけれど。
皐は、入学式が終わった後、爽やかな顔で「面接に行ってくる」と俺に伝えた後、しばらく姿を消した。そうして言ってきた場所は、近くにある牛丼屋らしい。
「牛丼屋って言っても、なんか蕎麦もメインでやってるところなんだよ。なんか、十割蕎麦を看板に掲げてた」
「そうなんだ」
「あれ、翔也ってうどん派だっけ?」
「いや、ラーメン」
「蕎麦かうどんで答えてよ……」
皐は呆れながら苦笑した。俺もその苦笑に便乗するように笑った。
「でも、別に働かなくてもよかったのに」
俺は今の家計の状況を振り返りながら、彼女に言葉を紡ぐ。
家計、と言えるほどのものでもないが、俺の給料についてはそこまで悪いものでもない
中卒であっても月に十六万円ほどもらえる職場に勤めることができているし、何より住んでいる場所は社宅であり、特に家賃というものは存在しない。光熱費も会社の負担というところが大きいかもしれない。唯一、電気代が規定を超えた場合には給料から差っ引かれるところもあるらしいが、そこまで家電を駆使するようなこともない。
以前は、この家のことをよく知らない皐がドライヤーを使ってブレーカーを落としたこともあるけれど、それも過去の話。彼女はそれに学んでいちいちタオルで水分を拭ってくれる。髪が傷んでしまうであろうことを気にしてしまうが、皐はそれをどうでもいい、と返した。気を遣ってくれるいい妹である。
「いいの」と皐は言った。
「だって、昼間は翔也だって働いているし、家でぼうっとするのも性に合わないから、なにかしらしたいんだよね」
「……そんなもん?」
「そんなもんだよ」
皐はそう呟いた。確かにそう言われると、俺も働くことを選んだ方が有意義な気がしてきた。
◇
「そういえば」
皐は何かを思い出したように言葉を呟いた。
「恭平さんとは相談がついたの?」
相談、と彼女は言った。
相談、相談。
「ああ」と俺は呟く。相談事を頭の中で振り返りながら。
「もともと想定していたことだってさ。早引きの分、給料は少なくなるけれど、そこは社長に誤魔化しておくって」
「……いいの? それ」
「どうだろうな、黒よりのグレーかもしれない」
だよね、と不安そうな顔で呟く皐。俺は皐の頭を撫でながら、大丈夫だよ、と彼女に言葉を零した。
「きっと、なんとかなるさ。まあ、社長に給料のことがバレても、少しだけ少なくなるだけだろう。特に問題はないだろうさ」
「翔也が言うなら別にいいけど」
皐は、そうして携帯の画面を見つめる。
肩越しに俺も携帯の画面を見つめる。
彼女が見ている画面は、とある動画サイトのユーチューバーである。俺は別にそのユーチューバーに興味があるわけではないけれど、なんとなく一緒に過ごす中で、彼女と画面を共有することが多くなって、いつの間にかそのユーチューバーの大半の動画を彼女と見ることになっている。
見ることになっている、というか、見ることにした、と言うべきか。
いつも通りの時間、彼女の髪をブラシで通しながら、画面を見つめるだけの時間。
寄りかかる背中、それから伝わる温もり。いつものことだ。よく、両親が喧嘩していた時にも同じことをしていたと思う。
動画のエンディングが流れてからは、互いに距離を離す。互いに寝るための布団を敷いて、互いのことを行っていく。
俺はノートパソコンを開いて、メモ帳を立ち上げる。片隅でテキストエディタをさらに開いて、何かを執筆する準備。
「今日も書くの?」と皐が聞いてくる。俺はそれに頷いた。
何を書くのかはわからない。でも、なにか書いていないと落ち着かない。だから、何かを書く。
感情でもいい、現状でもいい、何かしらでいい、適当な空想でもいいかもしれない、思いついた話があったらそれを書く、もしくはメモをしていた昨日の夢の話でもいいかもしれない。そういえば夢は見ていなかった。だから、なんとなく書く場面は。
「桜のことを書こうと思う」
「今日の?」
ああ、と俺は頷いた。皐は携帯を片手に、俺の隣に座り込む。俺が胡坐をかいた上に乗せているノートパソコンを覗き込んでくる。
いつもの風景、いつもの光景。
『それが四月の始まりを告げているのか、それとも三月の終わりを告げているのかはわからない。だが、校舎の中で唯一、細い枝に桜の葉を蓄えた樹木に対して、俺は歓迎されていると思うことができた──』
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