I'm right here ⑦


「そんなに思い詰めないで」夏樹がやわらかな口調ではげます。ひどい火傷をった友人の手当てをしたくても、傷口にさわれないみたいな感じで。「大丈夫だから。そんなに悪いようにはならないから」


 なにを根拠にそう云いきれるのか知らないけど、

夏樹はわたしより鳥海先輩のうち親睦しんぼくがあるようだから、


母親とも話しをしているんでしょうけど、母親が、自分の息子の命を奪う引き金になった人物と対面をして冷静でいられると思うの?


淑女しゅくじょのような天女の振る舞いができると?


わたしはそうは思わない。


 殺してやりたい──そう思うはずよ。

わたしはうらまれてる。だから怖いのよ。

自分がどれほど罪深い選択をしてしまったのか、どれほど人を傷つけてしまったのか直視するのが怖い。


 もうわたしたちだけの問題じゃない。

これほど多くの人に悪影響をあたえて、人生を狂わせ、ひっくり返してしまうなんて……そんなの、想像なんてできなかった。


こんなことになるなんて、思ってなかったのよ……! こうなるはずじゃなかったの。


わたしは、もっと違う未来を想い描いていた。こんなことになるなんて……!


「大丈夫だから」夏樹は繰り返し、後押しをしてくれるけど、わたしは夏樹の顔を見れなかった。


わたしの顔は恐怖と不安でゆがんでいるだろうし、そこにもってきて、瞳に浮きでている絶望の色までわざわざ見せる必要なんてない。


「そうだよね。夏樹の云うとおり、きっと大丈夫。だから行きましょう、お待たせさせちゃうのも申し訳ないし」


わたしは、なかなか車を出そうとしない夏樹をせかした。


夏樹はなにか言葉を探しているようだったけど、ほどなくシフトチェンジした。スカイウェイがゆるりと優雅に動きだす。


 わたしは流れる景色けしきをぼうっと眺めていた。

心のなかではこの景色にお別れを告げている。

もうきっとこの景色を見るはずもないから……て。


もしまた見る機会があるのだとして、

そのときわたしの目に見えるこの景色は、なにか違って見えるのかしら。


世界がなにかのきっかけでかわったりする?


…*…


 鳥海先輩の家まで着く道のりは短かった。

時間にして二十分くらい。あっというまだった。


それなのにわたしは、ここにたどり着くまでずいぶんな時間……年月がかかってしまったのね。


自分がどれほど臆病だったのかを知らしめられた気分。


 鳥海先輩のおうちは、わたしが予想していた──期待していた──場所とは違っていた。


マツキヨの裏の住宅街でもない。


はっきりしたことはわからないけど、でもきっとここが霊園のパソコンに載っていたあの住所に違いないんだと思う。……引っ越したのかな?


 ひとつ強く痛感したのは、わたしが鳥海先輩のいえを探して〝鳥海〟の表札を見つけるたびにピンポンを鳴らしまくっても、ぜったいにたどり着けなかっただろうという悲しい事実。


 夏樹がバックで車を停めてるあいだ、わたしは鳥海家を上から下までジッと見つめていた。


家の窓のカーテンが揺れて、鳥海先輩が顔を出すかもしれない、なんていうバカみたいな期待までしちゃった。


 車が停まって、エンジンが切られた。

行かなきゃ。


 わたしの心とは裏腹に、体は軽くふわりと動いた。

動いている体が自分のものではないようで、まるでなにかに引っぱられているよう。


車からなんなく降りてドアを閉める。

外に出て、鳥海先輩の家を直視した。

車の窓ガラス越しにじゃなくて、じかに。


ここの空気を鼻からたっぷり吸ってみたけど、鳥海先輩のにおいがしない。──ここに、鳥海先輩はいない。……いるはずもない、か……。


 夏樹が車のトランクを開けて贈り物の荷物を取って閉めるまでのあいだに、家の放つ空気感が変わったような気がする。


なんともいえないいやな雰囲気に、もう自分じゃコントロールのきかない恐怖がわたしを飲み込んだ。


「はい」夏樹がわたしの分の贈物をよこしてきた。


ありがとうと云いおうとしたけど、首が締めつけられたみたいに苦しくて声がでない。


唾を飲み込んで声の道筋を確保しよとしたものの、喉が焼けるようにつかえていて唾さえ通らない。


 夏樹が聞えよがしにため息をついた。


「やっと鳥海のうちにこれたっていうのに、もっと喜びなよ。……って、ムリか」


そうよ、ムリよ。

わたしは眉を寄せたムッツリ顔のまま、呼吸を規則正しくちゃんとするのを意識して贈物を受け取った。


 夏樹が慣れたようすで鳥海先輩の家の、玄関前のエントランスにまわりこんで行く。わたしはあとを追うようについて行った。


夏樹には、感謝してもしたりない。けど今はまともに声も出せないし、言葉もみつからない。だからせめて──と、夏樹の背中に心からの感謝の念を送る。


夏樹がいっしょにいてくれなかったら──わたし一人きりだったら、こんなにスムーズに動けなかった。


鳥海先輩の家の前で恐怖にこおりつてしまって、ご近所から不気味ぶきみがられたと思う。


 夏樹がこともなげにインターホンを押す。

わたしは悲鳴を喉の奥に必死にひっこめさせた。


ピーンポーンの音が、わたしに変わって泣き声をあげているよう。


 あぁ……どうしよう。

このまま意識が飛んでしまいそう。

気絶なんてしたことないけど、この感覚がそうなの? 意識がふらっふらっと遠のいていく。


「──はい、土屋つちやさんね」


インターホンから優しげなおばさんの声が流れてきた──きっとこの人が鳥海先輩のお母さんなんだ!


飛びかかっていた意識が胸にドスンと戻ってくる。

緊張がピークにたっしたのか、耳鳴りがする。


だけど鳥海先輩のお母さんの声は鼓膜を突きぬけて頭に直接はいってくるように聞こえる。


「あなたの車の音で来たのがわかったの。……いま玄関を開けますから、ちょっと待ってて下さいね」


「はい、おかまいなく」夏樹は軽い調子で笑いを転がすように、あくまで礼儀正しく振舞ってる。


いったいぜんたい、なにをどうやったらそんなに平然でいられるの?


 鳥海先輩の家の玄関のドアが、金属音と共に開いた。

わたしの目は出てきた女性──お母さまの足もとから目へと吸いよせられた。

どういうわけかエプロンをひっかけたままなのが気になるけど──そう、この人が鳥海先輩のお母さま。


いまにも泣きだしそうに瞳を潤わせているこの人が……。


 わたしは胸が張り裂けそうになって思わず、深くお辞儀をして目をそらした。


…*…


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