I'm right here ⑤


 そのあとはけっきょく、わたしが自分の主張を押しとおす形になった。


「タクシー代で散財してしまうのはわたしの気がひけるの。そんなの悪いから」と、なかばおがみ倒すいきおいでお願いをした。


けれども夏樹はなかなか意見をまげてくれない。


「一時間ここでようすを見て、平気そうなら帰ろう──ただし、オレは紫穂の車のあとをピッタリ追うからな」


この強迫じみた妥協案だきょうあんをわたしは飲むはめになったけど、

強制的に病院へかつぎ込まれるのだけは、なんとかけられた。


 車を走らせながらバックミラーをチラリと見る。

夏樹は告知どおり、わたしの跡をピッタリくっついてきている。


はたから見れば〝あおり運転〟に見えなくもない至近距離で。


もともと存在感ばっちりのスカイウェイなだけに、気になってしょうがないわよ、もう!


 無視するのに苦労しながら前だけを見るように──かなり──集中をして、ハンドルをにぎる自分の手には、ますます力がはいった。


 わたしが〝お婆ちゃんの家〟の駐車場に車を停めると、夏樹はなにくわぬ顔のまま──つまらなそうに──スカイウェイを通り過がせていった。


〝他人のふり……他人のふり……〟そういう念仏が聞こえてきそうな感じで。

まったくもう、やれやれよ。はあ~あ。


…*…


 その日の夜から、夏樹によるわたしの安否確認が始まった。


(わたしのお姉ちゃんとは大違いね。……お姉ちゃんは結局、あれからわたしに連絡なんてしてこなかった。

安否確認をするからと、心配する素振りをしていたくせに、いっさい、なんの音沙汰もない。


……友達に電話をして、鳥海先輩のことであれこれ訊いてくれたのかどうかも怪しいし……というか、訊いてくれてないと思う、ここまでくると。


あの人がわたしのために動くなんてこと、今まで一度たりともなかったもの。

だから今回も……。


 わたしが死にそうなくらい切羽詰せっぱつまっていようと、あの人にとっては所詮しょせんどうでもいいことで、他人事なのよ、きっと。


……は~あ。

なんか、自分がほんとうにバカに思えてきた。


わかっていたはずなのに、お姉ちゃんに助けを求めるなんて。


でも、あれは練習だと思えばいいのよ! 人に自分の気持ちを洗いざらい話す練習だったと。…──お姉ちゃんとの電話は、あの一連の苦痛は、練習だと思えばいい……。


 ──それなのに、夏樹は。


わたしと赤の他人である夏樹のほうが、よほど心配をしてきて、おまけに、ちゃんと安否確認の連絡を毎日かかさずしてきてくれる。


この事実にあきれるしかない。


身内から冷遇れいぐうを受けているわたしを、他人の夏樹が気にかけてくれるなんて……ほんとに、いったい、家族ってなんなのかしらね)


 夏樹からの連絡は、朝は≪おはよう≫のメッセージから始まり、夜は≪おやすみ≫でおわり。


それが今日という日までずっとつづいた。

……今日。今日は土曜日だ。


明日は鳥海先輩の家に訪問する日。


おのずと夏樹からのメッセージにも変化がみられた。


≪紫穂、大丈夫? 明日は九時半に待ち合わせだけど、無理するな。日にちはずらせるんだから≫


 わたしはみをこぼした。メッセージの返信をする。


〈わたしは大丈夫。心臓が爆発しそうってなだけで、なんの問題もない〉


 今日までの数日間、わたしが鳥海先輩へ向ける気が少しでもそがれていたのは、夏樹の存在がとっても大きい。


毎夜気分が沈んで、罪悪感と恐怖に押し潰されそうになると必ず、スマホが救済きゅうさいの音を響かせる。


わたしは夏樹がこまめに出す〝ちょっかい〟に救われていた。


 やりとりするメッセージはどれも、日常のこれとないできごとの、ささいな内容のものばかり。


天体のことや、どこぞの風景──夕陽がとびきり綺麗なんだとか──が忘れられない、もう一度行きたいと、夏樹は云う。


遠まわしなお誘いに感じたのは、わたしの勘違いなんかじゃない。

だからわたしはどこまでも〝にぶい子〟のふりをしてやりすごした。


夏樹がわたしとのこれからの未来に──具体的に近い未来……たとえば、今度の夏とか──イベントを用意しようとする理由は、なんとなく想像できる。


わたしをはげましたり、これからの自分の未来を生きるかてにしろだとか、たぶんそんなところ。


生きてさえいれば楽しいことはたくさんある。

夏樹はわたしにそう伝えたいんだ。

他人ひとからそうさとされるなんて、なんだかヒニクを感じちゃう。


 驚いたことに、こんなふうにわたしを気づかってくれる人は、なにも夏樹だけじゃなかった。


職場の先輩が飲み会──もちろん、女ばかりで──を企画してる。


わたしのにくたらしい父親のほうでは、

夏になったら千葉県の鴨川に一週間くらい旅行に行こうと云いだした。

それも云いだしっぺはお姉ちゃん。


あの、のお姉ちゃんが、なんとよ。


 お姉ちゃんは、これまでの数えきれない愚行ぐこう罪滅つもほろぼしを清算せいさんしているつもりなのか、


それとも話題をはぐらかしたいだけなのか、ついこのあいだは「デ〇ズニー・シーに行こうよ! 子供たちも喜ぶし!」と子供をダシに云いだして、

じっさい行ってきたばかりだ。


お姉ちゃんは、のり気じゃない元気の無いわたしを、あの口のうまさで丸めこみ、云いくるめて、ほとんど引っぱり出すようにデ〇ズニーへりだすのに成功した。


だから旅行も成功すると確信して、もうすでにあれこれ準備をしているよう。


 わたしは周りに体調の悪さを隠し、気分が沈んでいても元気のあるふりをしつづけてる。でもそれは日中のあいだだけ。


夜になると哀しみの高潮がわたしをのみこみ、暗闇にさらっていく。

わたしはあらがわずに──むしろ両手を広げて哀しみの暗闇を抱きとめてる。


なぜだか暗闇の黒霧に鳥海先輩の気配を感じるから。

わたしも早くそこに行きたい。黒霧のひとつになりたい。


夜ごと涙に明け暮れて、そう願うばかりなのよ。


 今宵もおとずれる暗闇の気配にわたしは全神経をかたむけ、耳をすませているとスマホの電子音がポーンと響いた。


≪心臓が爆発しそう? その爆弾処理、オレならできるかも。…いや、ムリか。オレの心臓に飛び火したらもともこもないし…どうにもならないもんな≫


 わたしの心に、自分自身へのやりきれない怒りが鬱積うっせきしていく。

わたしに、どうしろというのよ……夏樹。お願い、もうやめて。


 視界が涙でかすむなか、わたしはメッセージの返信をした。


〈夏樹には感謝してる。でもだからって、わたしはあなただけは殺さない。安心して。おやすみなさい。また明日〉


 わたしは真っ暗な部屋を見渡した。──明日が怖い。鳥海先輩、どこ? どこにいるの? お願い、わたしのそばに居て。お願いだから──。


 暗闇に想いが届いたのか、黒霧がもうもうと大きくなってわたし自身をつつむ。


黒霧に抱かれると苦しくて息ができなくなるけど、でもいいの。鳥海先輩を感じる。


あたたかくない──人のぬくもりも肌の触れ合う感覚もないけど、あなたの気配を感じれる。感じとれる。わたしはこれだけでいい。充分よ。鳥海先輩さえそばにいてくれるなら。


 ***



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