Be prepared to be led ③


「そこにわたしの車を移動して、停めさせてもらえって?」


わたしは〝信じられない〟という目で夏樹を見つめた。

でも夏樹はずるいことに目を合わせてこない。


「それしかないじゃん? オレ、話しがあるって云ったよね? だいたいオレたち何年ぶりに会ったと思ってるの? それとも……また逃げるのかよ」


ここで夏樹がわたしの目を見た。

夏樹の目は潤んでいて今にも泣きだしそう。


わたしの体が金縛りにあったようにかたまって、硬直した。


〝また逃げるのかよ〟夏樹の言葉が頭のなかで反復してこだまする。


 どうしよう。……そう思っても、そう思ったとしても、頭で考えるまでもなく、わたしは今日、夏樹からのこの申し出をことわれない。


だってもう、逃げないって決めたんだから。


「わかった……車を移動させる」


わたしは目を彷徨さまよわせて、おぼつかない足取りで自分の車に乗り込んだ。


〝また逃げるのかよ〟


わたしは頭をふっておでこをこぶしで叩いた。──わたしは、鳥海先輩からもう逃げない。逃げたくない。


それに夏樹の車に乗るのだって大丈夫。

だってさっき鳥海先輩もしたしみのある眼差しを夏樹にむけていたもの。──大丈夫、大丈夫よ。


 わたしはフーッと息を吐いた。


 夏樹がカワイイ車……スカイウェイって、云ってたっけ。

スカイウェイのエンジンをかけて、先導のために先に駐車場から出て行く。


わたしはそれを目で追った。


スカイウェイは古い車体しゃたいのわりに、エンジン音が怒涛どとうとどろいたりもせず、

そこそこ普通車みたいなエンジンの音で──といっても、わたしのエコカーと比べればうるさいんだろうけど──ゆるりと走って行く。


わたしも車のエンジンをいれて夏樹のあとを追った。


 霊園近くにあるコンビニの駐車場に車を停めて、わたしはまず飲み物を買おうとした。


緊張からか、喉がやたらに渇く。

夏樹はスカイウェイのエンジンをかけたまま車から降りてこない。


わたしは窓ガラスをノックしようとして、またしても躊躇ちゅうちょした。

車の窓ガラスもピカピカだったから。


わたしがノックすることで、手汗とかがついてしまうのも申し訳ない。

この車は、それだけ綺麗に乗りたくなるような車だ。

芸術的な美しい車。


だからわたしはジェスチャーと口ぱくを使って夏樹に窓を開けてと云った。


 夏樹がおもむろに左手をハンドルから離して〝レギュレーターハンドル手こき〟をぐるぐる回す。


そっか、これだけ年式が古いとパワーウィンドウじゃないのね。


「なに、どうしたの?」夏樹がひょっこり顔をつきだして、不安そうにわたしの表情をうかがってきた。わたしの気が変わってしまうのかが心配なんだ。


「コンビニで飲み物を買うんだけど、なにがいい?」


この質問に安心したのか、夏樹が表情をくずして笑みらしきものをうかべた。


「えーと、そうだな……水とかがいいかな」


「わたしと同じチョイス」わたしははにかんで見せた。「買ってくるよ、待ってて」


 わたしが手をひらつかせると夏樹があわててお尻のポケットをまさぐった。


「あ、待って、お金!」


「いいよ、わたしのおごり」ここでわたしは、いわくありげにニンマリと笑った。「どこまでドライブするのか知らないけど、この車ったら燃費が異常いじょうにかかるみたいだから。


ガソリン代のたしになるのかは微々たるものかもしれないけど、飲み物くらいわたしが買うよ」


 夏樹は目をぐるっとまわすと、笑ってコクコクうなずいた。


「じゃ、お言葉にあまえてご馳走になろうかな」


 水のペットボトル一本でご馳走だなんて、おおげさね。……ジョークで二リットルのペットボトルを買ってやろうかしら。……うん、よし、そうしよう。ふふふ……ざまみろ夏樹め。


 しょうもないイタズラを考えてニヤニヤしながらコンビニに入る。

買物カゴを片手に通路を進み、冷蔵庫から五百のペットボトルの水二本と、二リットルの水を一本カゴにいれる。


レジ待ちしていると、他のお客さんの歓声かんせいが耳にはいってきた。


「なにあの車、すごくねぇ?」

「カッケー! まじでイカしてる! なにあれ、どんなヤツが乗ってるわけ? うっわあ、乗ってるヤツまでカッケー!」


 あきらかに夏樹のことだ。

……どうしよう、こんなに注目を浴びているなかで、わたしはあの車の助手席に乗り込まなきゃならないわけ? すっごくイヤだなぁ~。


 スマホの写メを切るシャッター音まで聞こえてきた。


今日はこれから、あの車はツイッターとかインスタで話題になることうけあいね。


 お会計を済ませて外に出てから、わたしは喫煙所の灰皿があるところでタバコに火をつけて一服いっぷくした。


夏樹がわたしにつられて車から降りてくる。エンジンはかけたままで。


「あの車、禁煙車にしてあるんだよね」と、ちゃめっけたっぷりに云ってタバコに火をつける。


ポケットから出てきたタバコの銘柄は、前とかわらず赤のマルボロ。

このタバコが夏樹は好きなのね……。

しみじみ思い、わたしは目を細めた。


「禁煙車にしてるんだろうなと思った。だからわたしも今のうちにタバコを吸っとこうと思って」


わたしはタバコの煙が夏樹にかからないように、フーと煙を吐いた。

ついでに、こっそり体をひねって買物袋をからだの陰に隠す。


「よくわかってるじゃん。旧車、好きなの?」夏樹が話題をふってくる。


ほんと、こういう世間話をしていると、あれこれ考えて悩んでいるのがウソみたいになるわよね。


「好きだよ」わたしは認めた。「とくに、こうゆうレトロ調ってゆうの? まあ、このスカイウェイは〝調〟というより、レトロそのものだけど」


 夏樹が嬉しそうに笑った。

……いい笑顔だなあ、羨ましい。


夏樹は自分が褒められるより、スカイウェイを褒められたほうが嬉しいんだ、きっと。


「さっきコンビニで買物してるとき、写メられてたよ? いいの?」と、夏樹個人の人権を危惧する。


「いいんだよ」夏樹はあっけらかんと云いきった。「パパラッチみたいなもので……でもやつらはそれで金儲けを考えてるわけじゃないし、あのスカイウェイの写真を撮るやつはみんな、心がハッピーになっているんだ。


それをツイッターにあげてるやつがいるのも知ってるけど、でもそれもべつにめやしないよ。幸せのおすそわけをしているんだろうから」


 夏樹にはじめて出会ったときもおなじことを感じたけど、

この人って、ほんとに人がいいわよね。よすぎるくらいなんじゃない?

ほんと信じられない。

この世界に最後に残された、奇跡の産物だわ。物扱いしたら悪いけど。


「夏樹って、お人よしだよね」ぼそっと云う。


 夏樹は鼻で笑った。「よく云われる」



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