Runaway ④


 けど夏樹は、お酒がはいっているのとはべつに、顔をますます赤くしているし……。

「え? うそでしょう?」半信半疑で聞いてみた。

「いや、ほんとなんだって──あ! しまった! このことは云わないようにしようって決めていたのに! ──ああ、マズイ。云っちゃったよぉ……」


つくづくやっちまったとばかりに、夏樹はうつむいてひたいを手でおさえた。


「あぁー、はじめてだってバレたから、オレいいカモにされちゃう~。……いや、オレさ、さっきからバレないように注意していたんだよ。外で呼び込みのお兄さんと話してるときだって、初心者だってバレないように超意識してたのに。それなのに、あぁ~! もう、ぜんぶだいなし! なにやってんだ、オレ」


 云いきると、夏樹の肩がガックリとおちた。わたしは、どうしょもなくいじけている夏樹のなで肩にそっとふれた。


「え? ほんとに? ほんとにはじめてなの?」ねんのため、二度聞きしてみる。

「……ほんとだよ」夏樹はやけっぱちになって苦笑くしょうした。「きっと紫穂ちゃんがいけないんだよ。紫穂ちゃんって……なんてゆーか、はじめて会った気がしないよね。……話しやすいとゆーかさ」


 ゴニョゴニョ云ってるのを聞いて、わたしはさすがに笑った。高笑いに近かったと思う。こんなふうに笑うのなんて、いついらいかしら。あー、おなかが痛い。

 だってこんなぼやき、聞いたことがない。

 夏樹は、ぼったくられないように頑張って背伸びをしていたのね!

 それなのに、まんまとわたしにひっかかるなんて! かわいそうに。

 しょうがない、今夜はお手柔てやわらかにしといてあげよう。わたしをこんなに笑わせてくれたんだし。


「夏樹は冒険家なのね! はじめてのキャバクラに一人で飲みに来るなんて! ほんと、信じられない! ──お願いしまーす!」


 わたしは高らかに手をあげてボーイを呼んだ。


「え! なに! なにするの!」

夏樹が、わたしがかってに突然ボーイを呼んだから焦ってる。その動揺ぶりに、わたしはまた笑った。

「安心して、大丈夫。わたしが教えてあげる」

語尾にハートマークをつけてもいいくらい甘ったるく云った。でもこれは演技じゃない。この人をからかうと反応がいちいちおもしろいから、クセになっちゃう。

 夏樹は動揺と警戒をしているくせに、甘ったるい言葉をかけられたもんだから、頬を染めているうえに口をパクパクさせてる。もうどうしたらいいのか、わからなくなっているのね。楽しい。


「夏樹、わたしに感謝してよね」おしつけがましく夏樹の腕に軽くボディタッチをする。「今夜は、痛いめにあわないようにしてあげる」


 夏樹は、なにがなんやらちんぷんかんぷんですって顔をしているけど、それでいいの。

 はじめてなんだから、わかりっこない。

 わたしはこれから、ささやかに夏樹を守ってあげるけど、当人とうにんは知らなくていい。それが今後の夏樹のためになるんだから。


 夏樹は今日、キャバクラがどんなものかを知って、二度とこなくなればいいのよ。

 それが一番いい。

 こんなところに一人で飲みにくるなんて、時間とお金の無駄なんだから。

 キャバクラがどんな遊び場なのかを教えてあげることで、わたしは指名客になるはずだった大事な金ずるを失って、お店は固定客を失うはめになるけど、いいの。

 そんなの、いつでも挽回ばんかいできる。

 だって、お客となりうる人間はひっきりなしに来店してくるもの。

 ──そう、世の中は、そういう人間であふれてる。


 夏樹みたいな純粋で素直な人は珍しいのよ。

 こんな人がまだ世の中に残っていただなんて、わたしにとっては救いにひとしい。

 生きていこうとするうえで、とってもはげみになる。そのたった一人だけの存在でもね。

 だから、どうか汚れないでほしいのよ。


「はい、お待たせしました」ボーイは待ってましたとばかりにメニューを持って、にこやかに颯爽さっそうとあらわれた。そしてそんなボーイを見た夏樹は、当然をひいてなげいた。


「ほらなあ? こうなるんだよ。あぁ~もうオレはおわりだぁ~」

わたしは夏樹の腕をさすってはげました。

「だから、大丈夫。ほら、夏樹、メニューを見て。あ、オーダーが決まったら、また声をかけます」と、最後にボーイをおっぱらう。

「ほら、これがキャバクラのメニュー表だよ。──高いでしょう?」

ひそひそ声で誘うと、夏樹はおっかなびっくりメニューをのぞきこんだ。そして叫び声をだそうとする大きくひらきかけた夏樹の口を、わたしはすかさず〝しー!〟と人差し指でふさいだ。


「ちっちゃな声で話そう? バレたらわたし、怒られちゃう」

さも夏樹の味方ですって具合に云ったけど、じつはそうでもない。だってわたしは、男が大好きなコソコソ話で顔と顔とをちかづけてる。これはわたしのなかの葛藤かっとうのあらわれでもあるの。


 夏樹には、わたしからの誘惑にかって、自制心をたもってほしい。チープな誘惑になびくようじゃ、夏樹のこれから先なんて、たかが知れてるのよ。そういう人の末路なんて、反省や教訓を忘却ぼうきゃくのかなたにおいやって、甘い幻想の夢の残像ざんぞうをおいかけて、悪い女にひっかかるのがいいところなんだから。

 そして堕落だらくした人生をあゆむはめになる。だからこそ今夜、夏樹がわたしの誘惑の手中しゅちゅうにまんまとおさまるのだとしたら、その時は、わたしは遠慮容赦なく夏樹をお客としていただく。だって〝それだけの男だった〟っていうことになるんだから。


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