パンドラの弁当箱

二度東端

パンドラの弁当箱

 僕の通っている高校は色々と変わった校則があり、その一つに昼休みの最初の三十分は自席から動かずに飯を食え――というものがある。その前段階として、四時限目が終わった後にも十分の休み時間がある。校則集にある文言をそのまま借りれば、「昼食準備」の休みだとか。


 その後にチャイムが鳴ると三十分間の昼食タイムだ。違う高校に行った友達にこの話をすると、大抵意味不明な顔や言葉を向けられる。無理もない。僕は未だにこの校則の意味も意義も理解していないし、不思議でならない。


 もう一つ不思議なのは、僕以外のクラスメイトは比較的このルールに順応しているということである。あらかじめ知っていた人もいるのかもしれないが、それにしても従順すぎやしないかというのが正直なところだ。

 

 監視の教師が居る訳でもないのだから、昼飯をどこで食おうが、好きにしたらいいではないかと思う。まぁ、僕も思っているだけでその思考を実行に移したことはないのだけれど。


 そして、入学以来僕が抱える最大の不思議についても語ろう。

 この不思議については、今日がそれを解き明かすチャンスだった。


 山田里々理やまだ りりり

 面白い名前で、僕の隣の席にいる女子についての、とある不思議。


 先程説明した校則に従順なクラスメイト達は、一同に自席から動かずに各々弁当を食べる訳である。ただ、昼食を黙々と食えという軍隊みたいなルールではないので、各々近くの人間と話したりしながら食べている。


 僕の近くの昼食事情はというと、一番窓際の二列目に席がある僕は正対のまま。そして、前の席の戸村がこっちを向いて弁当を食べる。この戸村という男はとにかく喋る。口から生まれてきたんじゃないかというぐらいに喋る。頭は悪いが悪い奴ではない。彼の話はほとんど話半分に聞いているが、特に悪い気はしていないのだった。

 

 隣の山田さんも正対のまま、前にいる塩見が山田さんの方を向いて弁当を食べている。この塩見に関しては、口から生まれてきたんじゃないかという比喩を超えて、本当に口から生まれてきたんだろうと思えるぐらいに喋る。黙っていれば可愛いという言葉は、この塩見の為にある言葉かもしれない。無機物に可愛いとは思わないように、まさに彼女は喋る機械だった。口に速射砲がついていると錯覚しそうな文字通りのマシンガントークを日々、山田さんに向けている。戸村が昼食時間中に喋る絶対量を百とするなら、倍の二百はある。この尺度に僕を入れるなら二ぐらいだろうか。その尺度に入るのすらおこがましい気もするが。


 この状況を整理すると、単純に男子同士、女子同士が向かい合って弁当を食べているという状況だ。この時点ではそれほど不思議な状況ではないだろう。ただ、昼食時間が始まるに連れ様々な不思議が露呈してくるのである。


 まずは、男女間のクロストークが一切ないこと。


 昼食時間が始まると、戸村は僕、塩見は山田さんに向けて延々とマシンガントークを始める。戸村と僕の間にはまだそれなりに会話があるが、塩見は山田さんに対して、ほぼ一方的に喋り続けているような気がしている。隣でそれとなく聞いている限り、山田さんがまともな文章で返答しているのを僕は聞いたことがない。さらに、昼食時間の三十分間、この状況はただただ続くのであった。それぞれの会話の主役である戸村と塩見が話すことはない。無論、僕と山田さんが話すこともない。男女間に見えない結界でもあるかのように、各々の独演会が続き、男女四人で和気藹々みたいな状況になることはこの半年間、一度もなかった。冷戦中か何かと錯覚しそうになる不自然さであった。


 他にも色々とツッコミたい点は多々あるのだが、端折る。何はさておき、最大の不思議について今日はツッコミたい。


 今日は、そのチャンスが到来していた。

 

 戸村と塩見が風邪で休んでいる。

 

 その最大の不思議とは――山田さんの持ってくる弁当についてである。


 思えば、最初に見た時にツッコんでいれば、今のような数々の不思議を抱えるような状況にならなかったのかもしれない。そういった意味では、ただのシャイボーイだった僕にも一抹の責任はあろう。ただ、もっとおかしいのは、僕より遥かに喋るはずの戸村や塩見もそれを最初にスルーしていること。塩見に関しては、登校初日以降ずっと昼飯を山田さんと共にしているのだから、ツッコミを入れるチャンスは数多あったはずだ。しかし、いつもよくわからない話を延々と山田さんに吹っ掛けるだけで、その最大の不思議である弁当には触れないのである。


 本題に入ろう。山田さんの弁当について。

 

 まず、量。見るからに華奢で文化部オーラそのままなメガネ女子――確か図書部だった――山田さんが食べるような可愛らしい量ではなく、明らかに強豪相撲部か何かのそれだった。段重が四段ぐらいある。上三段におかずが敷き詰められ、最下段に結構な量の白米が詰め込まれている。

 

 次に、質。僕の母親には悪いが、隣で食うのが申し訳なくなるような対比が、山田さんの弁当によってもたらされていた。どう考えても弁当に入るようなクオリティではない御馳走が詰め込まれている。この間入っていたエビチリの海老、これ正月に食べるようなエビじゃないか――と思ったのが記憶に新しいところである。


 最後に、速さ。これは山田さんが弁当を食べる速さである。気がつくと――僕が戸村の話を受け流しながらチラっと横を見れば、ほぼ食べ終えている。昼食時間の後半の山田さんは、塩見の相槌マシンと化していることがほとんどだった。箸を口に運んでいるイメージはなかった。


 思考を整理している内にチャイムが鳴る。

 

 反射的に僕は弁当をカバンから取り出していた。さりげに横目をやると、山田さんも例の段重をカバンから取り出していた。ここにきて、そのカバンの構造はどうなっているんだという新たな不思議が湧いてきたものの、苦渋の決断でスルーしたい。敵は本能寺、いや弁当にありだ。ジロジロ見るのも怪しまれるだろう。


 さて、どうやって一言目を切り出すかが鬼門である。こうして考えている内に昼食時間が終わるという最悪のパターンだけは避けたかった。先に述べたように、山田さんはおそらく食べるのが速い。こうしている間にも御馳走の数々がその華奢な身体に吸い込まれていることだろう。しかし、しかしである。この静寂を切り裂く名案を僕は持ち合わせていなかった。


 ここは攻めるしかない。この場合の「攻め」が何なのかはよくわからないのが正直なところだが、要は当たって砕けろである。


 元はと言えば、僕のシャイさがこの悶々とした不思議さを抱えてしまった要因でもある。

 

 「山田さん」


 説明しようのない緊張感で、声が震えていたような気がする。

 山田さんがこちらを向き、入学してから初めて山田さんと正対した。


 「ん、何?」

 

 「前々から気になってたんだけどさ、その……」

 

 「え、どうかした?」

 

 「その弁当、すごいね」

 

 僕がそう感嘆の意を伝えると、山田さんは笑った。とても朗らかで、弾けんばかりの笑顔だった。

 

 「やっとツッコんでくれたね」

 

 「へ?」

  自分史上、最も気の抜けた声が出た。


 「誰もツッコんでくれないから、意地になって毎日作ってたんだよ」

 「……え、ただのウケ狙いだったの?」


 僕は唖然としていた。

 

 「ウケを狙って半年、滑り続けたような感じで辛かったんだよ」


 「それを言うならこっちだって、ツッコもうかどうしようかで半年以上悶々としてたんだけど」

 

 「とっととツッコんでくれれば良かったのに……というか、ツッコまれたはいいけど、全然ウケてない気がする」

 

 山田さんが不意に真剣な表情になった。

 

 「笑って」

 

 「は?」

 「いいから笑って」


 言われるがままに、僕は笑った。理由はわからないが、自然に笑えた。

 笑っている僕を見て山田さんは一言。

 

 「いただきます」

 

 あまりにもアホらしい理由で半年に渡り抱えていた最大の不思議は解決し、不思議と笑みが溢れた。段重が、また一つ重なった。

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